トド解体


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笠原英二
トド解体 食事を摂るということは、生き物を殺すということだ。この宿命は、ほとんどの生命体にとって避けては通れない。元々が雑食性の人間にとってはなおのことだ。雑食という人間が勝ち取った性質は、言い換えればあらゆるものを殺そうとする性質だ。いくらベジタリアンが肉食忌避を叫ぼうとも、その性質が変わることは決してない。その証拠に、肉でも魚でも野菜でも、口に入れれば「うまい」と感じる。その素直な感情を押し殺して菜食主義を通すのなら、それはそれで知ったことではないが、僕はその「うまい」という感情を大切にしたい。それには、やはり生き物を殺す現場に立ち会う必要があるのではないだろうか。  僕が暮らす北海道の羅臼という町では、生き物を殺す現場とそれを食べる現場が密接につながっている。 鳥 漁師は獲れたての魚を挨拶代わりに知人宅へ届け、届けられた方も当然のようにそれをさばき、食卓に上げる。春になればギョウジャニンニク(アイヌネギ)やウドなどが山野に芽吹き、これまた当然のように食卓に上がる。昔ながらの漁師町のため、獣の類を好む人は多くないが、それでもエゾシカくらいは口にする。さらに、羅臼という地名の由来が動物を解体した場所≠ニいう意味を持つアイヌ語ラウシ≠セというのも興味深い。 12月某日、羅臼で食堂を営む高橋さんから連絡が入った。   「トドが獲れたから、解体見に来るかい?」  彼はハンターでもあるのだ。僕は二つ返事で了解した。  トドは港の一角に沈められていた。なんでもトドを獲ったのは3日も前らしいが、真冬の海に沈めておけば、早々腐りはしないそうだ。岸壁から海中を凝視すると、耳をちょん切ったラブラドルレトリバーのような顔が確認できた。それも異様にデカイ顔が……。なにやら犯罪の片棒を担いでいるような気分になった。 「それ、こっちに引っ張ってくれ!」  高橋さんの言われるままにトドを浅瀬へと引っ張る僕。尻込みする暇もない。  トドの下顎から口へと通されたロープをパワーショベルへ引っ掛け、グググーっと吊るし上げる。トドとパワーショベルの間には計量器がある。275キロで針は止まった。 「思ったより軽いんですね」 僕が生意気な口をたたくと、高橋さんは幼子をあやすような口調で答えてくれた。 「メスだからな。オスはこんなもんじゃねーぞ。1トンぐらいになるからな。さあ、持ってくぞ!」 港から解体所に向かう車の中で、高橋さんは面白いエピソードを話してくれた。

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「何年か前のことなんだけどな、いつもみたいに船に乗って沖に出たんだよ。したら、海の真ん中にポッコリと岩が出てたんだ。なんでこんな所に? ってよく見たらトドだったんだ。おお、こりゃ大物だ! って急いで鉄砲で撃ったんだ。でもな、撃っても倒れねえんだ。もちろん急所に当たってるよ。でも、倒れねえんだ。それどころか、グオオオオって怒ってんだよ。おっかねえ、こりゃダメだって引き上げたよ。何十年もトド撃ちやってるけど、あんなヤツは他にいなかったなあ」  港から5分も車を走らせると、そこはもう山の麓だ。羅臼の町がある知床半島は、知床連山と呼ばれる山脈から成り立っている。つまり半島自体が山脈なので、海と山が極端に隣接しているのだ。 こういった特異な地理条件は自然の雄大さや面白さを生み出す一方で、人が生活する上での大きな障害ともなってきた。アイヌの時代からシリエトク(地の果て)と呼ばれてきたことからも分かるように、知床に足を踏み入れること自体、容易なことではなかったのだ。知床半島の先端まで行く道路が未だにできていないことが、そのことを如実に物語っている。また、冬になればウトロ側とを結ぶ知床横断道路が完全封鎖され、陸の孤島状態となる。町のパンフレットなどには日本最後の秘境・知床≠ニいう謳い文句が載っている。少々大げさかもしれないが、現状を見る限り、全く的外れな訳でもない。  解体所に入ると、トドやシカの生首に迎えられた。 狂信的な動物保護論者が見たら卒倒するに違いない。だが、これが肉を食う≠ニいうことの現実なのだ。 解体は内蔵を取り出すことから始まった。



