
大人(たいじん)の羅臼日記
ようこそ!キラワールドへ
プロフィール
大人(たいじん)くんは食客待遇の仲間になるかどうか
の微妙なところで、実は彼外国の傭兵経験もあるんです。
ひょうきんなところがあるので思わず雇った
という気がしますが、髭を生やし銃を持って
鹿を撃った写真を持ってます。
どこか開発途上国のようなのんびり
した光景でした。
その国で教えて貰って作ったというたという
海鼠(なまこ)のお守りもみせてもらいました。
葦で船を作ることも覚えててきたそううです。
セセキ温泉で自動シャッターで写真を撮ろうとして
デジタルカメラを海中に落としたと言って知床倶楽部に
帰って来ました。礼文で習ったというコンブで作った船も
びしょぬれでした。
大人くんはウトロの酋長の家でアルバイトをしている
のですがシーズンが終わったらどこで居候させてくれる
ところがないだろうかとマキちゃんに話していたというのを
聞いて羆が興味を持ったということです。
染物もやるそうで関屋先生の絵本に興味を抱き
10月に来るといったら是非会いたいという事も
縁の始まりです。さてその後はどう進展しますことやら。
by羆
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「大入り」12/18
14日、漁港へ行って、山親爺カメラで船の写真を撮りました。
知床倶楽部のある三幸ビルを撮った写真を見ながら、絵を描きました。
マキさんにホワイトボードをもらいました。ホワイトボードは書いては消して、また書くことができる便利なものです。
会話でいつももどかしい思いをしているので、こんなうれしいものはありません。
夜はホワイトボードを持って手話サークルに参加しました。マキさん、ホワイトボードをありがとう。
15日、昼からひかりごけの洞窟で「大入り」パフォーマンスをはじめました。
洞窟のなかで山親爺カメラを地面において、山親爺カメラに向けて、懐中電灯で「大人」を宙に書いてみました。
山親爺カメラ側から見ると、「大入り」を書いているように見えます。
私はここでは「大人(たいじん)」とよばれています。たいちゃん、たい坊とよばれています。
「大人」を鏡に映すと「大入り」になります。
ごはんをたべているところの壁には仙台四郎の肖像がかかっています。仙台四郎は仙台に実在した福の神です。
仙台四郎の顔はニコニコしています。
私は自己顕示欲が強いために、よくないことをしたときに自分から悪い結果を招いてしまうことがあります。
身から出た錆です。そんな自分の鬱屈した思いを晴らしたいために、
洞窟のなかで「大入り」パフォーマンスを思いつきました。
16日、天候が悪かったので、洞窟のなかで「大入り」パフォーマンスをするのはやめて、
パタパタのおもちゃを制作しました。
マスターが制作している様子を見て、
「飽きてきたら将棋をやろう」
と言いました。
しばらくして将棋を指しに行ったら、マスターは競馬に夢中になっていました。
「あと2分待ってくれ」
17日、朝食後、洞窟で「大入り」パフォーマンスをしました。天候も悪く、露光時間は20分以上もかかり、懐中電灯を持つ手
が疲れました。撮影後、粉雪が降ってきました。山親爺カメラ(黒いブリキの空き缶)のボディに雪がついて、
結晶のかたちがよく見えました。
ひかりごけの洞窟は、幕末の探検家の松浦武四郎が5月5日に仮寝したところです。
はじめて羅臼や洞窟を知ったのは、武田泰淳の「ひかりごけ」を読んだからでした。洞窟に向かう道を歩いていると、
番屋の黒ずんだ板張りの壁に、キリストの降臨を黄色い地に黒いペンキで書いたブリキの板がはってあるのをよく見ます。
秋の初めに羅臼に来たとき、番屋のそばの浜で昆布干しの作業をしていました。武田泰淳の「ひかりごけ」
を読んだばかりだったので、昆布干しの作業を見てキリストが昆布を干しているのを想像したことがありました。
夕方、夜はパタパタのおもちゃを制作しました。
18日、朝食後、洞窟で「大入り」パフォーマンスをしました。
天井につららがたくさん出来ていました。鍾乳石みたいできれいでした。
3日間も「大入り」パフォーマンスを続けたので、これ以上続けると神秘主義に傾倒してしまいそうです。今日できりあげました。
夕方はパタパタのおもちゃを制作しました。
夜はトイレのなかで写真を現像しました。居候部屋は元スナックバーなので、トイレの中は真っ暗で暗室にはもってこいの場所です。
北の国から入国審査官の仕事をろくにやらず、熊の湯や羅臼展望塔をあるいたり、関屋先生のイラストをシルクスクリーンで刷ったり、マスターと将棋を指したり、洞窟で「大入り」のパフォーマンスをしたり、トイレのなかで
ヘッドライトをつけてこもったりしました。
あやしい居候でした。知床倶楽部、そして食べ処いわみ、羅臼のみなさん、ありがとうございました。
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「代償」12/13
午前中、手話の指文字表にカタカナをつけました。今度は一文字ずつ原版をつくって、固有名詞のように手話では表せない単語を
この原版をつかって並べてみようと思いました。つくっているあいだ、パタパタのおもちゃのアイデアがひらめきました。
昼間は純の番屋に行って、山親爺カメラでセルフポート写真を撮りました。シャッターが開放しているあいだ、懐中電灯をカメラに向けて光の絵を描く
アイデアも浮かびました。
夜、熊の湯まで歩きました。観光ホテルまでは外灯で明るかったが、羅臼ビジターセンターの新築工事現場から熊の湯までは星明りだけの暗い道でした。
あがけばあがくほどいろんなアイデアがひらめいてしまうのだが、他人にかけた迷惑は埋め合わせられなくて申し訳ない気持ちです。
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「純の番屋」12/12
あがいています。
冬本番です。
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「手拭いの袋詰め」12/11
お歳暮用の手拭いを袋に詰めました。表は「いわみ」と印された手拭いで体を拭いている熊の影絵、裏は黄色い月とふくろうの絵になるように、
手拭いを畳みました。そして熨斗紙をつけて袋に入れました。
ちなみに熊の湯手拭いは、表は関屋先生のイラスト、裏は「ゆ」の指文字と温泉マーク、そして知床倶楽部のホームページアドレスをつけた小さな紙を
入れています。
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「勘繰りなど」12/11
最近は悩んでいたので、日記をつけるのが億劫になっていました。
まず海千山千という言葉から。
この意味を知らないで、ほめ言葉のつもりで「さすが海千山千ですね」と言ったら、相手は怒ります。
日本語を勉強しないと恥をかきます。
どんな言葉を使うときも、ちょっと待った!という気持ちが大事なのですね。その言葉の使い方を間違っていませんかと。
マスターに「常識はどんな意味ですか?」とたずねました。
「辞書を引いてみなさい」が答えでした。
私の場合は非常識ではなくて、常識はずれなところがあるね、とマスターは言ってくれました。
とても優しいマスターです。
それから、わたしのいけないことが2つ。ひとつは勘繰ることです。
みんなが自分と同じものを見たり、聞いたりして、判断を持っているわけではありません。
勘繰りを辞書で引いてみました。勝手な想像をめぐらして、相手が何かよくないことをしたかのように疑うことだそうです。
逆に、自分が何がよくないことをしたかのように疑うときは、どんな言葉をつかうのでしょうか?疑心暗鬼でしょうか?
日本語は難しいです。
まわりに気をつかっていないようで、気をつかうので大変なことです。
もうひとつは、がまんができないことです。
だだをこねる子どもだったため、いまでも欲望のブレーキがきかなくて、常識はずれなことをしてしまうことがあります。
我慢ができる人は力のある人かもしれません。
というのは、このごろ自分の非力さを痛感しています。
さて7日はお歳暮用の手拭いにつかうための木綿晒を100枚に切りわけて、夜から刷り始めました。8日の夕方と夜は
マスターとマキさんと3人で刷って(写真、ひげをそりました)、9日の夜に100枚刷り終えました。昨日から袋に詰めています。今日中に終えます。
熊の湯手拭いは原版の制作から始めて、刷り終えて袋に詰めるまで1ヶ月かかりました。今回はとても早いので驚いています。
9日に近くの米屋の店先に並べている正月飾りを山親爺カメラで撮りました。正月飾りを入れているビニール袋が邪魔でした。
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「飲食店の街並み」12/06
朝5時半に起きて、外に出てみたら、曇っていたので、展望塔にのぼるのはやめました。朝から雪が降りました。熊の湯に行くのもやめました。
午前中はお歳暮用のシルクスクリーンの原版を制作しました。バインダーが届きました。
午後は山親爺カメラで、店の全体を撮りました。この写真は飲食店の街並みの絵をかくためにつかいます。
夕方、夜は木綿晒を切りました。
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「熊の湯の露天風呂の縁台から」12/05
展望塔から撮った写真を現像して、朝食後、また山親爺カメラをかかえて、熊の湯まで歩きました。
熊の湯の露天風呂の縁台から見える光景を撮りました。
熊の湯の駐車場のそばのキャンプ場も行ってみました。雪が深く積もっていました。
この日、展望塔まで往復4キロ、熊の湯まで往復7キロ、全部で11キロも歩きました。
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「日の出6時37分」12/05
6時15分に店を出て、20分で羅臼展望塔までのぼりました。日の出6時37分に間に合いました。
はじめての日の出の写真です。
向かいの薬局のおかあさんにもらった空き缶でつくったピンホールカメラ(山親爺カメラ)で撮りました。
左側に漁港の埠頭、右側に日の出がみえます。
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「山親爺カメラ」12/04
午前中、熊の湯手拭いの袋詰め作業を終えました。
薬局のおかあさんにもらったまるい缶でピンホールカメラを製作しました。空き缶の内部を茶色いラッカーで塗って、電動ドリルで
丸い窓を開けて、裏から針穴をあけたアルミ板をとりつけました。空き缶には山親爺の意匠がついています。
山親爺は熊の愛称で、雪紋のなかにスキー板を履いた熊がサケをかかえています。山親爺カメラです。
夕方、店に将棋盤が届きました。マスターと将棋をとりました。2回やって、負けました。
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「羅臼温泉遊歩道」12/03
朝食後、ピンホールカメラをかかえて熊の湯に行きました。
いつもは車が通る道路を歩いていきましたが、
観光ホテルのまえの駐車場から熊の湯までつながっている、羅臼温泉遊歩道を歩いていきました。
雪が深く積もっていて、
人間が踏んだ足跡がありませんでした。遊歩道を歩いていったら、鳥の足跡と羽の跡が雪に残っていました。
ピンホールカメラで撮ろうと思い、観光ホテルのまえの駐車場に戻り、工事用の木の柵から棒を抜いて、
それを一脚代わりにしました。
雪に残った鳥の足跡と羽の跡は浅く、あとで現像してみたら、真っ白で写っていませんでした。修行が足りません。
撮影を終えて、遊歩道を歩いて、熊の湯までめざしてみました。山をのぼって、
途中道が分からなくなることがありました。
熊の湯のそばを羅臼川が流れているので、川に沿うように山道を歩いていきました。
熊の湯が見えてきました。一人の男が入っていました。私が雪の深い山から下りてきたので、
熊と間違えられて、その人はびっくりしていました。
熊の湯から店に戻ったときは日が早くも暮れていました。店にはケビンさんという英語の教師が来ていました。ケビンさんと
