wall01

冒険という名の旅もある。 登山家、シーカヤックガイドとして世界各地の山を登り、海を漕いできた男、新谷暁生。 冒険と思索の軌跡はニセコ、知床、パタゴニアからアリューシャンへと続き、 その地に生きる先住民の思いに重なる。 そしてものごとの本質を鋭く見極める。 前作「アリュート・ヘブン」に続く書き下ろし第2弾。 「権威」や「善意」が一人歩きし、知識が偏重され、 役に立たない情報にがんじがらめになった私たちへの、強烈な「喝!」の書だ。
新谷暁生著  ¥1680 ISBN4-915746-30-5 発行者須田勝一



バトル・オブ・アリュ−シャン

「2004年10月1日新谷氏の見舞いを受ける。次期刊行の初稿を手渡される。 感激する。今日は朝からもやもやしていた気持ちが一気に吹き飛ぶ」 これは新谷さんが私の病気を見舞ってくれたときの感想を 初稿の入った封筒に書きとめたものである。 そして2005年6月24日新谷さんの新刊書が目の前にある。題名は 「バトル・オブ・アリュ−シャン」という。 今その時の原稿と新刊書を手にして感無量である。そして病院以来新谷さんには会ってない。 新刊書を他人に託し新谷さんはウトロからラウスに向かいパトルを漕いでいる。 それと新谷さんのあと入れ違いのように見舞ってくれたミポリンも今度は一緒だという。 入港が待ち遠しい。



ペキンの鼻

ペキンの鼻は、知床半島の先端から羅臼側へ南西八キロメ−トル行ったところにある岬だ。 根室海峡に特異な形で突き出している小さな岬は、厳しい気象に晒され高山帯のような草原に なっている。岬は夏になるとハンゴソウが咲き、ハマナスに混じって高山植物が見られる。 岬の大地には小さな鳥居がたっている。それは高さニメ−トルほどで、 矮小化したトドマツを背に国後島を向いている。(略)......鳥居は 訪れる人もなく日が経ち、朽ち果てようとしていた。 僕は知床のカヤックガイドだ。知床半島を一周するツア−にお客を案内するようになってから15年たつ。 ツア−中いつもペキンの鼻にあがる。今年もこの小さな神社には、誰も訪れた様子はなかった。 僕は鳥居を直すことにした。8月の盆あけに、僕は大工道具とペンキを積んでカヤックを漕いだ。 そして鳥居を補修してペンキを塗り、草むらに埋もれた御神体を見つけ 、社を造って納めた。カヤックで半島を回った回数は60回を超えた。僕はそのたびに 、この小さな岬に上がり安全を祈った。僕は神仏にすがろうとは思わないが ここでは自然と手を合わせた。バトル・オブ・アリュ−シャンより抜粋。

写真は新谷さんの弟子石田理一郎君が今年6月はじめ シ−カヤックでペキンの鼻まで行ったときのもの。ペキンの鼻は難破船人食い事件が あったところです。

難破遭難事件

フィ−ルドとしての知床の海

「スポ−ツカヤックのフィ−ルドとして、知床はその厳しさゆえに優れた海だ」 僕は知床から多くを学んだ。カヤックが恐れるのは風だ。海に突き出た知床半島は 、常に大気の流れを遮る障壁となる。そしてそれは収斂して谷から吹き出す。 風は竜巻になり、水を吸い上げながら海上を走る。技術がいかに優れていても 、人は風に勝てない。アリュ−トには「風は川ではない」という諺がある。 川はいつも流れる。しかし風はそうではない。無理をせずに収まるのをまて、という意味だ。 僕はいつも風を恐れながら知床をこぐ。海は人を選ばない。僕は海で臆病になることを 学んだ。 以上バトル・オブ・アリュ−シャン抜粋



