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| 羅臼観光の幕開け3
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| 羅臼観光の幕開け2
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つれづれに
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ジャック・ダニエル 今から10年位前の話・・・ 新聞を見てメを疑った。彼が来る!生きていたのか。 もうかなりの高齢なはず!演奏は大丈夫?だ。 彼の名はデュ−クジョ-ダン。モダンジャズの歴史上、 重要なビ−バップの誕生を実際に見、チャ−リ-パ−カ−とも 演奏したことのある貴重な人。彼は作曲家としても有名だ。 ジャズの衰退とともに60年代はタクシ−の運転手、デパ−トの 配送をしていたが70年代、活動をヨ−ロッパのデンマ−クに移し 音楽活動を再開し、やがてニュ−ヨークにもどり再びデビュ−を果たす。 ’73年に久々のアルバム「Flight to Denmark」が発表され、 私の愛聴盤になっている。部屋の中で聴いている頻度が高いCDだ。 コンサ−ト当日私は仕事を休んだ。 開演は6:00だけど仕事をする気になれなかった。 私が今日聴くのは生演奏であると同時にモダンジャズの歴史だ。 もう一つ、もう一つの儚い希望があった。 もしかしたらホテル内でばったり会えないだろうか? 自分で楽屋に訪ねていく勇気はないが、偶然会えば握手 くらいしてくれるかも知れない。 私がこの何年か毎日聞い ているミュ−ジシャンに。 午後2時頃、釧路プリンスホテルに着いた。 真っ直ぐ上のラウンジに行き待つことにした。 もしかすると演奏前にここに来るかもしれない。 1時間ほど過ぎ、ガヤガヤと見慣れた顔が入ってきた。 デユ−クジヨ−ダンだ!ベ−シストとドラマ−を引き連れて3人。 偶然私の座っている隣のボックスに座った。 3人は日本でのツア−について何かを低い声で話談笑していた。 15分くらい経った頃、意を決した私は自分の席を離れ デュ-クジョ−ダンの席の前に立った。 「失礼ですが・・」と呼びかけると彼は座ったままこちらを向き頷いた。 他2人は怪訝そうにこちらを見ている。 「デュ−クジョ−ダンさんですか?」と訪ねる。無言で彼は頷く。 「はじめまして!お会いできて大変嬉しい。 私ここ5年間ほとんど毎日あなたの音楽を聴いているんです。」 彼や仲間の顔で何かがはじける ”それは良い!”と答えてくれた。 「今日は私にとって最良の日の一つです。」と握手を求める。 彼は大げさすぎるよというジェスチャ−を!照れているように見えた。 「あの お願いがあります。私に一杯奢らせてくれませんか?」 「有難う」と彼。「では何を飲みます?」 というとニコニコ笑いながら 「ジャックダニエルをダブルで」 ジャックダニエルは私も好きなバ−ボンだったのでうれしくなった。 仲間にもおなじくおごり、はなれた席から乾杯した。 優しい人に見えた年齢は70歳を超えている。 素敵な人だなと直感した。握手の感じも良かった。 その日の演奏はホテルに備え付けのヤマハの白いピアノで、 それがちょっと不釣合いだったけれど、 年齢を感じさせない素晴らしいものだった 数々のスタンダ−ドを楽しませてくれた。 RGB 森川 |
羅臼の知床開きで玉ぐしの奉納という大役をおおせつかった。 神事に参加、神主の長い祝詞(のりと)を聞きながら斜め前方 にいる自衛官の立ち姿を惚れ惚れとしながら見てしまった。私 も含めて周りの人間のなんと姿勢の悪いことか・・。背筋をぴ っと伸ばし微動にしない姿、訓練、精進、その人の意思がそこ に表れている。私もこれからは姿勢だけでも見習い、胸をはっ て生きて行きたいと思う。最近この手のネタが続いています。 at: 2002/06/18(Tue) |