外国語の話をしました。また外に雪が降りました。店は早く閉店しました。
少し寝て、夜9時から1時まで熊の湯手拭いを袋につめる作業をしました。
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「熊の湯手拭いのホームページ」12/02
夕方、夜は熊の湯の手ぬぐいのホームページを編集しました。
http://www.shiretokoclub.jp/sekiyatenuguikuma.html
1年前の今日の夕方はペルーから帰国しました。
成田空港で荷物を調べられて、正露丸をこぼしました。
荷物のなかは正露丸くさくなりました。
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「熊の湯の周辺の写真」12/02
熊の湯の手ぬぐいのホームページに載せるために、ピンホールカメラを抱えて熊の湯に行きました。
ライダーハウス白樺から工事中の羅臼ビジターセンターまでの道は午前中しか日が当たらないので、凍っていました。
知床観光ホテルの前は舗装道路の工事をしていました。
雪道に落としていた木の影は青かったです。雪の積もった面の上の雪玉を観察していると、
青い影や反射光などがよくわかります。学校でデッサンを学んでいたときに陰影の描き方を知識として学んでいましたが、やはり
実際に体験してみないと分からないものです。影は青いのだということを誰かに教えたくなりました。
熊の湯を渡る橋から川と脱衣場を望む写真を撮りました。
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「熊の湯の手ぬぐいのホームページ」12/01
昨日は熊の湯で撮影を失敗したので、今日もう一度撮りなおしました。今度はうまく撮れました。ただし、
出来上がった写真は手ぬぐいが遠くに置いているようにみえました。昨日の写真のようにもう少し手前に置きたかったです。
昼過ぎに部屋に戻って、手ぬぐいにアイロンをかけました。
夕食後、マスターが熊の湯の手ぬぐいのホームページを制作しました。
このホームページに熊の湯の手ぬぐいと熊の湯の周辺の雪景色の写真を載せました。
これから熊の湯の周辺の雪景色の写真を撮って、ホームページに載せていきます。
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「熊の湯手ぬぐい100枚達成」12/01
昨日の朝は雪が降っている外で烏賊徳利の凧をなくして、雪がやんだあと探しても見つかりませんでした。
落ち込んでいたら、マスターが熊の湯に行って気分転換してくるといいと勧めてくれました。午前中に熊の湯の手ぬぐいのシルクスクリーン
を刷って、昼過ぎにピンホールカメラと手ぬぐいを抱えて、熊の湯に行きました。初めて歩いていきました。
片道1時間ぐらいかかりました。熊の湯のまわりの雪景色は撮りたいものがたくさんありました。
熊の湯に着いて、手ぬぐいを湯船から湯がこぼれているような感じに置いて、ピンホールカメラで撮影しました。
この日はピンホールカメラがぶれてしまって失敗しました。
熊の湯から店に戻ったときは日の入りの時間になっていました。
夕食後、写真の現像と熊の湯手ぬぐいの制作を続けて、夜は手話の講習会に行きました。
マキさんはこの日は店を休んで、昼はタコを釣りに行っていました。夜はマキさんも手話の講習会に来ました。
手話の講習会の最終日で、クイズと茶話会をしました。クイズは渡辺先生が参加者の特徴を手話で表現して、
それは誰のことかを当てました。参加者がはじめて手話で自己紹介をした気持ちを渡辺先生がとらえていました。
名前をなかなか覚えることが出来ない私には及ばないことでした。茶話会で熊の湯の手ぬぐいの予約が早くも入りました。
手話の講習会を終えた後、熊の湯の手ぬぐいのシルクスクリーン制作の最終段階に入りました。
指文字の「ゆ」の裏に温泉マークを刷りました。夜1時まで続き、目標の100枚を達成しました。
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「烏賊徳利の凧を探しています」11/30
今朝起きたら、日の出の時間を過ぎていました。展望塔に上るとき、スキー場で凧揚げをしようと思って、
烏賊徳利の凧を持って外に出てみたら、雪が降っていました。
ピンホールカメラと凧を持ったまま、展望塔に向かいました。手袋をしていかなかったので、小学校のところまで歩いて、
手がかじかみ始めました。それで展望塔に上るのはやめて、小学校のまわりの景色を撮ることにしました。
羅臼川沿いの歩道の柵の透かし彫りに雪がたまっているのを見て、雪のシルクスクリーンみたいだなと思い、
それを撮りました。それからピンホールカメラは手前から奥までピントが合います。これをパンフォーカスといいます。
この写真を撮っていたのは、小学校の登校時間でした。こんな雪が降っているときにあやしい箱と烏賊徳利の凧を抱えている自分は
バカではないかと思ったりしました。
さて、撮影を終えて店に戻って、開店準備をした後、烏賊徳利の凧を撮影の現場に忘れてきたことに気づきました。朝食後、凧を探しに現場に戻ってみましたが、
何度探しても見つかりませんでした。落ち込みました。
烏賊徳利の凧を見つけた方は知床倶楽部まで連絡をお願いします。
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「千字文」11/29
今朝日の出が出る時間に雪が降りました。日の出が見られないので、展望塔にのぼるのはやめました。
朝食後、空になったちり紙の箱でピンホールカメラを作ってみました。箱にミシン目が入っているためか、
光が漏れやすくカメラには不向きでした。
店の向かいの薬局のおかあさんからサッカーシューズを入れるバッグをもらいました。黒いので、
ピンホールカメラを入れるには便利です。
夕方から夜まで熊の湯手ぬぐいを制作しました。熊の湯手ぬぐいは1等のものを100個を目標にしています。
やはり量だけではなく、クオリティーも上げていきたいです。
となりでマスターが千字文を写していました。
千字文は漢文の長詩で、四字を一句とする250個の短句からなる
韻文です。全て一字も重複していないので驚きました。
250個の連凧が空にあがっていくのを想像しました。
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「また長靴」11/28
今朝から展望塔に上って日の出を撮ろうと思いました。しかし寝坊してしまい、展望塔までのぼったときは1時間遅れてしまいました。曇っていました。
おとといはピンホールカメラの位置を縦にしたので、横にして撮りました。
露光時間を長めにして撮りました。
昨日のお店の前の長靴の写真が露光アンダーでお店のドアが写っていなかったので、今日もう一度撮りなおしました。
ドアの横の気圧計まで写りました。
日が暮れるのが早くなり、夕方から電光看板に明かりをつけました。
夜は熊の湯手ぬぐいを制作しました。今月末までには終えたいです。
来月からお歳暮用の手ぬぐいを作るからです。
いまの手ぬぐいの制作の合間に次の手ぬぐいの準備にとりかかりました。
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「長靴」11/27
29になりました。
松下電器創業者の松下幸之助と同じ誕生日です。
誕生日のプレゼントにマスターとマキさんから長靴をもらいました。ママからはお店の中で履くスリッパをもらいました。
お店の前に長靴を置いて、ピンホールカメラで撮りました。露光アンダーになりました。
誕生日プレゼントをありがとう。
これからピンホールカメラの撮影は、この長靴を履いていきます。
展望塔をのぼる坂で、小学校の屋上を見下ろせるところからピンホールカメラで撮影しました。
ピンホールカメラは道路の標識の柱にガムテープでくくりつけました。
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「国後島展望塔」11/26
朝食後、段ボール箱で作ったピンホールカメラを2台かかえて、国後展望塔まで歩いてのぼりました。
坂道は完全に除雪されていませんでした。道が滑りやすく、車で上るのは危ない道だと思いました。
歩いて30分ぐらいかかりました。
雪に残った動物たちの足跡やわだちを見て、それを撮るのはピンホールカメラの露光時間の勉強には
なるのではないかと思ったりしました。露出計は雪面の反射に敏感に反応して、
露光アンダーに振れてしまいがちです。露光アンダーでは写真は暗くなってしまい、陰影の段階が見えなくなってしまうので、
撮るときは露光時間を長めにかけて写真を明るくするか考えたりします。
国後展望塔から町全体と羅臼岳が一望できました。双眼鏡のうえにピンホールカメラを乗せて、
撮影にとりかかりました。
1台は横と縦を間違え、もう1台は針穴をあけたアルミ板がダンボール箱のカメラ本体から外れてしまいました。
でも横と縦を間違えた方のカメラで撮った写真はあとで現像してみて、まあまあの感じで撮れていました。
夕方から夜までシルクスクリーンの制作をしました。
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「合板の厚さ」11/25
ホームセンターへ行って、いつも買っているベニヤ板より厚い
合板を買いました。厚さは8ミリあります。カッターナイフでは切り抜けないので、糸鋸とキリを買いました。
買い物から帰ったら、注文していた印画紙が届きました。以前、ピンホールカメラで試しに使っていた印画紙は
コントラストが強く、中間のグレーが出ていなかったので、少し軟らかめの印画紙を注文していました。
さっそく印画紙をピンホールカメラに入れて、ラウス橋から羅臼岳に向かって撮影しました。雪が降る前の景色を
まとめて撮れなかったのが残念です。これからは雪景色の写真でまとめてみようと思います。
夕方は合板を切り抜いて枠を作りました。カッターナイフで薄いベニヤ板を切り抜くのも大変でしたが、糸鋸で合板を切り抜くのも大変です。
今度は頑丈で、メッシュを強く張っても反れません。
夜、熊の湯へ行くと、道が完全に除雪されていませんでした。駐車場で、帰りの坂道が滑りやすそうだねとマキさんと
話していたら、キツネが寄ってきました。人間がエサをあげてしまったのでしょう。マキさんが「かわいそうに」と嘆いていました。
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「はじめての雪かき」11/25
昨日は籾殻のようなあられが降り続いていました。
ホームセンターに行って、ラワンのベニヤ板を買いました。
ラワンのベニヤ板の枠を切り抜いて、メッシュを張ろうとしましたが、枠が反れたりしてうまく張れませんでした。
関屋先生の使っている原版はシナベニヤ板製です。
シナベニヤ板とラワンのベニヤ板は堅さと緻密さがちがうのでしょうか。
ホームセンターはラワンのベニヤ板しか売っていません。
夕方、注文した本が届く。エリック・ホッファーの「波止場日記」。
今日の朝はあられがやみ、店の前を雪かきしました。初めての雪かきです。掻き退けた雪を道路にまきました。ゴミを集める車が通りました。
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「散髪とあられ」11/23
朝から冷たい風が吹いていました。階段にたまっている枯葉を掃いても、下から風が吹いてくるので、
枯れ葉が階段を上ってきます。
午前中、近くの道路でトラックが横殴りの風でひっくり返りました。そんなとき、
熊の湯手ぬぐいのシルクスクリーンの原版をだめにしてしまいました。メッシュの目がつまったので、洗い過ぎて
グランドシートをぼろぼろにしてしまったのです。昼からもう一度作り直しました。
夜、店でマキさんとママが私の髪を見て、散髪の話をしていました。それでマキさんに髪を切ってもらいました。
外はあられが降っていました。
散髪を終えた後、熊の湯へ行きました。散髪をしたときTシャツ1枚になっていたので、そのままの格好で外に出るのは