人は知識として、文明に滅ぼされた人たちのことを知っている。

今年、一人のアメリカ人が知床のツア−に参加した。鈴木マギ−というか香川県に住む人だ。 彼女は諫早湾の問題に取り組んだ環境活動家で、僕の苦手なタイオプだった。 ツア−の初日、マギ−さんは艇を海に出す前に「カヤックの漕ぎかたを教えてくださ〜い」 と僕に言った。僕は「漕げば進みま〜す」と言い、出廷させた。 マギ−さんは内心、僕のことを、なんと言う意地悪なガイドと思ったに違いない。 しかし彼女を無視した。そして個人装備が多すぎることなどを浜に上がってから 注意し、ますます悪い印象を与えた。僕はそもそも環境活動家が苦手だ。しかし僕は その後、徹底してマギ−さんを大事にした。その旅は日本自然保護協会の 知床問題検証ツア−のようなもので、参加者は全員エコロジストだ。 だから緊張した。なにしろウンコまで持ち帰ると言う話だったからだ。(中略)
あるキャンプの夜、アリュ−シャンの話から遠い昔の先住民に話が発展した。 僕はアッツ島に住みたくとも住めないベンとス−ジの話をした。 マギ−さんはその時、「先住民の人が故郷へ帰るのは、自然を破壊するから 良くないで〜す」ということを言い始めた。僕はその言葉に猛然と反論し始めた。 僕はアリュ−ト人が曝された、僕が知る限りの歴史を話した。そしてベンの父親が 辿った運命と、ベンとソス−ジ−のささやかな夢を話した。僕はマギ−さんに聞いた。 何故、彼らが島に戻ってはならないのか、と。マギ−さんは黙ってしまった。 僕はいつも思う。人は知識として、文明に滅ぼされた人たちのことを知っている。 しかしその知識は残念ながらただの知識だ。その人たちを命ある個とは見ず、 一人一人の望みや悲しみを知ろうとしない……
以上バトル・オブ・アリュ−シャン抜粋



鳥は住めるが自分は住めないない

1942年6月7日、アッツ島を占領した日本軍は、島に住むアリュ−ト族41名を捕虜として 日本に送った。彼らは終戦まで小樽に抑留された。ベンの父親はその内の一人だった。 彼らは一軒の家に住まわされた。警官の監督下で暮らした。戦争末期、日本人も 食べ物に不自由する中で、彼らは食料の配給を受けていた。しかし環境の違いから 、年輩者の多くは日本の暮らしに適応せず、小樽で死んだ。 べンの父親は戦後、長い船旅の末にアリュ−シャンに帰ってきた。しかしアッツ島に 戻ることは許されなかった。僕はベンに、アッツ島には戻らないのかと聞いた。 合衆国はそれを認めない、とベンは答えた。理由は鳥の保護のためだと言う。 鳥は住めるが自分は住めないないと言い、笑った。 (アッツ島には合衆国沿岸警備隊の基地と、鳥類を研究する施設がある。)(中略) 現在島は、人間の影響を排除する鳥獣保護区として管理されている。 アリュ−トが島に戻りたいと願い出たとき、エコロジストはそれに反対した。 島の生態系を人間の手から守ると言うのがその理由だ。 アメリカは生残った僅かな先住民の願いは聞き入れず、生態学者の 意見を取り入れて、ここを保護区とした。
以上バトル・オブ・アリュ−シャン抜粋



雨具は漁師用のを羅臼漁協の勧めで購入した

ウエアはアウタ−、アンダ−、及び靴下などの小物は共にパタゴニア社の 製品を用いた。行く先がパタゴニアだからだ。ドライス−ツはゴアテックス 素材のコ−カタットを採用し、オプションで小用フアスナ−とソックスをつけた。 低い気温と水温のパタゴニアで、ゴアテックスのドライス−ツは有効だった。 通気性があるので身体が濡れず、暖かい。雨具は新しく開発された、従来よりも 二割ほど軽いウレタン素材の漁師用雨具を知床の羅臼漁協の薦めで購入した。 漁師ガッパ世界中どこにでもあるが、日本製が最も優れている。寒い地方で 雨具に求められる性能は、通気性よりむしろ防寒性だ。 ナイロン素材の雨具は身体に張り付き、体温を奪う。漁業用の雨具は完全防水で 素材が厚いため、身体に張り付かない。何よりも土砂降りの雨の中で 、地面に座って酒を飲める。
以上バトル・オブ・アリュ−シャン抜粋


ホ−ム