今日は息子の運動会だった。開会式のあと、 赤組白組の応援団が応援合戦をする。 その応援歌が旧日本軍の軍歌「歩兵の本領」だ。 もちろん歌詞は違うけど・・・ 以下その歌詞 万朶(ばんだ)の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子(やまとおのこ)と生まれなば 散兵線の花と散れ 二、 尺余の銃(つつ)は武器ならず 寸余の剣(つるぎ)何かせん 知らずやここに二千年 鍛えきたえし大和魂(やまとだま) 三、 軍旗まもる武士(もののふ)は すべてその数二十万 八十余ヶ所にたむろして 武装は解かじ夢にだも 四、 千里東西波越えて 我に仇なす国あらば 港を出でん輸送船 暫(しば)し守れや海の人 五、 敵地に一歩我踏めば 軍の主兵はここにあり 最後の決は我が任務 騎兵砲兵共同せよ 六、 アルプス山を踏破せし 歴史は古く雪白し 奉天戦の活動は 日本歩兵の粋と知れ 七、 携帯口糧(けいたいこうりょう)あるならば 遠く離れて三日四日 曠野千里にわたるとも 散兵戦に秩序あり 八、 退(しりぞ)く戦術(ことわ)われ知らず みよや歩兵の操典を 前進前進また前進 肉弾とどく所まで 九、 わが一軍の勝敗は 突喊(とっかん)最後の数分時 歩兵の威力はここなるぞ 花散れ勇め時は今 十、 ああ勇ましの我が兵科 会心(えしん)の友よ来たれいざ ともに語らん百日祭 酒盃に襟の色うつし 十、(一般兵営におけるもの) 歩兵の本領ここにあり ああ勇ましの我が兵科 会心(えしん)の友よ来たれいざ ともに励まんわが任務 死を恐れなかった日本陸軍、合言葉「靖国で会おう」 その死を無駄にするのもしないのも残った我々の心ひ とつではないだろうか?まもなく靖国問題が話題にな る時期になってきた。今日息子の応援団にかつての日 本の若者をダブらせたは右翼でも国粋主義者でもない ただ正しい歴史を知りたい一人と思っている。 at: 2002/06/16(Sun) |
羅臼では北西の風は凶とされる。この方角の風は荒れるからだ。 先週の日曜、カレイ釣りの前、小雨がぱらつき曇っている間は 天気はまだよかったが、途中晴れ間が見えだしてから、 不吉な天気となった。 思い出したように吹く突風、 知床連山にウトロ側からものすごい雲がぶち当たり、 それが上へ上へと伸びている・・ そして翌日の月曜日は見事に強風が吹き荒れる。 普段はこんなエメラルド色をしていない海が、 底荒れをしているのか、風で屈折が変わったためか 不気味な色になっている。 国後までが怪しい雰囲気だ。いつも寝息も立てない海が、 轟々と音を立てはじめている。よく事情がわからない人が見ると、 温かそうに見えるが、この低気圧のおかげですっかり5月の前半に 戻ってしまい、寒い毎日。水温も6C〜8Cの間だろう。 普通サウナの後に入る水風呂は25前後。私が好きな西別側は 湧き水のため年間通して14Cくらいだ。14Cだと川の中に 10秒手を入れていると頭がキーンとなってくる。 そうするとこの海の水温はどんなものかわかっていただけると思う。 早い人で低体温症で5分後から運動機能が低下し、 昏睡に入りってしまう。 楽観は禁物だ。竜巻も起きた。 偶然写真に収める事ができたので、それは後日のお楽しみ! at: 2002/06/14(Fri) トルネード、竜巻 あの中心に入ったらどうなるのか? 興味の尽きないところだ。 羅臼の礼文町を車で走っているとき偶然見つけた。 生きている!これは生き物だ。 荒野に吹く風は人を消耗させるため、 そのターゲットについてまわるという。 カヤッキングの途中でこれに出くわしたなら あっという間にひっくり返されるのだろう。 この礼文町は風の強いところだ。 やはり北東の風が吹くときは充分注意しなくてはならない。 |
