昔話






思い出

村田栄三郎
吾等の郷土羅臼は遠く寛政年間から和人の来航に依って漁業の開発が年々進みました、 羅臼川一番地(川の中)には当時又十藤野四郎兵衛が曳網で数百石を獲取したという話を その当時の船頭川越善兵衛翁の在世中の実話で聞きました。その頃の漁師達は漁期が終わ ると皆根室町とか内地方面へ切り上げて行き、倉庫や物品の管理の為に番人として二,三人 を残こし越年させたものです、このような番人連中がこの村に土着する先祖となったらしく この人たちは現在いずれも故人です。丁度日清戦争の終わった明治29年の春富山県生地町 鱈延縄業の漁師達が大勢移住してきた、又一方根室町方面の事業家達も、色丹、離党方面の 鱈釣りをして居たが目梨漁場に着目して試験的に鱈釣りを行なったのであります、その結果 は予想外の大漁で棒鱈に製造する等、発展の第一歩を踏み出したのです、当時雑魚の親方と しては、笠間忠蔵、飯島吉五郎などで富山県の親方は笹小屋を作り懸命に釣物をして儲け たらしいです。こうして働いて切り上げの当たり金は漁夫一人100円から130円くら いでこの額は色丹や離党方面の商売より約二倍近いものであったそうです。 その後雑漁の親方も増加し笠間や飯島の他に、中陣、小倉、板倉、湊屋、八幡、萬屋、 森下、小倉常次郎、浦崎、松田と順次増したわけです。 当時、漁船はほとんど川崎船で漁夫の身支度はと云えば先ず赤毛布の「チャンチャコ」 に赤毛布の腰蓑、甲掛草草履でネルの三角の上をさらに手拭で鉢巻をし沖の瀬まで八丁 櫓で押して午後4時頃には鱈を満載して掛け声勇ましく帰港すると言った具合で実に勇 壮な姿でした。こうした漁獲が向上する一方羅臼温泉が設備され、又道庁の命令定期船 として千五百トン位の船が毎月3回函館網走間を航海し、往復とも羅臼に寄港し、重要 な地点として認められ俄然有名になったわけです。 次に定置業の方では松田、長川、篠田、菅原、池田、安保、田邑上、八木、石黒、木村 、高井、 と大きな親方が居ました。大正5,6年頃になると竹内長次郎氏が青森市沖五商店の冷蔵 船を呼んで鮮魚の運搬を始めました、従来塩引きでなければ食べられなかったものを一匹 八十銭位で現金で買入れ新鮮な味覚を乗せて東京方面に輸出されるようになり都人も喜び 又、本村産業上一大発展をしたものです。勿論鮭ばかりでなく大鮃、章魚、鰈なども輸出 され都人の食膳を賑わし喜ばれました。話は前後しましたが明治の末期から大正の初めに 掛けて冬に鰊が獲れたものです、2月初旬から3月末まで山なす流氷が押し寄せて青い海 を見ない日が幾日も続くこともありますが「出し風」が吹いて流氷の間が切れると其の切 れ目に小鰊が居ると言うので曳網のような道具で二隻の船で囲んで枠の中に入れ白がい々 の海陸に勇ましい沖揚音頭で小鰊の沖揚げをしている光景はとても素晴らしかった。 又陸では浜辺の雪を固めて粕を広げると誠に綺麗に干揚がるのです。そしてそれらが百石 五百円という高価で積み出されるので定置も雑漁も冬鰊を予定して年の暮れに人夫を手配 してから正月を迎えていたと記憶してますね。 次に村勢の方では郡総代、村総代と云うのが各2名位選任され村治の為に奔走せられ吾々 の先輩であるこの総代さんの働きは実に偉大なものでした。小さな村とは云え、役場、 警察、郵便局、学校、病院、寺院、漁業組合、営林区など整備されて居り、回漕店として は堀江嘉平氏、玉置栄次郎氏の両店があって、堀江氏は郵船の取り扱い玉置氏は社外船の 取り扱いをし、羅臼艀会社と云うものも出来るなど一応機関は整って居ました、私共は大 正3年にこの村に移って来たのですが当時の商店は東谷、桂田、岡村、村上、山久鈴木、 道居等の商店が盛んに函館、根室方面から仕入れて百貨を扱っていました。 暫くして住民の六割までが富山県人で団結も固く県人特有の不撓不屈の精神は漁業の豊凶 に屈せず生産の向上に努めたのでした、その結果対象8年時の漁業組合長四十物武助氏の 時代に生産額100万円の祝賀会が盛大に挙行されたことも今回脳裡に強く刻まれ、今日 の生産額3億5千万円組合加入数四百四十余戸と云う盛況に及んで轉た今昔の感を深くします 現在は総じて動力船に替わり年々膨大な生産額に達し漁具の改良とか製品の加工とかも進 展しましたが乱獲の弊もないとは云えません、其の点識者は能く認識して特産昆布礁の増 設、又鮭鱒の孵化事業にも大いに施工し協力を要するでしょう。 昭和4年8月札幌の加藤幸吉氏に依って陸上交通機関の花形フオ−ドのセダンが山道に二 條の轍を印感激の羅臼入りをして以来、道路、橋梁の改修もなされ現在にも欠くことの出 来ない機関となっています。 最後に電気のことですがこの発電事業の竣工には当時の村長平澤氏痩せる思いで悲痛な努 力あった事は忘れ得ないものがあり水力発電の今日あらしめたのは実に平澤氏であろう。 時に昭和7年11月始めてこの村の電化を見たのであります。 *羅臼村郷土史より転載

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