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第四章 魚の城下町、第2世紀へ 羅臼まちづくりレポ−ト 平成12年、羅臼町は100年の記念式典を祝った。 100年前の明治34年、羅臼は標津外6ケ村こ戸長役場より独立し ひとつの自治体として歩み始めたのだ。 そして、この年は奇しくも20世紀最初のとしとなった。 それから100年の風雪を耐え、世界が21世紀を迎えると同時に 羅臼町も第2世紀へと歩み始めた。 知床半島の町羅臼。豊かな漁業のまち羅臼。 第2世紀はどこに行こうとするのか。 |
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「ルシャモン」とは、知床連山からルサ川を通って根室海峡に吹き下ろす風のことだ。 あまりの強風に船の転覆を招きかねないと、地元の漁師に恐れられている。 平成13年1月14日。この日のルシャモンはとりわけ厳しく、1月9日からルサ地区で 行なわれている第6期「カムイ・チカプ・アカデミ−」の受講生たちに一層、過酷な条件を 与えていた。 「カムイ・チカプ・アカデミ−」は、羅臼町教育委員会が平成6年から企画運営している キャンプなどの野外活動の指導者を養成するプログラムだ。 ![]() 羅臼町が位置する知床半島は、日本最後の秘境といわれ,原始的な自然色濃く残している。 天然記念物のシマフクロウやオオワシ、オジロワシ等貴重な野生動物も多く、町では世界自然遺産 登録への働きかけが進められている。抱える自然の希少性が高いほど、保護と活用、保全と共生 といった人間と自然との関わりのあり方をいかにすべきかという難問から避けて通れなくなる。 特に羅臼町は町域の約半分が国立公園で、人間が開発を許された地区は、海岸沿いの ごくわずかでしかない。それだけに豊かな自然の賢明な利用=ワイズ・ユ−スの思想が どこよりも求められた。 一方で、自然の持つ教育的な価値、野外体験の教育的な意義が、近年、高く評価されるように なってきた。インタ−ネットに代表されるメデアの発達によって、「仮想空間」が広がるにつれて 、「現実社会」の確実性がゆらいでいる。そうした中で、自然という人為によらない空間での リアルな体験の意義が見直されているのだ。 知床の自然のより賢い利用と野外教育、自然教育の実践。そのための具体的なステップとして 羅臼町が手がけたのが、野外活動の指導者の養成であった。町主催の講座といっても、 一般の公民館講座のような簡便なものではない。受講料は無料であっても、 研修期間は2ヵ年に渡り、羅臼町での実習はのべ25泊29日間にわたる。 中には厳冬期のキャンプ生活や100キロチャレンジハイクという耐久訓練が含まれている。 本気になる体験から自分の殻を破り新しい自分に気付く この日行なわれていたのは第6期の研修生8名が、羅臼の小学生6名を招いて、実際に 雪中キャンプを行なうという実習の2日目だった。しかし前夜、行なわれるはずだった 雪中キャンプは、強い「ルシャモン」によって中止となり、子ども達は、アカデミ−本部 として使っているかってのサケマスふ化場の建物に投宿した。 一夜明けた今日になってもryシャモンは収まらず、知床連山から吹き下ろす横殴り風は 、錐で刺すような寒さをもたらした。それでも研修生たちは、本部のそばに立つ標高300メ−トル ほどの無名山への登山を決行し、吹雪の中をカンジキ姿で歩みだした。 勿論、この山行は、何度も下見が繰り返され、十分、安全が確認されている。 それでも万全を期し、研修生と小学生たちの隊列のあとにこのアカデミ−の指導員6名が 、およそ200メ−トルほどの距離をおいて、付き従い、さらにその後を、このアカデミ−の 運営をおこなっている北海道野外教育振興財団の講師2名と羅臼教育委員会の担当者が 付き従った。 アカデミ−の運営は、北海道野外教育振興財団の指揮監督の下、前年第5期の卒業生が 指導員となって進められる。ルサ川のほとり、カムイ・チカプ・アカデミ−で見られる 指導員と研修生に関係は、高校、大学などの授業風景と大きく異なる。野外活動での プログラムとその実行は、ほとんどすべて研修生に委ねられ、指導員の指導は行き詰まった ときのアドバイスやヒントの提示に抑えられている。 キャンプ中のさまざまなプログラムには、キャンプ全体のコンセプトにそった各種の「ねらい」 がある。研修生たちは、深夜まで議論を積みかさねながら、プログラムを組み立てていく。 ![]() 実際に参加した受講生の山崎牧人さん(札幌学院大学4年・キャンプネ−ム「マック」)は言う。 「今回の耐寒キャンプのコンセプトは『本気になる体験から、自分の殻を破り、 新しい自分に気付く』というものでした。それをどうやって導いたかというと、今の子どもたちは 日頃、どんなことを考え、どんなことを感じているのか、一人一人の意見を出していったのです。 それをグル−プ別にまとめ、その中から、『今の子どもたちは本気になる体験をしてい ないんじゃないか』というのが出され、今回のコンセプトになっていった。