オホ−ツクの海に生きる

文・幸田 文・型染版画 関屋敏隆

99年 第17回ブラテイスラブア世界絵本原画展 ピエンナ−レ金のりんご賞を受賞。
さかな
1966年大学2年のときはじめて 北海道へ渡る かに族のはしりです。 海岸沿いの風雪にたえた 色のない家並み 辺りの風景は 寒々としていた。 そのときの足跡を絵巻き物にまとめたのが上図。 セセキ温泉ののコンブ干し場の一部に 野営をしていたら番屋のおばさんが でてきてせっかくきたんだから これでも食ってけやとりんごと コンブの干したのをくれたのが 今でも消えない記憶である。 羅臼の浜で出会った東京芸大の日本画を出た 札幌在住の佐藤秋水さん、沖縄から来たという 青年と3人で羅臼の浜で『知床旅情』を歌った。 その時の感動が関屋さんに「日本を歩いて絵かきに なるんだ」という決意を固めさせる。 関屋さんは小柄で痩せてますがエネルギ−が 詰まっています。フアイトの塊です。 30年間奥さんに生活を支えられた貧乏画家です。 一途で几帳面で頑固で厳しく、プライドが高いです。 人情家で義理堅く涙もろいのです。 北斎、山下 清に憧れ、 リヤカ−を改造、鍋、テント、旗、画材、着替えを積み 全国を放浪しました。出発のときはさすがの奥さんも 恥ずかしくて見送らなかったそうです。 貧乏なんですが卑しくないのです。 人の情をいっぱい受けました。でも甘えないのです。 真剣勝負で生きてきた胆の座った気迫と押しの強さがあります。 そんなこんなの関屋さんの直向きな努力が 少しずつ実ってきたようです。 今年は『ぼくらは知床探検隊』が全国課題図書に指定。 今は次回作広瀬大尉の南極探検に取り組んでいます。 羆 01.3/30 つぎへ

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