寒かったです。そして湯船に入る前に肩にたまった髪の毛を洗い流しました。
石鹸の泡にあられの粒々がついて、鳥肌がたちました。
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「凧」11/22
凧をイカと呼ぶところがあるそうです。烏賊のかたちをした凧もあるのではないかと思い、調べてみたら、函館に「いかのぼり」という
凧がありました。ほんとうに烏賊のかたちそのままで、三角形の頭に家紋らしいのが印され、胴体は大漁の髭文字、
10本の足は上から青、黄、赤に塗られていました。
昨日は熊の湯手ぬぐいのシルクスクリーンの原版を少し補修して、今日の午後まで30枚分刷りました。
夕方からは烏賊徳利の凧の試作を始めました。
子どもの頃、父が凧を作っていたのをそばで見ていましたが、自分で凧を作ったことはありませんでした。
夜中に車の走っていない通りで試作したばかりの凧を揚げてみました。風が強く、凧は風を受けながら、
空中に真っ白い円を作っていました。風が向きを変えると、凧のとんがった頭の先が
私の頭にぶつけてきました。
それは痛かったです。
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「ウユニ」11/21
1年前のおとといの昼はラパスで催涙弾の空襲に遭って、夕方は大統領選挙のデモ騒動から逃げるようにウユニに向かいました。
翌朝、ウユニの小さな町に着いて、塩湖をまわるツアーに参加しました。
ツアーコンダクターのおばさんがいい加減な人で、朝には出発する予定が夕方近くになってもなかなか出発しようとしませんでした。
旅行会社の前の車に乗ってやっと出発するかと思うと、とつぜん別の車に乗り移らされました。
それはツアーコンダクターが自分で食べるお菓子の買い物につき合わされただけで、
旅行会社の前に戻ると、さっきの車に乗れと言われて、私たちは業を煮やしました。
そんなツアーコンダクターを説得して、町を出発するようになったのは日が暮れ始めていた頃でした。
塩のホテル「プラヤ・ブランカ」に到着したときは日が沈んでいました。
ホテルの壁は岩塩のブロックで出来ており、内部のテーブルと椅子とベッドも塩で出来ていました。
電気がないので、夜はろうそくを灯しました。
1年前の今朝は、ホテルの外で白い塩湖を背景にして、
コロニアオキナワで買ったしいたけと昆布で作った作品をチチカカ湖の葦船のおもちゃに乗せて、写真を撮りました。
午前中はホテルの管理人の子どもと折り紙で遊び、
午後はツアーと合流してイスラ・デ・ペスカ(魚の島)をまわり、夕方はウユニの町に戻りました。
そして夜はバスに乗って、ウユニを出発しました。
ラパスには戻らず、オルーロでコチャバンバに向かうバスに乗り換えました。そのバスのなかで
リュックザックを盗まれてしまいました。
リュックザックのなかは日記と辞書と会話帳と住所録とカメラと何本かのフィルム、
そしてペルーの宿の主人にもらったポルノ雑誌が入っていました。
いま、こうして当時の日記が書けるのは家族や友人に送ったメールが残っていたので、
それをもとにして再現ができるからです。大人の羅臼日記のプロフィールの上に載せているチチカカ湖の写真や
ボリビアの空軍基地の写真のフィルムは
ラパスのマルコスさんに預けた荷物のなか、そして
塩湖で撮った写真のフィルムは胸ポケットのなかに入っていました。
パスポートやお金が盗まれなかったのが幸いでした。
さて次の日(22日)の朝、コチャバンバに着いた私は同じバスのなかにいたオーストラリア人の観光客に助けてもらいながら、
コチャバンバにいる友人と連絡を取りました。
翌朝、友人と一緒に警察に行って、盗難届けの書類を作成してもらいました。
警察を出て、友人にリュックザックのなかはポルノ雑誌が入っているから見つかったときは気をつけてと伝えて、ラパスに帰りました。
ラパスでマルコスさんに泥棒に遭ったことを話すと、
「それは大変嘆かわしいことです」
と私の代わりになってひどく落ち込んでいました。落ち込むはずの私が逆にマルコスさんを励まさなければならない
立場になってしまいました。
あれからリュックザックが見つかったという連絡はありません。
この日記を書いているあいだ、コチャバンバで一緒に警察に行った友人、高橋さんからメールが届きました。
ママニママニの展覧会が横浜で行われているそうです。
偶然なので、びっくりしました。
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「シンナー」11/20
スナックバーのように窓の少ない部屋で窓を閉めきって、シルクスクリーンの作業をしていると、シンナーのにおいが
たちこもってしまいます。時々ドアを開けて空気を入れ替えていますが、いまの季節、冷たい空気が
入ります。
シンナーは引火しやすいので、ストーブをつけるときは気をつけなければいけません。
今日は熊の湯の手ぬぐいを30枚刷りました。長くシンナーの臭いを吸い続けたので、目がくらみそうになりました。
特に寝る前はシルクスクリーンの作業をするのはやめようと思います。そしてバインダーにインクを混ぜて練るときは
外でやったほうがいいと思いました。
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「レビューガール」11/19
そとは日が沈むのが早くなりました。
洗濯物を元スナックバーの居候部屋に干しました。
物干し竿にパンツと靴下を垂らして並べました。
天井に取り付けられている、ぐるぐるまわる七色ライトで照らしてみました。
パンツと靴下をレビューガールに仕立ててショーはにぎやかになったものの、
洗濯物は乾きません。
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「腹痛と催涙弾」11/18
1年前の今日はラパスの大使館の近くで催涙弾が空から降ってきた日です。
その一週間前にコロニアオキナワを出発して、コチャバンバの高橋さん(ボリビアの空軍基地で一緒にターザンロープをした友人)
のところに寄って、それからラパスに戻りました。
ラパスにパックパッカーたちのとまる宿があり、コロニアオキナワに向かう前に、同じ宿に泊まっている日本人の大学生
の川上さんに荷物を預けていました。川上さんはアマゾン川にいる先住民の調査のため、
この宿に長期滞在していました。
ラパスに戻った日の翌日、川上さんと一緒に、高橋さんの紹介状を持って、
ボリビアで有名な画家のママニママニのアトリエを訪問しました。
ママニママニは地球万博のボリビア館に来たことがある親日家です。
アトリエは擂鉢状になっている都市の斜面にあり、砦のようなベランダからは町全体を一望できました。
ママニママニはクレヨン・スクラッチという、クレヨンでいろんな色を
塗った上に黒いクレヨンで塗りつぶしたあとに先を尖らせたもので
引っかく絵画技法で、アンデスの民話ををモチーフにした、とてもリリカルな絵を描いていました。
ママニママニのアトリエを出たあと、私たちは宿に戻りました。
宿に日本人の女子大学生たちが来ていました。彼女たちはここで数日泊まってから、ウユニの塩湖に向かうというので、
私も一緒に同行させてもらえませんかと頼みました。川上さんも私が彼女たちと一緒にウユニに向かって出発したら、
自分もアマゾン川に向かうつもりでした。
そしたら留守のあいだ荷物を預かってくれるあてがなくなるので、
近くの博物館でガイドをしているマルコスさんをたずねました。
マルコスさんは日本に留学したことがあるので日本語をよく知っていますが、初めて会ったときは怪しい印象を
持ちました。なぜなら初対面で、
「私は貯金という言葉を知っています」
といって自分は堅実な貯蓄家であることをアピールしたのは驚きました。いろいろ食事をおごろうとしても、
「私はワリカンという言葉を知っています」
といって遠慮したり、博物館でボリビアの歴史を語ってもらうにしても、
石器時代の説明が30分たっても終わらないぐらい説明が長いので、
その堅物な性格を信用することが出来ました。
マルコスさんの夢はラパスで日本人の安全を守る会社をつくることで、私と川上さんは投資しました。
さてマルコスさんが留守のあいだに荷物を預かってくれることになったので、彼の家まで荷物を運んで、
夕食をマルコスさんの家族と共にしました。
その夕食が災いしたのか、翌日になって腹痛と下痢を起こしました。
女子大学生たちと一緒にウユニに行くのをやめて、宿で休みました。
腹痛と下痢は3、4日続き、何を食べても吐いて、ベッドのうえで朦朧としていました。
女子大学生たちは私をおいてウユニに向かって出発して、川上さんはアマゾン川に行くのを延ばして、そばで
看病してくれることになりました。
川上さんが何か食べたいものはあるかときいてきたので、蜜柑とバナナが食べたいと答えたら、
寝て待っていてといわれました。それでしばらく寝たあと、目が覚めたら、枕のよこに蜜柑とバナナはなく、
パイナップルが横たわっていました。こんな皮の堅い果物をどうやって食べたらいいのか戸惑いました。
そしてある晩、とても苦しくなったので、川上さんを呼びました。川上さんとマルコスさんに肩を担いでもらって、
病院に向かいました。
日系人の病院で、白い病室の壁には盆栽のカレンダーが架かっていました。それはタルコフスキーの映画「惑星ソラリス」
に出てくる宇宙船のなかの一室で離れた地球に郷愁を憶えるような感じでした。
抗生物質を注射で打ったあと、苦しみはなくなり、のどが渇きました。
病院から宿に戻って一晩明けて、何を食べても吐き気がしなくなったので、川上さんは安心してアマゾン川に行く準備を
整え始めました。
翌朝、川上さんはラパスを出発しました。川上さんを見送ったあと、うどんが食べたくなったので、
大使館と大統領邸の近くの日本料理屋に向かって歩きました。
しだいに歩いていくと、何か騒がしくなりました。向かいから群衆がこちらに向かってわらわらと走ってきました。
群衆はみんな顔が笑っているように見えました。何事だろうと思っていると、群衆が走ってきた向かい側に爆弾音がしました。
空からは催涙弾が降ってきて、路上には黄色い煙が広がりました。玉ねぎを切ったときに涙が出るの数倍の刺激を
感じて、目がピリピリして痛くなりました。
群衆は笑いながら走ってきたのではなく、目を腫らしながら逃げてきたのです。この日は大統領の選挙が近いのでデモがありました。
自分は病み上がりになったばかりなのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだと、怒りを大統領邸と大使館に向かってぶつけました。
そして通り沿いのファーストフード店にいったん避難しました。
このことをあとでマルコスさんに話しました。
「私がいないから危ないです」
病み上がり後も心配していたマルコスさんに荷物を預けてもらい、催涙弾が降ってきた日の夕方にウユニに向かいました。
さて今日はピンホールカメラで羅臼橋から雪が白く積もっている羅臼岳と羅臼川を撮りました。
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「洪水に襲われた島」11/18
今年の4月24日はインドネシアのブルングロエ島にいました。ブルングロエ島は人口が500人足らずの小さな島で、
スラウェシ島のシンジャイという港町からチャーターボードに乗って行きました。
最初に書くのはその日につけた日記です。
朝7時ごろ港からチャーターボードに乗って、小さな島へ行きました。
港から離れていくと、だんだんマングローブ林がひろがって、海へ出ました。
蜃気楼の島がいくつか見えました。
トビウオがはねていました。
ブルングロエ島に着きました。
漁師にナマコのことを話して、ボードを出してもらいました。
海草を養殖しているところへ行きました。
海が透けて、サンゴがよく見えました。
漁師が海にもぐって、アミでナマコを三匹つかまえてくれました。
生のナマコをはじめてみました。
長さ20センチ、黒い。手にもったら、赤いスミがつきました。
ナマコは口と肛門がいっしょになっていると本で読んだことがあります。赤いスミは口と肛門から出ている?