このコンセプトつくり には、めちゃくちゃ時間をかけたんです。ほらぼくらは普段、こんな突っ込んで話すことはないし そんな場もないじゃないですか。プログラム自体よりも、こうしてみんなと話し合ってプログラム を作ることの方が楽しかった」。 『本気になる体験から、自分の殻を破り、新しい自分に気付く』という全体コンセプトを実現 するため、「1.自分を出すため、きっかけを作る」「2.自分を出しやすい環境の中で、 今の自分に気付き、なりたい自分を見つける」「3.自分で考えてみたことをやってみることで 、新しい自分に気付く」という3つのねらいが用意された。雪中登山は、2と3の「ねらい」を 実現するものとして考えられた。コンセプトとそれに到達するための「ねらい」。そして 「ねらい」を実現するためのプログラム、一見、青少年たちの自由なキャンピングに見える アカデミ−は、全体がこのような体系に基づいて運営されている。 キャンプなどの野外活動の教育的効果が注目されるようになってきたのは比較的最近のことだ。 欧米ではYMCAやボ−イスカウト、ガ−ルスカウトなどの伝統があったものの、遊びとして 受け止められてきた野外活動が、教育の一分野として体系的に理解されるようになったことの 代表例に、アメリカ人ナチュラリストJ・コ−ネルが、昭和54年に発表した自然や環境を ゲ−ムを通して理解、体験させるプログラム「ネイチャ−ゲ−ム」がある。 「ネイチャ−ゲ−ム」は野外活動の発展段階をフロ−ラ−ニングと呼ぶ4つの発展段階に 分け、体系的なプログラムを構築したことに特徴がある。日本では昭和61年度に 「ネイチャ−ゲ−ム研究所」が設立され、平成2年度から指導員養成講座がはじまった。 この「ネイチャ−ゲ−ム」を代表に野外活動の教育効果に対する研究が活発になり、 欧米では種々の団体がさまざまなプログラムやカリキュラムを提唱するようになった。 こうした団体の中の最大なものに「アウトワ−ド・バウンド・スク−ル」(O・B・S)がある。 これはドイツ人教育学者クルト・ハ−ンの「若者たちに大人の考えを強いるのは間違っている。 しかし、経験を強いるのは大人の義務である」とする教育理念に基好き、昭和16年にイギリス に設置された青少年の海洋訓練学校から始まり、現在、世界23カ国42校が開校している。 一方、ネイチャ−ゲ−ム」にみられるような野外活動の体系的な組み立ては、すぐに大学の 研究対象に取り込まれ、日本体育大学、筑波大学など教育学、体育学の一分野として積極的に 研究されるようになった。 「カムイ・チカブ・アカデミ−」の創設から関わって来た青少年野外教育振興財団の小野寺蔵氏は 筑波大学で野外活動を研究してき田人物で、現地でヂレクタ−として指導に当たっている財団の 萩原正利氏は「アウトワ−ド・バウンド・スク−ル」の修了生である。 アカデミ−のプログラムは、羅臼町の経験に、小野寺氏の研究成果、そして萩原氏が終了した 「アウトワ−ド・バウンド・スク−ル」の積み重ねから生まれている。 野外教育は野外の活動を通して人を育てていくこと アカデミ−の研究生と子どもたちは、吹雪の中、本部近くの小山を尾根づたいに登った。 標高300メ−トルほどの名もない山といっても、知床連山の末端にあり、風によって 強く曲げられた立ち木に環境の厳しさを想像させた。 |
たとえ教育のためとはいえ、小学生の子どもたちを、このような過酷な条件にさらすことは、 都市の常識ではではない。5泊6日にわたって子どもたちが知床半島を探検する「ふるさと少年 探検隊」を実施してきた羅臼町だからこそ行えるプログラムだ。
「ふるさと少年探検隊」は昭和58年から17回にわたって続けられている行事で、小学校4年 以上のの「わんぱく隊」と、6年生から中学校3年生までの「チャレンジ隊」は5泊6日にわたって 知床を探検し、海岸沿いのガレ場、難所をくぐり抜け、知床半島の先端に到達する。 アカデミ−の全カリキュラムを修了した者は「羅臼野外体験指導員」に登録され、「ふるさと少年 探検隊」の引率にあたる。 耐寒キャンプの一環として、冬山登山をプログラムしたのは、第6期の研修生達の自発的な 決定だ。一見か過酷とも思えるこの登山を思い立ったのは、研修生自身が前年の10月27日から 3泊4日の日程で行なわれた研修で「100キロメ-トルハイク」経験したからだという。 これは、100キロの道のりを24時間を目安に、不眠で完歩することを目指す過酷なプログラムだ。 「(100キロメ−トルハイクで)自分がよくわかりましたね、俺ってこんなやつだったんだ、って 、驚いたということがあります。つらくって、途中でやめたくなるじゃないですか。そうすると 、こんな時に、俺ってあきらめようとするのか、発見するんです。グル−プで歩いていると、 あいつ、今こんなことを考えている、それがよくわかるんです。つらい状況だから、自分が見えるし、 周りも見えるようになる」。こう話す鈴木寿宏さん(北海道大学院1年、キャンプネ−ム「トム」) は耐寒キャンプの時にはカウンセラ−となった。 