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らうす千一話


逓送殺し

大泉四郎は立刈臼久田久太郎の内縁の妻遠藤サワの私生子遠藤サヨ(当時19歳)の内縁の夫として、大 正十一年十一月より久田家に同棲していたが、久田久太郎はリュウマチのため体が自由にならず、遠藤サ ワは当時十二歳から二歳までの三男一女があって思うように労働も出来ず、大泉四郎及遠藤サヨもやや怠 惰方で家業に励まず、貧乏その極に達し家族八名は口糊に窮し殆ど餓死の状態となり、止むを得ず久太郎 勿論妻サヨは日稼ぎをなし又は雇いを売り、またサヨは「お前を夫にしたばかりにこんな貧困となった。
離縁をするから出て行け」と口説けば大泉四郎も閉口してしまう形となる。 「お正月も来るのにどうするの」と再三サヨの苦情に大泉四郎は遂に意を決し、「俺が大正八年十二月から十 年十月まで小林さんに奉公した時の清算をしてもらって来る、そうしたら何とか正月も過ごせるだろうか ら」と家族を欺いて大正十年十二月二十七日家を出た薫別小林栄吉さんに奉公した事は事実であるが、 その実金の取り前は一銭もなかった。途方に暮れた大泉四郎は植別方面にふらふらと歩を進めながら 遂に郵便夫を殺害して金円を強奪すべく決意したのである。三十日午後四時、大泉四郎は植別の 三浦漁舎より薪割斧を窃取して薫別郵便局逓送人一戸四郎を追尾し山道を約二十町を進行したが 遂にその機会を得ず不能となった。しかし大泉四郎はその決意を継続して大正十一年一月五日又しても 「小林さんから稼賃を貰って来る」と欺き、自宅を出発し植別山道のウエベツ川橋の上手路傍に 前三十日夜隠しておいた三尺二寸の長柄斧を取り出し、一戸四郎を殺害せんとした場所に持っ てきて笹の中にそれを隠し、自分は三浦漁舎に潜伏し八日午前十時頃鈴木宅を出発し山道に来たり、 隠してあった斧を携帯して逓送人の通行を待ち伏せていた。
午後六時頃になると第二号逓送夫葛西藤三郎(当時二十三歳)が安全ランプを燈して山道ホロムイ橋に さしかかった。この時大泉四郎は後ろ追いつき同行連となり葛西を先にして歩かせた。 ちょうど清水橋に掛からんとする刹那、大泉四郎は用意していた長柄の斧を振り上げ「えいっ」とばかり 葛西の左頭部を斧の峯で殴
打した。葛西は「わっ−」と大声を上げ一撃のもとに前方に転倒した。大泉四郎は尚もその頭部を乱打し遂に
死に至らしめ、背負って居た郵便行嚢二個を奪い取り死体を路傍に棄て、斧は笹の中にすて行嚢を橋の袂 で開いたところ三円の小為替一通あったのみとか。あの当時はこの話で村中戦慄したものです。
(当時札幌絞首台が新設され大泉四郎は第一人目の絞首者である)

これ以後人食い船長事件まで殺人に関する記録はありません。昭和に移り39年頃、 羅臼はイカ漁景気で沸き上がっていました。イカを追って本州のイカ船が船団を組んで 羅臼に集まり札びらが舞った時代です。その時に殺傷事件が起こっています。 自警団まで結成し住民の身の安全を守っていたのです。東京オリンピックが開催されたころです。 その頃の話は又後日。



難破船長人食い事件
国後蝦夷騒動記
逓送殺し
ヤオイタさん熊公と格闘
ヒグマと私
ハンタ−の死・九死に一生…
昔話1・思い出
昔話2・私がこの村に来た頃
昔話3・羅臼岳登山記




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