羅臼で桑原商店を経営している町田さんとは年が同じで、 同じようにギターが好きということもあって、 結構いろいろな話をする。先日も立ち話をしているときに、 「つげ義春」の話となった。町田さんが中学生からの熱狂的な 「つげ」ファンと知って驚いた。私は26くらいの時に友人宅で 読み出し病み付きになっている。ほとんどの皆さんが知らないの だろうけれど、つげ義春は漫画家だ。つげ義春の世界は日常空間に ぽっかりと空いた非日常的な空間といえる。 つげ義春の何度も何度も読んだ漫画を読み出すと、 その物語と同時に自分の中で旅が始まる。 それはいつも同じ旅で何度も何度も経験したはずなのにまた味わい たくなる。その舞台がまた独特なのだ。 氏は精神を病み創作活動から遠ざかっているらしく、 新作を見ることがほとんどない。もしどこかに引きこもるなら 「つげ義春の漫画」だけあればいいかな〜とも思う。 残念ながらこの作風が良いという人はそんなにはいないような気がする。 そういう意味では町田さんは日本最東端でつげの漫画について 話し合うということで大きな意義があるように思えてならないのは、 きっと私だけだろう。 今日北極星について勉強しました(笑) 2等星であること、その位置について再確認。 2万6千年周期北極星が交替していることなど、現在はコグマ座のポラリス。 その小熊座は英語ではLittle dipper(小さじ)といい、 そのリトルディッパーは 私がシーカヤックで愛用しているパドルの名前でとても驚いた。 さあ寝る前に借りたつげ義春関連の本を読んで寝ます。 at: 2002/06/11(Tue) |
先日羅臼の佐々木泰幹さんが太平洋とここの海峡の違いの話をしていたとき、適切な説明でそれをあらわしていた。
「波長の違ううねり」ここがピッチの短いうねりとすると、太平洋は波長が長く大きなたとえば、私が前勤務していた塘路の町ひとつがうねりの一単位となることもある。実際私が去年の今頃歯舞〜納沙布のツアーではそれを体験した。佐々木さんは落石の港に入る前に、うねりに捕まったタンデム艇が垂直に崩れ落ちるのを目の前で見たという。
今日久保田さん、松本さんとシーカヤックでカレイ釣りに午後から出かけた。雨まじまりだが、どうせ水遊びは濡れるのだからと出かける。浜からカヤックを出して沖合いにシーアンカーを打って船を安定させる。知床連山を見ると、すごい風景になっている。尾根にぶつかった風は気流をおこし、すごい量の雲をとどめ、その上をとんでもない速さで流れていく雲たち。曇っている時は穏やかだったのに、晴れてくるととたんすごい風が吹き出す。
2時間ほどでそこそこに魚も釣れ、明るいし、まだ釣りをしていてもいいなと思っていた時、久保田さんが風が気になるから止めようと言う話になった。三人でレースのように港に向かう。松本さんのペンギンが圧倒的に早い。私や久保田さんの艇は重くてスピードは不利だ。
船を陸にあげて、片付けて車のキャリアに積んでいる時に、ものすごい突風が吹く。危なくカヤックが飛ばされるところだった。3人で顔を合わた。戻るのが30分遅れたら、海上で風に煽られひっくり返っていたかも知れない。水温は10Cを切っていて、ライフジャケット着ていても30分とは生きていけないだろう。ここの海と自然は本当に厳しい。だからここの自然は素晴らしいと思う。こんな場所他にはないのだから・・。
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羅臼にある唯一のバー・・JANK SHOT BAR メグという不思議な女性が朝5:00までやっている。 衛星でミュージッククリップが流れるレイドバックした空間。 ついついジャンクの看板を見ると足を運んでしまう。 そして何を飲んでも、何を食べても500円。パスタが旨い! 雨の週末、 どこにもいけない日の前日はジャンクショットな夜をむかえる。 |
| ミラ−
車で走っているとき、 車のミラーの景色に魅せられるときがある。 車を路肩にとめカメラをその感動した被写体 に向けると、とたん何かが落ちていく。車の ミラーの中は若干広角の世界で防眩防止にカ ラーコーティングされているから実物よりビ ヴィットな世界となるためだろう。実物より いいなんて・・と思うのなら今度一度試して みることを勧める。ミラーの中に広がるもう 一つの世界。きっと魅了してやまないもうひ とつの真実の世界がある。 at: 2002/03/11(Mon) |