「僕たちが辛い状況の中で自分を発見したように、子どもたちにも、気付いてほしかったですね、 過酷な条件の中では、誰もが本気にならざるをえない。その本気の体験の中から自分を発見して いってもらいたい、そんなねらいがあったんです。キャンプにはそれぞれいろいろ目的があって 、いろいろなねらいがありますよね。でも、その目的をぼくが直接言ってはダメ。 『こうやって、みんなが協力したから、できたんだ。協力って大事だよね』というのは ぼくのセリフではない。カウンセラ−というだけあって、インストラクタ−ではない。 技術を教えるものではない。『祐子ちゃん、どう思った。やってみたらどうだった』とか、 子どもに目的を感じさせる。気づかせる。でもそのことが、とっても難しいんですよ」。 鈴木さんが再三口にする「気づき」こそが、アカデミ−を理解する鍵となる言葉だ。 「(アカデミ−)の一年で、僕は変わった。誰かに言われて、誰かに教わって変わったんじゃない 。気がついたんです。気づかされた。教わったら、多分僕は変わらなかったと思う。 羅臼で、いろんな活動をして、いろんな話をして、自分でこういう人間だったんだ、知らなかった 自分が、1年ですごく見えた」それを受けて、山崎さんが続ける。「そう、教えてもらった 事はすぐに忘れる。でも自分で気づいたことは、たぶんこれからも忘れないでしょう、一生の 宝となって」 財団ヂレクタ−の萩原正利氏は言う。「自分が体験して感じる、ということをがつかめれば、 自分たちが指導者となって、子どもたちにプログラムを提供する時に、『体験から学ぶ』 ということをどう伝えればいいのか、がわかる。野外教育というのは野外の技術を 教えることではないんです。野外という活動を通して人を育てていくことなんです」。 それでもこの学校には学校本来の豊かさがある 吹雪の登頂と異なり、山頂からの下山は、美しいものになった。 雪の斜面を尻で一挙に滑り降りる。歓声を上げながら、雪煙を巻き起こし、真っ白に なって滑り降りる子どもたちを、ゴ−ルでしっかりと抱きとめる研修生。中には勢いあまって 研修生を押し倒してしまう子も。あたたかな体温のぬくもりが、この登山ではじめての笑い声 を生み出した。下山すると、子どもたちは冷えた体を温めなおすため、カウンセラ−を担った 2人の研修生とともに本部の建物に入り、残りの研修生は、暖をとる間もなく、テントの 設営と夕食の準備にかかった。止むことないルシャモンからテントを守る雪の壁の構築が 終わった頃、子どもたちが再び呼び出され、子どもたち自身の手によるテントの設営が 始まった。昨日できなかったテント泊りであり、そのための雪壁の構築である。
強風によって、テントが飛ばされそうになることもしばしばで、設営が完全に終わった時 にはすっかり日が落ちていた。キャンプ最後の夜をテントで過ごすために、さらに過酷さを 体に刻まなければならない。それが知床であり、羅臼町ルサというフィ−ルドであった。 アカデミ−を運営している羅臼町は、近い将来、日本でも野外教育、環境教育が大きなうねり になることを予想し、そのためのフィ−ルドとして羅臼を提供すること、そして、 そのための指導者を準備しておくこと目的に、アカデミ−をはじめた。 事業計画書の謳い文句とは別に、アカデミ−を通して、羅臼町に対して思いを抱いてくれる 若者を増やしたいのだという。
石田純一さん(札幌市・自営業28歳)は、第1期アカデミ−に
参加し、第2期で終了、「羅臼野外体験指導員」になった。「僕らの時代から見るとアカデミ−は内容も高度になっているね。僕らの時代は、内容が アバウトというか、はじめの頃だったから、どんなことをやのるか、僕らもわからない。 向こうもわかっていない。今の君たちが、気付いたということを、僕は羅臼野外体験指導員 として、『ふるさと少年探検隊』のカウンセラ−をやらせてもらう中で、ようやく気が付いて きたもの。それだけに、羅臼のことを忘れてもらいたくないし、できれば、ずっと関わって いてほしい」。
アカデミ−ではトムと呼ばれる
鈴木さんが振り返る。「一番よかったのは、自分を
見つめられたし、自分を発見できた。それは、周りに仲間がいたというのもあるけど
、羅臼という場があったということもあるんです。今回は通過したんじゃなくて、羅臼に
延べで1ヶ月も住んだということ。これは大きいですよ。昆布番屋の人と話したとか、
人と人とのつながりをもてた、それだけでも大感激ですよ。だから羅臼は自分の中で
これからも大事にしていきたい。いろんな人と出会い。感じられ、気付けた、という
すごく充実した一年だった」。
学校という言葉にあたたかさを感じられなくなったのはいつ頃からだろう。
元来、学校は豊かな場であった。羅臼町のカムイ・チカプ・アカデミ−には、黒板一つない
。それでもこの学校には、学校本来の豊かさがある。もともと学校は人生を学ぶところであり
、人の生は、それ自体、豊かなものなのだ。
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