そんなことよりもナマコと出会えたのが嬉しかったです。
服をぬいで海に飛び込んで、私もナマコをつかみました。
インドネシアで出会ったナマコはサンゴのきれいな海にいました。
ブルングロエ島に戻りました。生のナマコを手にもってくれる女の人を探しました。若い女の人はいませんでした。
おばあさんとおばさんが持ってくれました。
学校帰りの子供たちがたくさん集まりました。お母さんたちが「うちの子供を撮って!ほら、ナマコを持ちなさい!」
こどもたちはナマコを見て、キャーキャーさわぎました。
一人の男の子がナマコを手に持ったら、ズボンがずり落ちました。
お母さんがずり落ちたズボンを持ち上げているのがおかしかったので、それを撮りました。
ナマコもくたびれてきたのでしょう、ブシューッと口と肛門から塩水を出して、ドクンドクンと痙攣して、
口と肛門からゼラチンの腸をドロドロ全部吐き出してしまいました。
漁師の家で昼ご飯を食べたあと、折り紙を折ってあげました。玄関に島の子供たちとおばあさんたちが集まりました。
この島は外国人がめったに来ないので、みんな人懐こいです。
島を出るとき、島民たちが波止場で見送ってくれました。
「また来てねと言っています」
とガイドのサリーさんが通訳してくれました。
「サヤ マウ ダタング イニ カンベリ!!!(また来たいです!)」
とボードから叫んだら、島民たちはずっと手をふりつづけてくれました。
島から持ち帰ったナマコはシンジャイの港ではらわたをはいてしまったので、海にかえしてあげました。
インドネシアから帰国して、撮ったフィルムを現像しました。つぎは帰国直後の5月13日の日記につけた文章です。
悲しいかな、カメラのシャッターの調子がおかしかったのか、
フィルムに写っていないコマは夢まぼろしになってしまいました。
ナマコを手に持ってくれた女の子たちの戸惑った顔も、写真が出来たら送ると約束した人たちの顔も
フィルムから消えてしまいました。
フィルムに写らなかったのは虫の知らせだったのでしょうか、悲しいことが実際に起きたのはそれからでした。以下は7月1日につけた日記です。
利尻島に到着してから3日間雨が続いたが、昨日からやっと晴れて、昆布干しの作業が始まりました。
インドネシアではジョクジャカルタの地震に続く悲しいことが起きました。
昨日、インドネシアの友人(ガイドのサリーさん)がメールで知らせてくれました。
ナマコをとりにいくためにボードを出してくれた小さな島に大雨が降り、洪水がありました。
200人以上の死者が出ました。
ナマコを手に持たせたらズボンの紐が緩んでずり落ちた子ども、あわててズボンを持ち上げたお母さん、
ナマコを手に持ってくれた女の人たち、
集まった子どもたちの前で痙攣してはらわたを出してしまったナマコ、
島を出るときに波止場でずっと手を振ってくれた島民たち・・・
インドネシアから帰国して、フィルムを現像して、島内の様子が1コマも写りませんでした。
ただ、その島からボードを出して、漁師が海にもぐってナマコをつかまえてくれた写真は無事に残りました。
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「イカスミ色」11/17
烏賊徳利の凧のシルクスクリーンをセピア色で刷りました。
イカスミ色をイタリア語でセピアというそうです。
わら半紙ではよく映えないので、ホームセンターで障子紙を買いました。
白い障子紙にイカスミ色がよく映えました。
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「ピンホールカメラを作る」11/17
昨日からピンホールカメラをつくりはじめました。
手順は次の通りです。
まずアルミ板(ビール缶のアルミがよい)に0.3ミリの穴を針で開けます。
厚紙で出来た蓋と底箱の内部を墨で黒く塗って光が漏れないようにします。
蓋にアルミ板を取り付けるための小さな窓を切り抜いて、外側から取り付けます。
アルミ板の穴を黒いガムテープでふさぎとめます。シャッター代わりになります。
暗い部屋のなかで、底箱の底に印画紙をはって、蓋をします。
これで出来上がりです。
撮影をするとき、風などでカメラが動かないように固定する必要があります。
マスターが盆栽に使っている板(まな板でもよい)のうえにカメラを乗せて、ガムテープでくくりつけました。
三脚のかわりに脚立と魚を運ぶためのプラスチックの箱を使いました。
ピンホールカメラのシャッター速度を計ります。露出計を用意します。
まずピンホールカメラのf値を計算します。カメラの蓋に取りつけたアルミ板の穴から底箱の底にはった
印画紙までの距離を焦点距離とします。焦点距離を針穴の直径で割ります。次のような計算式になります。
ピンホールカメラのf値=焦点距離÷針穴径
(例:120mm÷0.3mm=400)
今度はピンホールカメラのシャッター速度を計算して出すために露出計でf値と速度を測定します。
そしたらピンホールカメラのf値と、露出計で測定したf値と速度を使って計算します。計算式は次の通りになります。
ピンホールカメラのシャッター速度=「(ピンホールカメラのf値)÷(露出計で測定したf値)の2乗」
×露出計で測定したシャッター速度
(例:f5.6 1/250の場合)
(400÷5.6)=71.4
71.4×71.4=5098
5098×(1/250)=20.4sec(秒)
露出計はそれが内蔵している別のカメラを使いました。厚紙で作ったピンホールカメラのそばで、
かたや露出計を内蔵している別のカメラでのぞいている様子は、通りすがりのものから見れば怪しいとしか思えません。
だから箱の中身をたずねられたときは返事に窮しました。
昨日と今日は知床倶楽部の外観を、通りの向かい側から撮りました。
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「津波警報」11/17
15日夜、千島列島沖を震源とする地震がありました。
私とマキさんは熊の湯に入っていました。
脱衣所にあがったら、ケイタイに父からメールが入っていました。
「津波大丈夫か?」
はじめ何のことかわかりませんでした。橋を渡って駐車場にもどって待っていたらマキさんが来ました。
近くのキャンプ場からアナウンスが流れて、車の数がいつもより増えていました。父からメールが来ました。
「テレビを見ろ、9時10分頃にそちらに来るといっている」
山のうえにいることと、まわりにテレビがないことを父にメールで伝えて、
マキさんにアナウンスの内容をたずねました。
マキさんが指文字で「つ」「な」「み」と答えてくれました。
父のいったことが本当だったことに気づき、マキさんは海岸に近い店にいるマスターとママに電話しました。
マスターとママはすでに店を出て山に向かっていました。
私たちは湯冷めしないように、車のなかにヒーターを入れました。しばらくして
近所の人の車に乗せてもらっていたマスターとママが来ました。
「大人、おなか空いていない?」
ママはおにぎりを持ってきてくれていました。
夜が更けて、アナウンスが流れてきました。
車がいっぱいになっていた駐車場から車の数が次第に減っていったので、
ふたたびケイタイでニュースを確認しました。
津波警告と避難勧告の知らせがニュースから消え、完全解除になったことを確認して、私たちは山をおりました。
この日記を書いていたら、マキさんが事実と違うと指摘しました。
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「冬タイヤ」11/15
この前の雪で道が凍って滑りやすくなりました。
昨日の朝、お店の車のタイヤを交換しました。
お店に来る野田さんが手伝ってくれました。
夕方からマスターとマキさんと私の3人でウトロに向いました。
前までは知床峠を越えて行ったのですが、冬のあいだは道が閉ざされているので標津と斜里を
遠回りしていかなければいけませんでした。
途中、山道があり、雪が残っていました。
ウトロでマスターは会議に出て、私とマキさんはマスターの会議が終わるのを待ちました。
行きはマキさんが運転して、帰りは私が運転しました。
今日はイカ徳利の凧のシルクスクリーンの原版の制作を始めました。
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「コロニアオキナワ」11/14
去年の11月7日の夜、ボリビアのコチャバンバのバスターミナルで友人に見送られて、
半日かけてサンタクルスに向かいました。翌日8日の昼ごろサンタクルスに着いて、
それからコロニアオキナワに向かうために、行き方を教えてくれる店を探しました。
コチャバンバの友人が納豆を買っている三浦商店に行きました。三浦商店は日本食品を扱っている店で、
サンタクルスに住む日系移住の人が買いに来ます。しいたけや昆布を売っていて、
それが珍しかったので買いました。店の隣は、
沖縄日系移住地の農業協同組合が運営しているスーパーマーケットがあります。近くに東洋人街の趣のある市場があり、
中国人のお店もあり、三浦商店の前を中国語や韓国語が通り過ぎていました。
さて三浦商店の主人の三浦さんと話をして、家族がコロニアオキナワに住んでいるので、
夜はそこで一泊させてもらえることになりました。日が暮れないうちにコロニアオキナワに向かいました。
コロニアオキナワまではサンタクルスからタクシーで2回乗り継いで行きました。真っ直ぐ続いている道路の
左右には青々とした畑が広がっていました。コロニアオキナワに近づくと門が見えてきて、門の看板には
「めんそーれ」と書かれていました。
コロニアオキナワは、太平洋戦争が終わったあと米軍の統治下にあった琉球政府が1954年から実施した移民計画で、
沖縄から移民してきた人たちが入植した「移民区域」です。そしてボリビアは南米大陸の真ん中に位置して、
まわりを海に囲まれていないので、コロニアオキナワは海のない沖縄とも呼ばれています。
コロニアオキナワにも三浦商店がありました。店のなかには学校から帰ってきたばかりの三浦さんの子どもと
奥さんのお母さんがいました。日が暮れてきたので、三浦さんの子どものバイクにまたがって、
家に行きました。家で子どもたちと一緒にアンパンマンを見たり宿題をみてあげたりしながら、
サンタクルスの三浦商店で買ったしいたけと昆布を使って作品を作りました。
次の朝(9日)、三浦さんの子どもたちが通っている日本人学校に行きました。学校の子どもたちは
白い体操着を着ていました。午前中はボリビア人の先生がスペイン語による授業を行っていました。午後からは
日本人の先生にかわるので、あらためて午後から見学することにしました。それまでのあいだ、
となりの移民資料館の図書室でしいたけと昆布の作品の続きをしました。図書室には日本から送られてきた小説や
漫画などあり、だいぶ使い古されていました。図書室に女性が入ってきて、私が作品をつくっているのを見て、
声をかけてくれました。女性は日本人学校で午後から授業を受け持つ先生で、私の作品に興味を持たれました。
それで午後から見学するつもりだったのが、小学校6年生のクラスを受け持つことになってしまいました。
学生のときに教育実習で行ったことと、絵画教室で教えていたことを思い出しながら、子どもたちに紙を配り、
外に出て木や壁などにフロッタージュをして、グリーティングカードを制作しました。
それから体育の授業があり、つぎはサッカーの審判をやらされてしまいました。ルールを知らないので、
子どもたちから文句を言われてしまいました。
授業を終えたあと学校を出て、三浦さんのところに戻りました。しいたけと昆布で作った作品を三浦さんの
奥さんのお母さんにプレゼントしました。
そしてコロニアオキナワを出発しました。「めんそーれ」が書かれた看板の門のところまで来ました。コロニア
オキナワを出て行くときは確か門の看板に「またおいでや」が書かれていたような気がしました。道路の左右に
海原のように広がる畑を見て、この異国の地に移住して様々な苦難を乗り越えて開拓してきたことに感動しないで
はいられませんでした。
夜はサンタクルスの三浦商店に着き、三浦さんにお礼を伝えて、長距離バスに乗ってラパスに向かいました。
さて昨日はイカ徳利の形をした凧の設計図を描きました。
隷書体で書かれた烏賊徳利と、たべ処いわみにあるひょっとことお多福の人形の絵を入れました。
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「ひょっとことお多福」11/13
昨日の天気は荒れていたので、店を閉めて、マスターとマキさんと私の三人でイカ徳利を作りはじめました。
頭と足を取りのぞいたイカの胴体を裏返して、一晩生乾きさせておきました。
今日の朝は晴れて,羅臼岳に雪が積もりました。
朝ごはんを食べた後、イカの胴体をふくらましました。納豆を食べたばかりです。
歯を磨いてから膨らました方がよさそうです。口ひげがべたべたしました。
ひょっとこ「次のシルクスクリーンの題材はイカ徳利にしてみようかな」
イカ徳利の書体を隷書体にして、お多福とひょっとこの絵を入れてみる。そして徳利の形をした凧を店の軒先に掲げてみる。
お多福「イカ徳利のセールなんてやってみようかしら。うふふふ」
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「与太者と色気」11/12
昨日の夕方は図書室で手話ソングとエプロンシアターの本を借りました。
手話ソングは手話にリズムと節をつけて歌います。
エプロンシアターはエプロンを舞台にした人形劇で、幼稚園や保育園などで取り入れられています。
手話ソングとエプロンシアターをあわせて、与太話をつけておかしくして、
さらには寄席芸の二人羽織みたいに展開してみたいものです。
今日は天気が荒れて、みぞれが降りました。