知床倶楽部のファン倶楽部と言うべき「分科会」の 皆さんが仕事を休み万障繰り合わせ羅臼にやってきた。 前夜は恒例の晩餐会が繰り広げられた。 翌日知床倶楽部へ行くと狭い喫茶店は満杯。 よっしーさんが自慢の携帯用のコーヒーメイカーでコーヒー を落としてくれることとなった。改造のミル、お湯は電熱器。 自作のドリッパーをサーモスのでかいカップでそれを受ける。 出来上がったコーヒーを皆で回しのみをする。 野営しているときに、寒い夜、心細い夜、 心が数々の辛酸を受け苦汁にまみれているとき、 この一口ですくわれた人も多いだろう。 そんな麻薬のような味わいのよっしーさんコーヒー、 この次ぎ飲める日が待ち遠しく感じる。 この次は贅沢いってマイカップを持参して、独占してみたい。 もちろん許可がでれば・・・ |
回転する円盤 レコード。 一定のスピードに振動を記憶する。 それがアンプリファイされ芸術的なスピーカーにより、 再生というよりは楽器に近い感覚で再生される。 アナログが必ずしも遅れているわけではない。 針を落とすという行為、 ふっとため息にもにた安堵感 のあとスタートする音楽。 その空白の瞬間に流れるシャーというノイズ。 すべてが積み重ねられ音楽ができる。 その行為には何か忘れられたものがある。 at: 2002/02/27(Wed) |
巡視船「てしお」の体験航海に行ってきた。 職場の川原田君と知床倶楽部の小熊ちゃんと 行くことになっていたが、珍しく小熊ちゃん寝坊。 9時30分に出向し北に向かいやがて氷原へ。 巡視船は氷を割りながらすすんでいく。 途中おおわしや、ゴマフアザラシを見ながら 国後を大きく見て、羅臼港に戻った。豊饒の海の源、流氷。 これで水割りを飲みたいものだ。 at: 2002/02/23(Sat) |
夜雪のなか熊の湯にむかう。 熊の湯は町内にある有名な無料露天風呂だ。 ここは熊の湯愛好会というボランティア団体 に管理されている。夏場の混みようはすごい が大雪の夜遅くは貸しきり状態となる。 相変わらず熱い。風で雪が舞い、山が鳴っている。 けれど下の渓から聞こえてくるせせらぎの音。 ノイズから開放され静寂の世界。 知床の地で誰もいない露天風呂に入る。 これは最高の贅沢だ。 at: 2002/02/21(Thu)
(注)女湯に入ったのではありません! |
手紙 公民館の久保田さんが写真を届けてくれた。 昼休みがおわり職場に戻り何気なく机を見るとそれがあった。 その折り方が女性の、しかも普通の四つ折とは違う〜独特のも のだったから〜懐かしく思えてしまった(笑。その複雑な折り 方を開き手紙を読むと「お元気ですか?森川さん」で始まる、 9月に一緒にシーカヤックに乗った、久保田さんの娘さんの友達 からの手紙だった。モエルスまでシーカヤックでツーリングをし た時の写真が2枚。その日は行きは良かったけど、 帰りはもう少しで航行不能になりそうな向かい風だった。 彼女はリバーカヤックの経験はあるもののシーカヤックは 初めて。けれどパドリングはしっかりと水を捕らえ、 モエルスまで快適にすすんだ。 モエルスでワインとビールでランチタイム、 ウニ丼を食べた。日差しはまぶしく、暖かく最高の一日だった。 しかし帰り近くになると次第に風が強まり、風で波頭が飛ぶ状 態になってきた。その中でも彼女は懸命にこぎ続けている。 しかも顔はニコニコしている。久保田さんと私は交互にサポート につくのだが逆に彼女の笑顔に「頑張って!」と言われてるよ うで勇気付けられた。ひさびさに一生懸命生きている人を見た ような気がする。シーカヤックは命の掛かっている遊びで、命 を懸ける必要はないけれど、海に出た瞬間に抵当に入ってしま うのだ。そんな過酷な状況で、笑顔でこぎ続ける彼女は良い人 生を送るのだろうな・・と思った。 手紙の結びに 「また羅臼に行ったら一緒にシーカヤックに乗りましょう」 と結んであった。もちろんOK! なにかひさびさに気持ちが晴れ晴れとした手紙だった。 at: 2002/01/15(Tue) |