滑車を使いトドを宙づりにし、腹を切り裂く。皮膚の下から10センチほどの脂肪層が見える。この脂肪のおかげで、流氷がくるような極寒の海でも棲息することができるのだ。パックリと開いた腹をさらに手で押し広げ、荒々しく内臓を引きずり出す。べっちゃんとコンクリートの床に放り出された内臓が、むせ返るような獣の臭いを発散させる。二日酔いでこの臭いを嗅いだら間違いなく戻してしまいそうな、そんな強烈な臭いだ。  内臓を取られたトドは、再び床に寝かされた。いよいよ解体の本番だ。まずは鰭のような前足を切り取る。セイウチ科、アザラシ科、アシカ科(ここにトドが含まれる)の三科を総称して鰭脚類と呼ぶことからも分かるように、この鰭化した足は、トドやその仲間の大きな特徴となっている。その付け根の関節にナイフが入ると、足はボロリと取れた。 次いで周りの脂肪層を剥いでいく。ジャクッジャクッという小気味よい音とともに、脂肪の鎧が脱がされていく。慣れた手つきで解体する高橋さんの手元を見て驚いた。図画工作に使うようなカッターナイフを使っているのだ。トドみたいなデッカイ動物を処理するのだから、さぞかし立派なナイフを使うのだろう決めつけていた僕は、すぐに高橋さんに訊ねてみた。 「ナイフ? ああ、カッターナイフが一番だ。トドの肉は柔らかいから、これで充分だ。それに、トドの脂ってのは半端じゃないから、普通のナイフ使ってたんじゃ、すぐに切れなくなっちまう。これなら、切れなくなったら刃を折れば済むからな」  10分もしないうちに、トドは開き≠フ状態になった。脂肪層を剥ぎ取られたその下からは、黒光りする肉が現れている。その輝きにしばし見惚れる。肉の繊維一本一本に生命力が凝縮されているようであり、このトドが極寒の海を自由に泳ぎまわっていた姿が浮かんでくる。一見すると残酷かと思われるトドの開きは、実はそれとは全く逆で、なんというか、まるで丹念に磨き上げた黒檀の芸術品を見ているようでさえあった。 「ちょっと、つまんでいいですか」  僕は高橋さんの返答を待たずに、脂肪側についた肉をむしり取った。一口噛む。思ったより臭いがしない。クチャクチャと噛む。徐々に血の臭いが口中へ広がる。さらに噛み続ける。が、弾力性がありなかなか噛み切れない。欲張ってたくさん取り過ぎたのが悪かったのだろうか。結局、一度吐き出して手で千切り、再度口に放り込まざるを得なくなった。 肝心の味の方はというと、鯨肉からうまみ成分を抜き取り、代わりに生臭さを足したようなものだった。決してまずくはないが、特別うまくもないというのが、その時の素直な感想だった。ただ、腹に入ったトド肉がそのままエネルギーになっているような満足感だけは十二分に得られた。 「おい、アタマ切ってくれ!」  

 不意に高橋さんから声がかかり、同時にノコギリを手渡された。言われるままに関節の切れ目に刃を立て、ギョリギョリとノコギリを動かす。ボトンと頭が落ちた。その瞬間、トドは生き物から肉塊に変わった。わずかに残っていたトドへの哀れみは、その時完全に消え失せた。「食いたい」という感情だけが僕を支配した。  解体作業も大詰めを迎える。高橋さんは骨と肉をザクザク切り離し始めた。赤身の部分は刺身用、脂が多く入った部分は焼肉用と、部位分けしていく。高橋さんの食堂は、羅臼でも数少ないトド料理の店なのだ。当然、今回解体したトドもお客さんに出される。その人がこのトドを残さず食べてくれることを願わずにはいられなかった。解体が終わり、高橋さんはポツリと呟いた。 「昔はな、冬になればトドがいっぱいやって来たんだ。それこそ浜で寝そべってるヤツもいた。でも、ここ数年でめっきり数が減ったなあ。スケソ(スケトウダラ)がいなくなったからなんだろうなあ」  漁師町羅臼において、トドは魚を食い荒らす害獣≠ニされてきた。だが、どんなに食い荒らすといっても、トドは自分たちが食べる分以上に魚を獲ることはない。必要以上に魚を獲ってきたのは人間自身なのだ。その結果、魚の数が減り、それに伴って害獣トド≠ワでが姿を消しつつある。なんとも皮肉な話だ。 生き物を殺すという行為はひょっとすると醜いことなのかもしれない。だが、その醜いことをしなければ生きていけないというのは歴然とした事実なのだ。殺す現場と食べる現場が大きく切り離されている現代社会では、そういった認識があまりにも低く、自分の口に入れているものが生き物だということさえ分かりにくくなっている。これは食べられる側への侮辱以外なにものでもない。 考えてほしい。自分が肉食獣に襲われ、不幸にも帰らぬ人となったとしよう。その獣があなたの体の一部をチョコチョコっと食べてすぐに去っていったとしたら、「それなら殺すなよ!」と怒鳴りつけたくはならないだろうか。自然界においては、肉食獣の食べ残しは他の動物の食料になるので、殺された方も無駄死ににはならないが、人間界においては「食べ残し=生ゴミ」となってしまう。これでは殺された生き物たちが浮かばれない。 生き物を殺していることをはっきりと認識しながら食事をする。それこそが捕食者である人間の最低限の義務であり、殺した生き物への礼儀ではないだろうか。


  
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