朝起きて、温泉マークのシルクスクリーンを作って、手ぬぐいの指文字表の「ゆ」の部分を裏から赤インクで刷りました。
そうすると、「ゆ」の指文字のうしろに温泉マークが浮かび上がっているような感じになりました。
線の太さも野暮ったくなく、なまめかしく表現できたのでしょうか。
熊の湯入浴十ヶ条
一、ここのお湯は二、三回繰り返し入りますとすごく温まりますので、ゆっくり疲れを取ってお帰り下さい。
(終)
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「イカの荷揚げ」11/11
朝6時すぎにマキさんと波止場に行って、イカ漁の水揚げを見てきました。
船のなかで網にすくわれた大量のイカは船のクレーンで持ち上げて、波止場で積み上げられていました。
山のように積み上げられたイカのまわりをおばさんたちが囲んで座りながら、選び分ける作業をしていました。
その光景は白い軟体動物ばかり出てくるシュールレアリズム絵画(特にイブ・タンギーの絵)を思わせました。
マキさんに借りたデジタルカメラでフラッシュを焚くか、
仕事の邪魔にならないようにノーフラッシュで撮影するか迷っていたら、うしろで荷台を運ぶ車がせわしかったので、
じっくり決めていられませんでした。
マキさんは波止場で働く人にイカを分けてもらいました。分けてもらっらイカをビニール袋に入れて、
お店に帰りました。開店準備をしようとしたら、猫のフックがイカのにおいに釣られて店に入ってきました。
今日初めてのお客さんは猫のフックでした。
イカ荷上げ風景
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「マキさんのウォールハンガー」11/11
昨日はマキさんがウォールハンガーを完成させました。
お店に来る漁師たちに冷やかされながらも頑張ってよくできましたね。
とても小さいウォールハンガーなので、どこにかけてくれるのかなと楽しみにしていたら、
いいところに目をつけてくれました。
椅子の背もたれの後ろにガラス玉と一緒にかけてくれました。
こげ茶色の皮を張った椅子に木綿の真っ白なウォールハンガーがよく映えていて、
さらに曇ったガラス玉がここが港町の喫茶店だということを物語ってくれています。
こんどは私も指文字表のシルクスクリーンの原版を完成させて、店の仕事を終えたマキさんに手伝ってもらって、
手ぬぐいに刷りました。
右がわに「あ」から「の」までの指文字を、中央に関屋先生の熊の湯のイラストのシルクスクリーンを、
左側に「は」から「ん」までの原版を置いて刷りました。
指文字の「ゆ」の部分に赤い温泉マークを重ねたら(手ぬぐいの裏側から刷ってみたら)、
もっと温泉に通いたくなるだろうなと思いました。
熊の湯に行ったら、お湯が抜かれていました。パイプ掃除のため入浴できませんでした。
それで近くの観光ホテルの浴場に行きました。観光ホテルのそばに羅臼ビジターセンターを新築していて、
建設工事の業者がホテルを利用しています。脱衣場でおまわりさんが取調べをしていました。
風呂からあがって、ホテルを出たら、海のほうの夜空が白く明るかったので、イカ漁の漁火を見に行きました。
蛍光灯よりまぶしい灯りが横に並んでいました。岸にいて本を開いても読めるぐらいの明るさです。
あんなまぶしい灯りのもとで漁をしている人たちは目が悪くならないだろうか心配です。
熊の湯入浴十ヶ条
一、湯船を掃除している時は手伝いをしてください。手伝いも出来ないぐらいお急ぎの方は入浴しないでお帰り下さい。
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「北海道の地名」11/10
大人です。
昨日の夜は手話サークルで北海道の地名の手話の表し方を教わりました。
ちょうど手元に店の本があります。
月尾嘉男先生の「未来フロンティア紀行」です。
本のなかに「アイヌの言葉に由来する地名は財産」という題目があり、内容はこう書かれています。
「地名は単純な記号ではなく、自然の状態を記述し伝達する言葉であった。(略)
(本州以南で)県名で列挙すると、青森は青々と展開する松林、長野は細長い原野、山口は山地への入口というように、
地形が地名に反映している事例に事欠かない。
古来、人々は土地と情報交換をしていたのである。」
さきの青森や長野や山口も手話で表すときも、そのまま表現します。
またはその土地にあるもの(特産品など)や特徴を手話で表現することがあります。
さて、北海道の地名の手話の表し方ですが、地名の漢字(蝦夷語と読んでよろしいのでしょうか)
を表現しているのがほとんどです。
たとえば、網走は「網」と「走る」、釧路は「金」と「川」の部首、
帯広は「帯」と「広い」というように表現します。
さらに指文字を使って、「羅臼」は「ら」の指文字と「臼」の手話に使い分けます。
「阿寒」も「あ」の指文字と「寒い」の手話に使い分けます。
私は地名の漢字よりも、アイヌの言葉に由来されていることを期待していました。
教わった手話のなかで感じたのはひとつだけありました。
それは「知床」です。「知床」は「シリエトク」に由来し「土地の突出した部分」です。
手話は指文字の「し」(カタカナのシの形をしています。シリエトクのシでもあり、
北海道の地形のようです)の人差し指の突出した部分を指します。
もし、「知床」が「知っている」と「床」というように漢字で表してしまったら、とても残念なことです。
というのは、アイヌ民族が文字を使わないために、
発音もあいまいな地名の呼び方が本来の意味と関係ない漢字の音読みで記録されてしまったために、
それをさらに手話で表現してしまうと、歪曲を重ねてしまいかねません。
たいへん危機的なことだと思います。
月尾嘉男先生の本の話に戻します。さきの題目で書かれた文章はこう締めくくられてています。
「道内に継承された数少ない伝統文化である地名を大切にし、ユビキタス社会を先導することは十分に可能である」
ユビキタスとは「生活環境のあらゆる場所に情報通信環境が埋め込まれ、
利用者がそれを意識せずに利用できる状態」のことだそうです。
アイヌ語で読むべき地名は、蝦夷語から取り戻して、発音は手話の指文字で表現するか、
アイヌが使ってきた本来の意味で表現するべきだと思います。
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「マキさんのロープワーク」11/10
大人です。
今日は手話の指文字表にグランドシートを貼って、「は」から「ん」まで切り抜きました。
知床倶楽部の手話通訳士、マキさんの趣味は海岸でガラス玉を拾うことです。
ガラス玉を縛っている古いロープをほどいて、仕事の合間に洗っています。
イカの漁師の内藤さんに縛り方を教わって、新しいロープで縛り直しています。
つぎはロープの結び方の本を買って、コースターやウォールハンガーなどを
つくりはじめています。
店に来るお客さんは漁師や海上保安庁、そしてガイドなどの仕事をしており、
みんなロープワークにかかわっている人たちばかりです。
だからマキさんが仕事の合間にコースターなどをつくっていると、
お客さんが冷やかしにきてくれます。そばで見ていて、楽しいです。
いま、マキさんはウォールハンガーをもうすぐ完成しようとしています。
ぜひ完成して達成感を味わってほしいです。
それからマキさんにレポートをおねがいしました。
北の国からパスポートの所持者の特典と心得にはこう記されています。
一、この旅券を持つものは、当該地区通用語に難解を感じた時、
当旅券を提示し、通訳を要請することができる。
マキさんのレポートより
大木さんと和田さん来店。
ロープワークを見て、網目の大きさがばらばら。結び目も動く。
漁師が網を作るときに使う道具はプラスチックや竹製のものがあり、これを使うとゆるみがなく、
編むことができる。(マキさんのはへなへなした紙製だったので、冷かされましたね)
和田さんが見本を作ってくれることになり、
大木さんはダイアモンドカッター(電動ルーター)で何分でガラス玉に穴をあけることができるか、
二人は宿題をもらって帰った。
明日また来るって!
雪のうえに穴を開けたガラス玉のなかにキャンドルを入れると、ガラス玉が熱くなり、
温度の差で割れてしまうそうです。
左、お客さんを待っているマキさん「だれか教えてくれないかなあ」
真ん中、和田さんとマキさん
右、10/3に来た海上保安庁のお客さん、ビールをグビグビしながらロープマジックを披露してくださいました。
熊の湯入浴十ヶ条
一、ここのお湯は飲用しても体に良いので是非飲用してください。
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「習慣」11/08
熊の湯入浴十ヶ条
一、誰もいない湯船に入る時熱かったら水を出しても良いが上るときには必ず水を止めてから上って下さい。
自分が入っている時、誰かが来てその人が止めるだろうという気を持たず出した人が必ず止める事
おととい別海のレストランのなかで置き忘れきた携帯電話が宅急便で届きました。
写真は別海のウルリー牧場のサイロのなかで行われた二胡の演奏会の様子です。
今日は手話の指文字表にグランドシートを貼って、「あ」から「の」まで切り抜きました。
切り抜く線の太さに気を使いました。
カッターを持つ手が疲れてきたら、いったん作業をやめて、
カッターから筆に持ちかえて、書道をはじめました。般若心経を写しています。
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「ボリビアのターザンロープ」11/07
大人です。 去年の今日はボリビアのコチャバンバにある空軍基地にいました。
その2日前にコチャバンバで土壁の学校を建てている日本人の友人をたずねました。
友人が居候している家の主人に誘われて、主人が勤めている空軍のお祭に行きました。
基地のなかに入ると、ピーナッツソース和えの牛肉の串刺しの屋台や的屋、メリーゴーランド、
さらにはサッカー台が十数台並んでいました。
友人と戦車に乗って、写真を撮りました。ゲバラとカストロみたいになりました。
このお祭で人気のあるアトラクションは、ターザンロープでした。
ベルトを体に装着して、高さが10メートルぐらいはあるタワーの上までのぼり、
真っ暗な部屋のなかでベルトにロープをつけて、飛び込み口に立たされます。
そして背中を押されて、夜空のなかを飛びました。
(下の3枚の写真は友人から借りていただきました。飛んでいるのは友人です)
あとで聞いた友人の話では、軍人のかけ声は「1、2、3!」ではなく、「1000、2000、3000!」で、
そのかけ声とともに飛び込むそうです。
この人気アトラクションは朝からずっと列が長かったそうで、自分の番が来たときは星がみえていたので、
よくロープが切れないでいて無事でよかったなと思いました。
基地のなかに日系人がいました。ボリビアは15歳から兵役があり、その日系人は軍隊に入ったばかりで、
顔ににきびがたくさんありました。
基地を出たあと、バスターミナルで友人に見送られて、コロニアオキナワに向かいました。
そのとき、バスの車掌がまだ乗っていない私を置いていこうとしたので、
普段は穏やかな友人が怒ってバスを追いかけて、車掌にむかって怒鳴りました。
さて今年の今日も店に山岳ガイドの佐藤さんが来て、崖に落ちている人を助ける方法の話をしてくれました。
自分が崖に落ちているとき、上から垂らしてきたロープを片手でとって、それを胴体に巻きつける方法を教わりました。
このあと、佐藤さんは札幌に帰りました。
今年と去年の今日はどちらもロープとかかわっていて、アクション映画に出ているような日でした。

熊の湯入浴十ヶ条
一、(準備中)
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「別海のウルリー牧場」11/06
大人です。
マキさんと別海に行きました。
途中、中標津のホームセンターでガラスカッターと椅子の脚につけるパイプなどを買いました。
空は曇ったり雨が降ったりしました。道から見える牧場はトド松が一列に並んでいて、葉はキツネ色につき、
枝は天に向けていました。
1974年の春、高校を卒業した大竹伸朗さんは別海のウルリー牧場にいました。
卒業間際、雑誌で読んだ記事に触発されて、葉書を出して、ウルリー牧場に来た大竹さんはそこで1年間牧場の世話をしました。
牧場の世話の傍ら、写真を撮ったり、絵を描いたりしていました。
そのときに撮った写真を中心に、水彩画、ドローイングを、ウルリー牧場内の改装したサイロのなかで展示していました。
サイロの円形の空間はモンゴルのパオのようです。
この日は二胡の演奏会に居合わせて、近所のおじさんおばさんたちが集まっていました。
お客さんに配られた歌集からリクエスト曲を弾いてくれるというので、私は「月の砂漠」をお願いしました。
さて大竹伸朗さんがこの展覧会のためにデザインしたTシャツも売られていました。展覧会のリーフレットのなかには彼自身による文章がありました。
「空いた時間には輝く草原で絵を描こう!・・・どころじゃなかった。(略)牛の糞でシルクスクリーンでも刷ってやろうじゃないかと思い始めていた。」
ところで小生は昨年高知の東津野村でヤギとニワトリの世話をしたことがあります。
鶏舎のなかでニワトリの糞をスコップですくいとりながら、夜は志賀直哉の小説を原稿用紙に写して、
いつかは鶏舎のなかの出来事を書いてみたいなと思ったりしていました。
日が暮れ始めた頃、ウルリー牧場を出発して、レストランでポークチャップを食べ、
マスターとママへのお土産のお菓子を買いました。
そのとき携帯電話をなくしてしまいました。まだ1ヶ月しか使っていないです。
外は大雨が降っていました。親切な人が拾ってくれるといいのですが...