2001年の愛 愛とはなんだろうか?好きとどう違うのか? 以前英会話の先生 「カジシェミシェ・コグト」先生に聞いたことがある。 師曰く「likeは好きでloveは大好き」 さて結婚してやっとわかったことがある。 女性の恋人→妻→母という変態についてだ。 諸行無常とはいうが女性は母になると強い。 何故急にそんなことを言うのかというと 知床を舞台にした森重久弥の映画 「地の果てに生きるもの」を見て子供もなくし、 妻もなくし自分も身よりのないまま死んでいく姿をみて、 改めて人生とは何か?という大命題にぶち当たってしまった。 そのなかで日本の母のステレオタイプみたいな 草笛光子さんの演技を見て、 自分の子供時代を回想してしまった。 うちの母も健在で 一人っ子であり単身赴任の私を「子供のように」気遣ってくれる。 パソコンの電磁波が危険という話をどこから聞き、 それを彼女の息子(私と)孫にまたどこからと聞いた怪しげな 砂が入った袋を作ってくれた。 妻からそれを渡され「そんなもの」と机の上に放り投げたが、 息子が「おばあちゃんに言われて腹巻きに縫いつけ肌身離さず」 持っているという。ふと肉親の特に「母のお腹を痛めた」子供達への 「無条件な愛」を感じ効果はないとわかっていながら Yシャツのポケットに入れて仕事に出かけた。 先日石見さんでTVを見ながら酒を飲んでいたら、 TVに幸せそうなカップルが映っている。もちろんこの人達が どんな理由でそこにいるのかはわからない。 この二人の関係はどうなんだろうか? この女性は恋人から妻への変態を遂げている最中なのだろうか? |
遠い記憶 釧路の旧国鉄、現在のJR機関区の壁に今 でも残像のように残る文字。 とおるたびに、どうして消されず風化を待 っているのか不思議に思っていた。 当時のジェネレーションの中で安保とは一体 なんだったのだろうか?当時小学生の私はに は知る由もない。ただ言えるのは当時に比べ て日本を取り巻く環境、日本国内の治安も けた外れに悪化していることだ。 日本の遠い記憶の中で風化していく言葉。 私はその渦中になかったけど、多くの若者達 が理念に向かい団結した時代。そんな良き 時代が日本にもあったのか・・。 地の果てから遠くに起きた出来事を思い起 こした。 |
チャイパパ 私のあこがれている国はインド。ここは是非行ってみたいと思う。 最近はかなり物騒なようだけど、インドには一体何があるのか? たぶん原色で強烈なものだろう。 感化されやすいので行ったら何かが変わるような気がする。 老子の教えについてこの2日間読んだり調べたりしている。 大変素晴らしいと思った。 このHPのタイトル水の心実は鈴木大拙という禅僧の本から 取ったんだけど、実は老子の言葉だったことがわかった。 さてこのチャイパパという店、行ったことはないのです。 札幌にある研修所のすぐ近くに「夢横町」という素敵な名前 のエスニックな雑貨屋があって、行くと必ずタペストリーとか 香とか買いに行く。そこで買い物した袋のなかに入っていたのがこれだ。 羅臼に戻り発見し、行ってみたかった、後悔してももう後の祭りだった。 at: 2001/12/18(Tue)by Morikawa |
![]() アイスバ−グ ここ2年ほどネットにつなぐとさがしているも のに、 アイスバーグというウオッカがある。 釧路の酒屋に キャンプに行くときにウオッカ を買いに行ったら 「世界ウオッカグランプリ 優勝のいいやつがありますよ 」とすすめられ て買った。とろりとして強烈なアルコー ルの 彼方に深い甘みがある。テントを設営し、 た き火をしながら湖の畔でロックで飲んだ。 溶 けてくる氷が強烈なアルコールを中和し、 そ の味の深さを前面に出してくれる感じだ。 そ れから2度ほど飲み酒屋に行くと「残念なが ら日本での取扱は終わった」という。その後 ネットで 検索したり、神奈川の友人に電話し て伝手を洗ってもらうが 。基地の米兵に頼む か、直接カナダに行くしかないという。 氷山 をライフルや斧で崩しそれを原料の水と使うら しい。 深層水と何か共通点のあるような気がす る。今年は流氷で オンザロックを飲みたいと思 う。できればアイスバーグを。 at: 2001/12/16(Sun) 釧路のバーヘブンのマスターからお歳暮をもらった。 これがなかなか気が利いている。カナダのウオトカ 「アイスバーグ」だ。今から4年ほど前釧路の酒店で 偶然買い求め、その豊かな味のウォッカに惚れ込み、 だけどあまりの魔力に中毒になるのを恐れていたのだ が、絶版になっていた。