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銀の海峡 海峡の詩
最後の秘境・知床羅臼の世界


第三章   民族の波濤 魚の樹下町千年の物語

日本地図を見るとき、知床・羅臼は日本の東端である。 しかし、一度、地球儀を北極点から見ると、 羅臼の海がユ−ラシア大陸に続いていることが見える。 記録が残っていない時代、 そして倭人が進出し、文字による記録が残されるようになった時代 いずれの時代にも、羅臼の海は 幾多の民族が行き交う海だったことが知られている 東端の羅臼から見るとき、新しい歴史の地平が見える。



…民族の波濤−江戸時代…
海峡争乱
クナシリ・メナシの戦いロシアの影

北海道目梨郡には羅臼町があるだけだ。
目梨郡は全国的にも珍しい一郡一町の郡である.

メナシはアイヌ語で「東方」を意味し、元来は現在の北方領土から知床半島、根室地域 一帯を指した。それが時代とともに範囲が狭められ、現在では羅臼町の町域と一致して しまっている。今ではめったに用いられることのなくなった「メナシ」だが、寛政元年 (1789)、松前で、そして江戸中で、衝撃と恐怖を持ってこの地名が語られた。アイヌ 民族最後のほう起といわれるクナシリ・メナシの戦いが、この年、ここを舞台に行われ たのだ。

慶長9年(1604)に成立した松前藩は、家臣に北海道各地の漁場の経営権を与えた 。米の取れない蝦夷地では、他藩のように年貢前を家臣に分けることができなかったの だ。漁場の経営権を委ねられた家臣は、次第にその権利を商人にあずけてけてしまう。 こうして漁場の経営権を握った商人を場所請負商人という。

クナシリ・メナシ乱の当時、メナシ一帯を支配したのは飛騨屋という商人だった。飛騨 屋は、北海道のエゾマツ、トドマツを江戸、大阪に送る商売によって巨万の富を蓄積し た。木材商人であった飛騨屋が漁場経営に乗り出したのは、松前藩が飛騨屋への借金返 済のために、メナシの漁業権を20年の期限付きで貸し与えたからだった。飛騨屋は漁 業に慣れていない上、期限内に利益を上げようとアイヌを酷使した。 そんな折、国後島のアイヌが、倭人から薬代わりにもらった酒を飲んだところ、病状が 急変、まもなく死亡するという事故がおきた。相前後して、倭人からもらった飯を食べ てすぐに果てたアイヌの娘板いた。倭人の番人の中には、働きが悪いと毒殺すると脅か す倭人がいて、相次ぐ同胞の死に、追いつめられたアイヌたちは、寛政元年(1789) 5月7日の夜、国後島泊村の運上屋を襲い、ついに決起した。

鳥
厚岸アイヌの長イトコイ
鳥
国後アイヌの長ツキノエ

鳥

国後島を制圧したアイヌたちは、、対岸のメナシに渡り、同地のアイヌ人およそ200名 を集めて、次々と和人の陣屋を襲撃した。羅臼町城にはオロマップに番屋があり、8人の 和人が襲われている。ほう起したアイヌ人は、松前藩の反撃を予想して、各地にチャシを 構え、戦闘態勢に入った。報告を受けた松前藩もすぐに臨戦態勢をとり、264人の鎮圧 隊をノカマップ(現根室市東部)に上陸させた。決戦は目の前だ。

そこに現れたのが厚岸アイヌの長イトコイと国後アイヌの長ツキノエ。二人はほう起軍を なだめ、首謀者の首をさし出すことで、乱を治めた。倭人を殺した罪で、アイヌ37人が 処刑され、その首は松前の立石野でさらし首になった。
事件の後、ほう起の原因を作った飛騨屋は罷免。事態を重く見た幕府は、寛政3年(17 91)に隠密を派遣し、事件の調査に当たらせた。そうして、この地での和人の横暴を知 り、アイヌ民族救済のための交易「御救交易(おすくい)」が行われた。

この事件を契機に、豪遊を謳われたメナシアイヌは完全に和人の支配化に組み敷かれるこ とになるのだが、事件の背景にロシアの影を指摘する向きもある。17世紀を通じて勢力 を東へ東へと広げていったロシアは、元禄10年(1697)にカムチャッカ半島に到着 、さらに千島列島に向かって南下を始めた。クナシリ・メナシアイヌが衰退していったの も、和人の搾取ばかりではなく、背後地であった千島列島の支配権をロシアに奪われたた め、とする説もある。クナシリ・メナシの戦いの10年前、安永8年(1779)、ロシ ア人イワン・アンチ−ピンおよびシャバ−リンを長とする一隊が厚岸に上陸し、通商を迫 る事件が起きた。そして、クナシリ・メナシの戦い4年後の寛政4年(1792)、ロシ アの使節アダム・ラックスマンが女帝エカテリ−ナなの国書を携えて、日本に交易を求め 、バラサン海岸に姿を現した。

徳川の時代を終わらせ、明治の時代を導いたのは、ペリ− の黒船に代表される欧米列強のアジアへの進出だった。そして徳川の体制が裂けていく最 初の裂け目がこのメナシの海から始まったのである。しかしその裂け目には、 和人とアイヌ、両民族の悲しい歴史があったのだ。

国後騒乱もう少し詳しく
国後島に立つ・現代の国後島の様子



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