(日記を書いているたった今、見つかりました。ポークチャップを食べたレストランのなかでした。あ〜無事でよかった・・・)
熊の湯入浴十ヶ条
一、湯船に水着で絶対に入ってはいけません。ここは浴場です。プールではありません。
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「熊の湯のイラストとガラス玉」11/05
大人です。
 昨日は「北の国から2002遺言」のビデオを見ながら、熊の湯のイラストのシルクスクリーンを制作しました。
シルクスクリーンの制作は前の昆布作業のイラストより細かく、特に文字を切り抜くのが大変でした。
赤いTシャツと白いTシャツに黒インクで刷りました。
イラストは雪が降っているので、白い地のほうがよかったです。
黒の単色刷りだけでは物足りないので、こんどはオオワシの口ばしの黄色い部分をアクセントに入れてみようと思います。
そしてTシャツのプリントは胸にあるといいか、背中にあるといいか選ぶのも難しいところです。
胸にプリントがあると抵抗を持つ方がいらっしゃいますので、エプロンもあるといいです。
熊の湯のイラストは文字が多いので、背中にプリントすると、張り紙のイタズラをしているみたいです。
つぎは手ぬぐいにも刷ってみました。熊の湯のイラストはどちらかというと手ぬぐいのほうが向いています。
今度は手ぬぐいのレイアウトを考えます。
今日はガラス玉に穴を開けようと思い、ホームセンターで電動ルーターを買いました。
ガラス玉に灯油をつけた紐の輪をのせる前に、輪をのせる部分をルーターで削ってみました。
電動ルーターの力があまり強くないので、ガラスの表面をただ削っているという感じでした。
とりあえず灯油をつけた紐の輪をのせて、火をつけてみました。
火が燃え尽きた後、水につけましたが、変化は見られませんでした。
せっかく買った電動ルーターなので、別の楽しみ方を考えました。
ガラス玉に文字を削ってみました。
前に関屋先生が海岸から拾ってきた黒い石に白い絵の具で「知床旅情」の歌詞を書いたことがあったので、わたしもそれに倣って削ってみました。
はじめは穴を開けたガラス玉のなかにキャンドルを入れるつもりでした。しかしガラス玉をキャンドルで囲う楽しみ方もあると思いました。
関屋先生の知床の動物たちのイラストをガラス玉に削って、キャンドルパーティーをしてみたいですね。
今夜は満月です。
でも今日は一日じゅう雲っていました。
夜なかに国後島展望塔に行ってみました。
国後島もイカ釣り船も暗くて見えませんでした。
そのあと熊の湯に行って、帰りに部屋にあがろうとしていたら、階段の踊り場に猫が座っていました。
前は酔っ払いが隣のスナックバーを間違えて部屋に入ったことがありました。
猫は私の帰りをずっと待っていたかのように、おとなしくしていました。
踊り場の奥のスナックバーからカラオケが流れていました。

熊の湯入浴十ヶ条
浴場には絶対にアルコール類は持ち込まない事
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「間欠泉」11/04
大人です。
昨日の昼、関屋先生からFAXでつぎのイラストが届きました。
昆布干しのイラストのTシャツを関屋先生に届けたあと、つぎのイラストを頼みました。
熊の湯温泉で手話をやっているイラストです。
熊の湯温泉は羅臼の露天風呂です。
湯船に入るまえに、補聴器をはずしています。
湯船のなかでおじさんに話しかけられても気づかなかったり、何を言っているのかわからないときがあります。
そんなとき手話が出来たらいいなと思いました。
だけど手話を知らない人はそのイラストを見て何をやっているのか分からないと思うので、イラストを頼むとき、子どもが指を使って「1、2、3・・・」と数えているイメージを付け足しました。
しかしFAXで送られてきたイラストは、湯船のなかでヒゲをはやしている男が雪空を舞い飛んでいるオオワシを見上げながら、となりの男と手話をしていました。そして湯けむりのなかからは文字が浮かびあがり、
「熊の湯の熱きに耐えて旅人とらうすの雪空に大わしが舞い」
と詠んでいます。
手話で歌を詠むとは思いつきませんでした。
関屋先生、イラストをありがとうございました。
イラストが届いた後、本を持っていって、自転車をこいで熊の湯の近くの間欠泉を見に行きました。
間欠泉は15分から2時間に1回温泉が噴出すところです。
噴き出すのを待つあいだに読書をしようと思いました。
持っていった本は『ぼくらのなまえはぐりとぐら、絵本「ぐりとぐら」のすべて。』です。
「ぐりとぐら」の生みの親である中川李枝子さんと山脇百合子さんの対談で、「ぐりとぐらの歌」を読者が自由に節をつけたり楽譜をつけたりして、同じのがひとつもなかったというのが書いてありました。
幼稚園や保育園で歌った節が、お母さんが歌った節と違うので子どもが不機嫌になったというのを読んで、自分も節をつけて歌ってみようと思ったら、間欠泉が噴き出しました。
4メートルの高さ、8秒間は噴き出し続けていました。
昔は倍以上に噴き出したことがあったそうです。
間欠泉から帰って、この日はエプロンを5枚刷りました。
熊の湯入浴十ヶ条
湯船に入っている人が(例えば十人いるとして)半分の人が熱いと言えば水を入れても良いが2,3人が熱いと言ってもその人達に従わなくてもよろしいです。
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「手話」11/03
大人です。
昨日は手話サークルにお客さんの佐藤さんを誘いました。
佐藤さんは山岳ガイド、そしてスキーのインストラクターをしており、この日は雪崩防止の柵の点検を終えたばかりでした。
人命にかかわる仕事をしているので、手話を学んでみませんかと声をかけました。
先週は数の手話を学びました。今週は時に関する手話を学びました。
前後の位置を表す手話と、前後の時間を表す手話が異なることを学びました。
手話サークルが終わりの時間に近づいたとき、佐藤さんが質問をしました。
「人を助けるときに使う手話を教えてください」
「助ける」という意味の手話は2つあり、人物を表す親指を片方の手のひらで支えるのと、
親指を片方の手で握って上へ持ち上げるのがあります。
前者は人が困っているときにバックアップしてあげるように使います。
後者はおぼれている人を助けているのを表しているように、人命にかかわるときに使います。
佐藤さんは立ち上がって、仕事で使うサインをやってみせてくれました。
佐藤さんは身長が2メートル近くあり、身振りも大きかったので、まわりに座っていた人たちはびっくりしました。
「川におぼれている人がいます。30分後にかけつけてください」
(本当はもっと至急を要したほうがいいのだが)
佐藤さんが身振りの大きいサインから手話に切りかえた途端、はて?と思うことがありました。
それは時間の分と秒の表現でした。
手話で使う時間の分と秒は、人差し指で点をはねるのと、人差し指と薬指を重ねて点をはねます。
それは大変小さくはねるので、人と顔を合わせる距離でも見間違えたり気づかないことがあります。
身振りの大きいサインは川の対岸にいる人には伝わりますが、
いまのような小さい手話は伝わりにくいと思いました。
でも手話は臨機応変がきくので、佐藤さんが使うサインに便乗して、
新しいサインや手話を増やしていくことができます。
このようにエコツアーのガイドやスキーのインストラクター、ダイバーたちも仕事に必要な手話を使えたらいいなと思います。
昨日は佐藤さんが手話サークルに参加してくれたので嬉しかったです。
熊の湯入浴十ヶ条
湯船に入って熱いと思ったら1回目はすぐに上がって上で休んでお湯をかぶりますと二回目からは熱く感じません。
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「チチカカ湖の畔で」11/02
大人です。
1年前のおととい(2005年10月31日)はボリビア側のチチカカ湖のほとりの町、コパカバーナから乗り合いボードで太陽の島に行きました。
太陽の島は月の島とともに昔から聖なる島として崇められた島です。
その島で葦船のお土産をみつけました。
葦船の帆には日の丸とRAUの文字が印されていました。
私は帆に日の丸がついていたことが気になりました。
お土産を並べていたおばさんに意味をたずねたら、知らないといいました。
太陽の島からコパカバーナに戻って、日本で葦船をつくっている石川仁さんにメールして、日の丸の帆のことをたずねました。そしてラパスに向いました。
1年前の昨日(2005年11月1日)はラパスに到着しました。
ラパスは巨大な擂鉢か月面のクレーターを思わせるような盆地に都市ができたようなところで、訪れる人は最初に町全体を一望できます。
擂鉢の斜面には貧民街が建ち並び、底には高級住宅街と高層ビルが建っています。
標高4082メートル。
1年前の今日(2005年11月2日)はラパスのパックパッカーの宿に荷物を置いて、ティワナクの遺跡に行きました。
ボリビアのチチカカ湖の畔で栄えたティワナク文化の遺跡で、トール・ヘイエルダールのコンチキ号の名前の由来になったコンチキ
の神像があります。
ティワナクの遺跡からラパスの宿に戻ったら、石川仁さんからメールが届いていました。
おととい太陽の島で見た葦船のお土産は、1970年に大西洋横断に成功したラーU世号の模型でした。
そして日の丸の帆は、古代エジプトの太陽の神「ラー」のシンボルだそうです。
その葦船ラーU世号もトール・ヘイエルダールが乗っていました。