なくなると欲しいのが人間の 性、直接メーカーにメールを出したりしたが、あまり に怪しい英語のためかなしのつぶて・・未練たっぷり の私はヘブンのマスターに逃した魚や振られ、逃げら れた女を過去形で語るように切々と語ったに違いない。 飲む度に・・・ 釧路に戻りちょっと用事がありヘブンに寄った。顔を 見るなり「お歳暮」いままでそんなものをやったりと ったりする習慣はなかった。入っていたのはラフロイ グのケース。アイラモルトでも飲みなさいと言う意味 かなと思い。ありがとうと言って帰ろうとすると、 「開けてみたら?」とマスター。中はこれだった。 こんな気の利いた渡し方をしてくれるのはヘブンの マスターだ。 最近焼酎ばかり飲んでいる。体に気を遣ってだ。ウォ ッカはどうも正装で飲みたい酒だ。どこか気を許せな いところがあって。ちょっとでも崩すとあっという間 にやられてしまう。開高健がベトナム戦争で従軍記者 として現地に赴き戦場で泥まみれ汗まみれ精神はへと へとになりサイゴンのホテルに戻ってくる。そこで何 十日かぶりにシャワーを浴び正装に着替えホテルのバ ーで飲んだのはウォトカだったらしい。人によってい ろいろ好みがあるので一概には言えないけれど、私も 野外でのむは圧倒的にウオッカだ。白樺の木の木炭で 蒸留されるピュアなアルコール。アイスバーグは氷山 の氷で作られる何千年前の雑味が含まれる特殊な酒な のだ。 at: 2002/12/29(Sun) |
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霧多布
霧多布付近の沼によく釣りにいった。越冬で入るアメマスを狙って。 霧多布にはバンドの仲間がいたので帰りは泊まることが多かった。 たいがい着替えて霧多布のアメリカ通りにある「しばらく」という 居酒屋に集まって楽しい時間を過ごした。 朝起きて友人のマンションの前にある川を見に行く。 うっすらと雪化粧、ワタスゲも心なしか「きれいでしょう?」と語りかけてきているようだ。 何年も前から廃船が置いてある。陸上の漁船はちょっとくたびれている。 また水を懐かしがっているように川に顔を向けている。 この川すぐ先は何年か前まで活躍していた海なのだ。 いずれは朽ちていく船、夏の日の漁がにぎわいが一瞬聞こえたような感じがした。 at: 2001/12/16(Sun) |
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ピアノの音が聞こえる
昔こんな話を聞いたことがあった。 昭和初期に東京の哲学者と音楽教授の夫婦がデンマーク式農業を 実践するために釧路湿原の奥で自給自足の生活をはじめた。筏に 建築材料など積み込み釧路川をさかのぼったという。その荷物の 中にはピアノがあった。ほとんど手作りの家から、ピアノの音色 が響いてたという。 その話を聞いて興味を持ち続けていた私は偶然その場所を見つけ、 何度か訪れたことがある。家は朽ちてはいるが、洋館と和式とも いえない不思議な作りとなっている。隣には馬小屋がある。この 家に人が住んでいたときのことを想う。東京から学生達が学びな がら働いていたとも聞いた。湿原の真ん中で生活し、その場に流 るピアノの音色。いったいどんな生活だったのだろう。 at: 2001/11/27(Tue)by Morikawa |
| 街
12月、師走 年の瀬、年末気持ちも体も忙しい。 また年齢を重ねて度、加速度的に私の周りを時間が過ぎていく。 忙しさの中にふと時間が止まるときがある。雑踏を歩いていて ふと立ち止まる感覚。急に「あれどこにいるのだろう?」 そう思える瞬間。先日以前からの案件があって、 話し合いに向かった。少し気の重い仕事だった。 朝から天気が悪かったが午後から天気が回復してきた。 羅臼側はすっぽりと雲の下、国後側は晴天、風が強く、 小雪が舞い、うちの職場の淋代君がきっと「羅臼ですから」 という天気だった。あたりは夜の帳がおりはじめ一日終わりを 締めくくるの光と陰が見せるショーが始まった。 子供の頃は黄昏の時間が怖かったが今は一番お気に入りの時間。 カモメが舞い、せり出した突先が夕刻の空を背景に織りなす シルエットに感動しながら案件先に向かう。 現場につき話は思ったより遙かに簡単におわり職場までの帰路につく。 コンビニエンスストアの明かりを見るとほっとするのは何故なのだろうか? at: 2001/12/06(Thu) |