さらにワタハタにいる仲間にも会ってみたらと石川仁さんのメールは続いていました。
ワタハタには石川仁さんが乗っていたマタランギ号の仲間であるベンハミン・アラテアと、葦船ラーU世号をつくった職人であるパオリーノ・エステバンがいます。
1年前の明日(2005年11月3日)はワタハタに向いました。
ラパスからバスで1時間、チチカカ湖の畔の村ワタハタに、パオリーノ・エステバンが館長をしている博物館がありました。
博物館といっても立派な作りではなく、番屋みたいな小屋でした。
博物館のなかにははパオリーノ・エステバンがこれまでにつくった葦船の資料を展示していました。
トール・ヘイエルダールの直筆サインが壁に掛かっていました。
太陽の島で見つけた葦船ラーU世号の模型をパオリーノ・エステバンに見せて、
「この船をつくったのはあなたですか?」
「そうだ」
パオリーノ・エステバンは誇らしく答えました。
ベンハミン・アラテアは博物館のガイドを務めていましたが、酔っ払っていて、ろれつが回っていませんでした。
パオリーノ・エステバンは苦笑いをしていました。
さてこの二人を紹介した石川仁さんは、高知の土佐清水で葦船カムナ号を作っていたのを手伝って知り合いました。
ベンハミン・アラテアはこの葦船カムナ号の乗組員になるはずでした。
博物館でベンハミン・アラテアがアルバムを開いてくれました。
マタランギ号のメンバーの写真が入っていて、ベンハミン・アラテアと石川仁さんが肩を並べていました。
ほかに土佐清水でつくった葦船カムナ号の乗組員だったクスコ在住の森重さん、イースター島文化大使のテバさんが肩を並べていました。 懐かしい仲間たちに再会したようで感激しました。
太陽の島で見つけた葦船のお土産のルーツをたずねて、ラパスとボリビアのチチカカ湖の畔を往復した4日間でした。
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「椅子」11/01
大人です。
写真に写っている二つの椅子は同じ椅子です。
いつもお客さんがコーヒーを飲んで寛いでいる椅子です。
高さが違います。
椅子の脚に配管のパイプをつけてみました。
カウンターの上のパソコンに近づきやすくなりました。
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「アート」11/01
大人です。
今朝、マスターが知床倶楽部とたべ処いわみの玄関に不思議なオブジェをこしらえました。
鉄板の台座にボードのプロペラをつけて、プロペラの隣には貯金箱をのせました。
貯金箱は両面テープでくっつけただけで、強度はあまり期待できません。
貯金箱は大漁箱と筆書きされた桐タンスにオレンジ色のエプロンをつけたおばちゃんがデザインされています。
桐タンスの上にはお金を入れる口があり、浜いっぱいの笑顔と印されていました。
このオブジェをこしらえていたら、そとで雪がちらほらと降っていました。
朝から深々と冷え込む寒さです。
もし、鉄板の台座とプロペラだけこしらえていたら、クールなオブジェになっていたのでしょう。
それでマスターはアットホームな貯金箱を置いたのかもしれません。
オレンジ色のエプロンをつけたおばちゃんは誰なのかなと確認したら、
IKUEちゃんでした。
「浜いっぱいの笑顔、IKUEちゃんの得意料理はホワイトシチュー」
温かいうちに想像してしまった大人です。
熊の湯入浴十ヶ条
一、湯船に入る時は体を洗ってからさらにお湯を2,3杯かぶってから入って下さい。
(つづく)
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「関屋先生とTシャツ」11/01
大人です。
日曜日(10/29)に江戸川の葦船流し豆腐昇天祭で、関屋先生がTシャツを着てくださいました。
写真は葦船仲間のツッチーさんからいただきました。
どんな講演会(コー宴会)だったのでしょう。関屋先生からの報告も楽しみです。
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「おもてなしは通路から」10/31
大人です。
知床倶楽部のとなりには、たべ処いわみに入っていく通路があります。
この通路を何か利用できないかと考えている大人です。
漁の網をかけている壁にはマキさんが海岸で拾ったガラス玉を飾り、
あまった壁には手ぬぐいを飾ろうと思っています。
ガラス玉通りとか、手ぬぐい通路と呼ばれるような工夫をして、
お客さんがたべ処いわみを出ても、ありがとうの気持ちが残るような
通路にしてみたいものです。
今日はマスターとマキさんと私の3人で知床峠を越えて、ウトロに
行きました。知床自然センターのあたりは紅葉がきれいでした。
ウトロの民宿ボンズホームでコーヒーを飲んだあと、峠を越えて店に
戻りました。峠への入口は夕方3時に閉まりました。
2時に店を出発して、3時過ぎに戻ったので、マキさんにウトロのオロンコ岩の上から見える
ゴジラ上陸を見せてあげることができなくて残念でした。
1ヶ月前に撮ったゴジラ上陸の写真をのせておきます。
熊の湯入浴十ヶ条
一、脱衣所に入ったら何が書いてあるか良く読んでから入って下さい。
読む余裕がなくお急ぎの方は入浴せずお帰り下さい。
すいません。寒くて読む余裕がなくて。
(つづく)
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「シルクスクリーンと目の不自由な人」10/30
大人です。
シルクスクリーンの原版を作りなおしながら、2年前に目の不自由な人を
美術館に案内するボランティアをしたことを思い出しました。
彫刻をさわったりするだけではなく、絵も鑑賞しました。
ひとりの目の不自由な人に二人のボランティアがついて、
ボランティアがかわりに絵を見て感じたことを説明しました。
二人のボランティアは感じ方が違うので、目の不自由な鑑賞者は質問をして、
自分は見えない絵を想像しました。鑑賞者のなかには先天性の方もいて、
色を温度にたとえたり、オノマトペを使って雰囲気を伝えたりしました。
また絵についての知識、たとえば歴史や技法に関心を持たれる方もいたりして
目の不自由な人も様々でした。
どうして今頃になって思い出したかといいますと、
当時私が目の不自由な人に代わって絵を説明したことがシルクスクリーンの多色刷りを
やっているような感じだからです。
一枚ごとに色を指定している原版を並べて、原版の切り抜いた穴を指で触らせてもらい、
色と形を把握します。このように色と形を重ねて多色刷りをしていくように絵を完成していきます。
なんだか分解されたものを組み立てていくようなやり方ですが、
実際は完成している絵をボランティアの説明でいったん解体して、
鑑賞者が質問をして再構成していくというやり方でした。
このやり方は鑑賞者の空間把握を助けることも必要になります。
シルクスクリーンを刷る時も平面のイメージだけでとらえるのではなく、空間把握も必要です。
原版の切り絵作業も0.数ミリの彫刻作業だからです。
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「幽霊と混浴ができる温泉」10/29
大人です。
おとといの夜はお客さんの佐藤さんが川北温泉に連れてくれました。
川北温泉は羅臼から車で1時間半かかるところにあり、
まわりが真っ暗でどこにあるのかわかりませんでした。温泉自体も外灯がなく、
自分で灯りを用意しなければいけません。佐藤さんが青い灯りや黄色い灯り、
そして赤い灯りなどをセッティングしてくれました。
今度はクリスマスイルミネーションで派手にしてくるのかしら。
さて私がこれまで入った温泉で、夜中に一人で入るのは怖いところがあります。
大分県別府市の明礬温泉の鶴の湯で、霊園の奥の枯れ野原のなかにあります。
幽霊と混浴ができます。
昨日の夕方は知床倶楽部関東分科会の方が二人ご来店しました。
何か興奮していたみたいだったので、お話を伺いましたら、
二人が泊まっている民宿「本間」の前で車とクマが衝突したそうです。
この話を聞いていたら、消防団が店の中に入りました。つぎは何事かなと思ったら、
羅臼消防団防火査察実施のお知らせでした。
ついこのあいだまで店の外でガラス玉に穴を開けようと火遊びをしていた大人
(おとなではなく、たいじん)です。
関東分科会の方と一緒に2階にあがり、シルクスクリーンを刷るのを手伝ってもらい、
そして関屋先生が出演しているビデオ「神々の楽園」を見ました。
今日は厚めのベニヤ板の枠にメッシュを張りました。
昆布干し作業のイラストの原版(黒色)をつくりなおしています。
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「葦船流し豆腐昇天祭のお知らせ」10/28
大人です。
今週の土曜日(今日です)に東京の江戸川(市川駅と本八幡駅の間を流れる
川)の河川敷で、葦船流し豆腐号の昇天祭をやります。
葦船流し豆腐号は今年の5月に、その河川敷でつくった葦船で
す。
流し豆腐号の由来は、葦船を作りながら流しソーメンを食
べようというのを、
ソーメンだけではつまらないので、豆腐を
流してみました。
豆腐がふんばっていて流れなかったのがおか
しく、
葦船が完成したときにそう名づけました。
さて、昇天祭はその葦船を燃やして焼き芋を食べようという企
画です。
タコス、餅、ジャガバタ、玄米おにぎりなどの屋台が並ぶそう
です。
なんと関屋先生の特別講演会もあります!
というのは、関屋先生も葦船に興味を持ち、土曜日に来てくだ
さるそうです。
日時 開始28日17時
終了29日24時
場所 江戸川河川敷
持参するもの お皿、紙コップ、お椀、お箸、食べもの、飲み
物 (28日に泊まる人は寝袋、テント、歌本、楽器、カヌー)
江戸川流し豆腐号実行委員会
連絡先09093455372(石川仁)
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「エプロン」10/27
大人です。
昨日はベージュ色のエプロンにシルクスクリーンを試してみました。
マキさんにエプロンをつけてもらいました。
たべ処いわみで働いているクミさんもエプロンを気に入りました。
夜は公民館の手話サークルに出ました。エプロンは手話サークルでも好評でした。
(昨日の手話サークルは数字の手話と指文字を学習しました)
今朝、注文したTシャツが入りました。
ホワイト、ライトピンク、サンド(砂色)の三色です。
前は白いTシャツに多色刷りをしました。
原版のグランドシートの地の色に近い色からはじめてしまうと、
次の色を刷るための原版を置く位置を探すのが面倒でした。
今日から色のついているTシャツに多色刷りをはじめてみました。
これもTシャツの地の色に近い色からはじめてしまうと、
やはり次の色を刷るための原版を置く位置もわからなくなってしまうことがありました。
多色刷りをするときは、グラントシートや色のついたTシャツの地の色に近い色からはじめるのではなく、
それらの補色からはじめたほうがよいことがわかりました。
夜、店でインターネットを利用していたお客さんがいました。
どこかで見た顔だなと思ったら、利尻島で昆布干しのアルバイトをしていた人でした。
利尻島の公共施設の図書室に、インターネットが1時間無料でつかえるパソコンが6台ありました。
彼はいつも隣に座っていました。彼は今、サケバイをしています。
あと2週間で終わるそうです。今度は沖縄へ行って、
サトウキビを刈るアルバイトをしてくるそうです。
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「チチカカ湖」10/25
大人です。
去年のこの1週間(2005年10月23日から30日)はチチカカ湖のウロス島に滞在していました。
チチカカ湖は標高3855メートルにある湖です。
湖のうえに葦で出来た島が浮かんでいました。浅瀬だと思うところは実は深く、
うっかりしていたらおぼれてしまいます。
島には葦でできた家が建ち並んでいます。屋根にはソーラーパネルがついて、
家のなかにはテレビがあり、アメリカのホームドラマの「ビバリーヒルズ青春白書」をやっていました。
葦でできたコンビニエンスストアーもあり、ミネラルウォーターやコーラ、
カメラのフィルムまで売っていました。コンビニエンスストアーの隣は教会が建っていました。
公衆電話の島もあり、公衆電話ボックスも葦で出来ていました。
公衆便所の島もあり、ウンチがしたいときはトイレットペーパーを持って
ボードを漕がなければなりませんでした。下痢のときは大変でした。
便所のなかはヒビの入った磁器の便座があり、ヒビをセロハンテープでつなぎとめていました。
ウンチを流すためには便所からいったん出て、バケツで湖の水を汲んで、便座に流します。
島の人たちは早朝と夕方に狩猟と漁をやり、日が昇っている午前中は葦でできた観光客船に客を乗せたり、
葦舟のミニチュアなど御土産をつくって店に並べて、収入を得ています。
日が高くなったら夕方まで昼寝をしたり、湖のほとりの町プーノへ買い物へ出かけたり、
サッカーを観戦したりしました。町へ出かけるときはモーターボートに乗ります。
島民の移動手段は葦舟ではなく、ほとんどボードを使っています。
靴の要らない島ですが、町へ出かけるときは靴を履きます。
服も民族衣装から町の外出用の服に着替えます。
子供たちは午前中に学校に通います。学校は木造でしたが、湖の上に浮かんでいます。
葦でできた運動場とくっついていました。運動場と学校が離れたことがあり、そんなときは授業をいったん中止して、
子供たちが運動場に降りて、ロープでつないだ学校を引っ張りました。
参観した授業は算数をやっていました。先生はクリスチャンでした。
学校の壁にはアイマラ語の絵パネルがはってありました。観光客が見学して帰っていったら授業が終わってしまいました。
早朝と夕方は狩猟と漁につきあいました。葦の茂みに隠れている鳥に狙いをさだめて撃ちました。銃は火縄式の散弾銃です。
撃った鳥や捕った魚はホーロー鍋にイモと一緒に煮込みました。
地面が葦でできている島で火をたくときは、壺を横に倒してかまどの代わりに使いました。
島を離れた日は、島の人が国境まで見送ってくれました。
さて、昨日はこんなことを考えていました。
知床のネイチャーツアーに手話のできるガイドがほしいこと。
知床倶楽部に外国語のガイドブックがないこと。
冬のソナタの続編を北海道のどこかでロケをするらしい。韓国人観光客が流氷を見に来るようになるのではないか。
鮭の頭の利用について。コラーゲン。美容になる。
夜はおとといに引き続いて、ガラス玉に穴を開ける実験をやってみました。
木綿のタコ糸を近所から借りました。
木綿のタコ糸をエタノールにつけて、輪に結びました。
輪に結んだタコ糸を温めておいたガラス玉にのせて、火をつけました。
タコ糸が燃え尽きたら、すぐにバケツの中の水につけました。
そしたらガラス玉に乗せたタコ糸の輪に沿って、まるいヒビが入りました。
そのまるいヒビのなかをハンマーでたたいたら、みごとに穴が開きました。
店の外で火遊びをしていたら、放火魔と間違えられます。店の中でやりました。
マスターが見事に穴を開けてくれました。
Tシャツを5枚制作しました。
多色刷りで失敗しない方法を思いつきました。
多色刷りでシルクスクリーンの原版を1枚1枚刷るとき、Tシャツがずれないように、
Tシャツの裏を両面テープで板を貼りあわせて固定しました。
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「カヤック」10/25
大人です。
Tシャツを関屋先生に送りました。
海岸で拾ったガラス玉に穴を開ける実験をしました。
イカの漁師さんの教えによると、
ガラス玉のうえに灯油をつけておいた紐の輪をのせて、
紐に火をつけます。
紐が燃えてガラス玉が熱したら、水につけて、
紐の輪のなかの熱したところをハンマーでたたきます。
そしたらガラス玉に穴が開くというのです。
やってみましたが、ガラス玉は割れたものの、
穴はきれいに開きませんでした。
夜は羅臼町の温水プールでカヤックを漕ぎました。
外の気温は4度。冷蔵庫のなかの寒さです。
羅臼岳には雪が積もっています。知床峠も通行止めになりました。
温水プールの使用も今年はおしまいです。
ということでカヤックをやろうということになったのでしょう。
私は水泳パンツを持ってきてなかったので、トランクスをはきました。
プールに8艘のカヤックを浮かべました。渋滞です。
よくぶつかりあいました。
パドリングが難しかったです。
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「ガラス」10/24
大人です。
昨日、店の前で車の衝突事故がありました。
車のガラスが割れて粉々になっていました。
警察は出回り中だったので、現場にかけつくのに時間が
かかりました。
さてガラスは固体ではなく、過冷却により粘度が非常に高くなった液体のことだそうです。
むかし、ガラスは固体ではなくて液体であるということを
習いました。
今度、海岸でひろったガラス玉に穴を開ける実験をしてみようと
思います。
夜はTシャツを4枚刷りました。
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「Tシャツの試し刷り」10/23
大人です。
昨日はTシャツのシルクスクリーンの試し刷りをしました。
多色刷りで、原版を7枚使います。バインダーにインクを
混ぜて、7色用意しました。
黒インクは一番最後に刷ります。有彩色のインクから
はじめるのですが、原版のグランドシートが黄色いので、
オレンジ色や黄色のインクは最後の黒インクを刷る前に
刷ります。よってインクは次のような順番で刷りました。
茶色、青、紫、赤、黄色、オレンジ色、黒色。
こうして関屋先生の昆布干し作業のイラストを原画にしたTシャツのサンプルができました。
Tシャツの背には「しれとこらうす」をプリントしました。
ホームセンターに行って、次のシルクスクリーンの制作ができるようにベニヤ板を2枚、Tシャツも買いました。
熊の湯に行きました。熊の湯から知床峠に向う道が封鎖されていました。
夜は関屋先生が出演した「神々の楽園」のビデオを見ました。
「楽園」という絵本ができるまで関屋先生の行動を追ったドキュメンタリーでした。
スケールが大きいので、私はコタツの下で小さくなりました。
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「大人の羅臼日記」10/21
大人です。
これまで掲示板に書いている日記を、大人の羅臼日記にまとめることにしました。
大人の羅臼日記は知床倶楽部のホームページ上にあります。
大人が入国審査官になる前の写真をみることができます。
狩猟をやっていました。ちょうど1年前の来週です。
今日はTシャツのシルクスクリーンの原版をつくりました。多色刷りです。
原画は関屋先生の昆布干し作業のイラストです。
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「数え方」10/20
大人です。
昨日の昼は天狗岩の海岸でガラス玉を拾いました。
ガラス玉は漁の網に絡まれて、浜辺にながれついていました。
網は青いの、緑の、赤いの、黒いのが絡まっていました。
かぎのとれたウタ(昆布をとるための道具)を見つけました。
さおの長さは私の背丈と同じぐらいでした。
この日はガラス玉を50個ぐらいは拾いました。
夜は公民館の2階の手話サークルに行きました。
参加者は十数人、男は私一人だけでした。中学生が4人いました。
この日は自己紹介の練習をしました。
家族の構成と趣味と仕事の内容を手話で表しました。
家族の構成を手話で表すのは大変なことでした。
というのは、親戚を入れて大家族になればなるほど、
複雑になってくるからでした。
こういうときは、自分の兄弟が何人、お父さんの家族が何人、
お母さんの家族が何人、兄弟の数も多かったら、男が何人、
女が何人というようにグループにわけて、 説明するとわかりやすくなります。
手話も編集作業だなと思いました。
熊の湯に行きました。男が12人入っていました。女の数は聴き込みをしないと調査できません。
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「関屋先生、羅臼を出発しました。」10/19
大人です。
昨日は関屋先生が羅臼を出発しました。
中標津空港まで見送りに行きました。
車を運転したのはひさしぶりです。
中標津から羅臼までの道は車の量が少なく、
まっすぐ走るので気持ちがよかったです。
練習したいと思います。
帰りに羅臼のホームセンターに寄って、
ベニヤ板を買いました。
夜はベニヤ板を切り抜きました。
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「おにぎりとTシャツプリント」10/18
大人です。
おととい洗濯物を出したら、1週間前のおにぎりが
出てきました。
処分をマスターに相談したら、
外に置いたらカラスが食べてくれるというので、
駐車場に置きました。
コインランドリーで洗濯して帰ってくると、おにぎりが
消えていました。
本当にカラスさんがたべてくれたのかな。
おなかを壊さないことを祈ります。
知床倶楽部に新しいパソコンが入りました。
2台になりました。知床倶楽部はインターネットカフェなので、
利用者が増えるといいなあ。
昨日は2階で関屋先生のTシャツのシルクスクリーンプリントの
制作を手伝いました。
プリントの手順は次の通り。
1、Tシャツのうえに原版を乗せる。
2、バインダーにインクを混ぜる。この日は水色、緑、紫、黒を用意した。
3、インクを原版につける。へらでインクを引く。そのとき、原版がずれないように、
助手に原版を押さえてもらう。
こうして知床の動物たちのプリントが沢山できました。
私もつくりたくなったので、原版の作りかたを教わりました。
原版の作り方は次の通り。
1、ベニヤ板をカッターで切り抜いて、枠をつくる。
2、テトロンメッシュをベニヤ板の枠にニスをぬってはりつける。
3、テトロンメッシュの裏にグランドシートの切り絵が引っつくように、表からアイロンをかけて出来上がり。
関屋先生が描いた昆布干し作業の絵が好きなので、
それをシルクスクリーンにしてTシャツを制作したいと
お願いしました。
それでわたくし大人がつくることになりました。
またシルクスクリーンの裏技まで教わりました。この裏技は
旅をしながら、どこでも即席プリントができます。
関屋先生に一言お願いしました。
私、関屋敏隆も旅人です。私も日本各地にTシャツ作りの楽しさを広めていこうと思っています。
大人君も大いに旅をしてTシャツづくりを広めてください。
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「前途を祝して」10/16
大人です。
昨日は知床倶楽部の近くの山に子供たちといっしょに
のぼりました。
英嶺山、標高521メートル。
笹の道を歩きました。笹はパンダの大好物。
道が途中で分かれたら、
白樺の木にピンクのリボンがついたほうを歩きました。
子供たちはのぼるのが早いです。
やっとついた山頂で先生が
「お弁当をいただきましょう」
といったときには、
もうお弁当を食べ終えた子供もいました。
この日は全国をまわってうどんを打つ職人の竹原さんが、
知床倶楽部の奥の食べ処いわみでうどんを出す最終日でした。
山から下りた私たちはうどんを食べることができました。
この日の夜、2階で関屋先生と竹原さんと私の三人が
寝泊りしている部屋でビールを交わしました。
関屋先生が
「前途を祝して、乾杯」
と音頭をとりました。
「前途を祝して」というのはいい言葉だなと思いました。
今日の朝はマスターが竹原さんに教わって作ったうどんを食べました。 そして竹原さんは知床倶楽部を出発しました
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「国境」10/15
大人です。
知床倶楽部の2階のスナックバーがあったところで布団を敷いて寝ています。
夜中になると、となりのスナックバーからカラオケが壁を伝って流れてきます。
昨日はじめてとなりのスナックバーに入りました。
カラオケをうたったあと、布団を敷いて寝ている部屋にもどりました。
しばらくしたら、知らない酔っ払いが部屋に入ってきました。
スナックバーを間違えて入ってきたのでしょう。
酔っ払いを追い出そうとしたら、
「おい貴様、だれだ?密入国者か?こんなところで隠れていたらつかまるぞ!パスポートを見せろ!」
わたくし「北の国から」入国管理局審査官を任命されたばかりですが、
1日もたたないうちに密入国者と思われてしまいました。
国境はどこにあるのでしょうかね。
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「無題」10/14
はじめまして。大人です。
自分で大人と書くのも、おかしな話ですが、おとなではなく、
たいじんと読むそうです。
昨日、北の国からパスポートを持って、お店に入ってきたお客さんがいました。
あこがれの入国審査官になることができました。
本当の入国審査官はたいへん厳しい人だと思いました。
というのは、査証スタンプを手に持って、
「ぼくが押してもいいんですか?」
といっているようでは、甘いからです。
ありがとうございました。
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