無題 羅臼日記と言いながらまた釧路の話題・・ 釧路の港裏を釣りに行けない時期にカメラを持って散策した。 釧路の知人(しりと と読むのだよ、梶川君)や米町付近は 古の建物が数多く点在し当時の生活が偲ばれ、 古い時代へタイムスリップするような感じがあって大好きだった。 ときおり廃品の山に面白いものを見つけたりする。 船のパーツはステンレスが多く、ピカピカのナットやボルトは この歳になっても見過ごせず、 持ち帰って捨てられない物リスト行きになってしまう。 米町散策、海と重油の匂い、行ってみたいな〜 久々に。 |
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ピアノの音が聞こえる
昔こんな話を聞いたことがあった。 昭和初期に東京の哲学者と音楽教授の夫婦がデンマーク式農業を 実践するために釧路湿原の奥で自給自足の生活をはじめた。筏に 建築材料など積み込み釧路川をさかのぼったという。その荷物の 中にはピアノがあった。ほとんど手作りの家から、ピアノの音色 が響いてたという。 その話を聞いて興味を持ち続けていた私は偶然その場所を見つけ、 何度か訪れたことがある。家は朽ちてはいるが、洋館と和式とも いえない不思議な作りとなっている。隣には馬小屋がある。この 家に人が住んでいたときのことを想う。東京から学生達が学びな がら働いていたとも聞いた。湿原の真ん中で生活し、その場に流 るピアノの音色。いったいどんな生活だったのだろう。 at: 2001/11/27(Tue)by Morikawa |
妖精の生まれるとき 西洋毛針釣りと訳されるフライフィッシングは なかなか悪魔的魅力のある釣りだ。 餌釣り等と違い疑似餌、 それも天然素材を多用したマテリアル(材料)を 料理のレシピのように書いてあるパターンブックから 毛針を巻き上げる。 季節に合わせて、その目的とする川にあわせて 毛針をタイイングしていく。 いちばんはまっていた頃は起きている時間は ほとんど釣りのことばかり考えていた。 週末は家族を置いて徹夜で川や湖に連泊し釣り歩いた。 朝の川は最高だ。希望の朝という言葉がぴったりとくる。 初夏の渓流に朝靄がかかり、 いちばん気に入っているフライをつけ、 川にそーっとウェイディング(立ち込み) 鱒のたぶんテーブルと思われるところに フライをプレゼンテーションする。 もしそこにいたら、天然素材で作られた毛針、 体丸出しで飛びつくこととなる。 魚が大きければ大きいほど手強く、 20分くらい魚とのやりとりを楽しむ、 この言葉はちょっと語弊があるかもしれない、 言い換えれば 「天国と地獄」を行ったりきたりする羽目にあう。 このフライを始めて大きく変わったこと、 水生昆虫が大好きになったこと。 信じられないかもしれないけど 川魚たちの主食はほとんどこの水生昆虫だ。 特にこの「カゲロウ」はメイフライと呼ばれる。 幼虫のうちは「ニンフ」(妖精)と呼ばれ主に水の中で暮らす。 羽化して「ダン」(亜成虫)となり、 さらにもう一度脱皮しスピナーとなり産卵し息絶えていく。 たぶんフライフィッシャーマンであれば、 この虫のことを初恋の女性を語るように話すはずだ。 もちろん例外もあるのだろうけれど。 by.M orikawa |
| 釣り
12月に入りさすが冬らしい天気が続く。 岬町まで用事があって出かけた。 風は 下(知床半島を下・シモ 標津方面を上・カミと呼ぶ) が一段と厳しく、雪も量が多い。 道路はツルツルで制限速度以下で 走らなくてはならない。 比較的大きな河の河口で 無心にキャスティング (ルアーやフライを投げる動作) を繰り返す殉教的な釣り人がいた。 平日にかかわらず、雪をかぶり、 風に叩かれながら一投に一投に 願いを込め祈りにも似た 彼の釣りは続く by Mrikawa |