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不思議な体験をした。 今日は従業員も休みで峠茶屋は私一人だ 晴れの合間に時々地吹雪が舞う。 相変わらず小さなスキー場作り。ママさんダンプで 雪を運んでいた。峠茶屋正面玄関の硝子戸越しに反対側の 窓ガラスを通して知床連山を見ることができる。 そのガラスにママさんダンプを押している私が写った、 と思ったのだが、違和感があり立ち止り手を挙げてみた。 向こうの手は上がらず窓の先を女らしい人影が横切って 消えた。私は水道検針のおばさんだと理解した。 積雪の建物の裏側をわざわざ通る人はいない。 雪山のてっぺんに雪を置き坂を下りながらふと左を見ると 子供が一人いた。おや、歩けるほど雪が締まったんだと 思うとともにさっきのおばさんの子供だと思い声を かけようとしたがなぜかやめた。 坂下でつぎの雪を掬っているとき駐車場に車が一台もない のに気付いた。 どこから来たんだろうと目をやると子供の 姿がなかった。時間の推移とともに疑問が湧き作業を止め 玄関を通りこし窓から建物の裏を覗いたが二人の姿は見当た らず足跡さえなかった。こんどは二階に上がり展望室から 四方を目の限り探したが黒点一つない白い大地が横たわって いた。 建物から裏へまわる道は駐車場側からだけで 除雪されているのは建物の前面だけだ。 山側からではスキーかスノーシューが必要だ。 そいえば一陣の地吹雪を背でやり過ごし振り返ったときに 子供を見たきがする。 生まれてはじめて、キツネが化けるのも、 冬の森には雪女も地吹雪童子がいるのも 信じてもいい気持になった。 知床の自然の中にいるとそんな気になる。








ちゃちゃの『ミニミニ知床探検隊 』

はじめに・・・
2000年9月に初めて知床羅臼を訪れ、もうすぐ10年です。
何回羅臼を訪れたのか・・・最初は数えていましたが、今ではわからなくなっています。
初めて訪れた時と羅臼は変わりません。
人も空気も・・変わったのは、2005年に世界遺産になったことかな・・・本間おかぁさんが成長したことかな〜・・・そして、私も歳をとったことかな・・・(笑)
そんな何回も訪れてる羅臼で、はじめての体験をしました。岬体験です。相泊から先には、まだ行った事がありません。
お題は、『ミニミニ知床探検隊』 なぜ、ミニミニかというと・・・全てがミニなんです。いや、なぜかミニになってしまったのです。 今回も遠慮なく、感じたままに書いちゃいます。またまたまた、失礼な事も書くかもですが、なんとかゆるしてくださいね。 今回の旅は、旅友のマサオとふたり。いつもの仲間は、来れなかった。ミニミニ知床探検隊なのに・・・雨女・雪女の私が、晴れ女に改名したのに

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ミニミニ知床探検当日 晴天だけど、午後からは雨が降るかも・・の予想 朝5時半起床 今日もイイ天気。やっぱり、改名成功。 もちろん、本間おとうさんは起きてた。めずらしく、おかぁさんも起きてる。 昨夜、おにぎりを頼んだので、早起きしてくれたのかな・・・ 起きたら、おとうさんとおかぁさんが仲良く二人で、おにぎり作ってくれてた。 いまだ成長期の本間母(酒豪)「はい、これは、こんぶ」 パンチパーマ健在の本間父(甘党)「はいはい。」(アルミホイル包んで、マジックでこんぶと書く) そうです!羅臼登山の時の唯一の食料 “本間おにぎりぃ♪”なつかしいなぁ〜〜・・・

6時半前に本間出発。 羅臼の行き止まり、相泊へ到着。
もう、みなさん揃ってた。 今回の参加者、ガイドで写真家のわかささん、品の良い、完全防備の夫婦。そして、上下迷彩柄おじさん二人組、華奢だけど、写真にかける気持ちはすごいヤングマン(この表現ってどうなの・・) そして、完全素人、カメラだって、キャノンコンパクトIXYのマサオ・ちゃちゃ組。

そして、そして、船長は・・・・大木さん! 表現は古いけど・・なぜか、なつかしい“タケちゃんマン”を思い出す。マントではなく、海用のサロペット姿です。かなり、似合います。もちろん、両手をサロペットの腰の脇から、突っ込んでます。
ちゃちゃの勝手で、“大ちゃんマン”と呼ばせていただきます。 今回のちゃちゃ人気度によると、一番人気! ちなみに、ちゃちゃの人気度は、独自のツボに入ったかどうかで決められます。 完全にツボど真ん中!

だんだんと、ドキドキ感が高まります。
そんな中・・・ガイドさんと大ちゃんマンが話しています。
「ウトロ側は、波が高く行けないな・・・」と・・えっ!行けないの?!
話し合いの結果、羅臼側の半島にだけ行く事に。いよいよ『知床ミニミニ探検隊』スタートです!
船に向かって歩いてると・・・ここで待つようにと言われ、その時は、素直に了解。
待っていると、船ではなく、舟がやってきて、乗ってくださいと・・・あくまで舟。
えっ!これ?これで行くの?! 正直、そう思ったけど、みんな普通に乗ってるし、ミニミニな素人としては、どれが普通なのかもわからず、乗ることにした。
いわゆる・・・もう後にはひけない状態・・・
小さい。想像以上にミニサイズ。またまた表現は悪いけど、子供の頃に読んだ童話本?の砂かなんかでできてる舟?を思い出す・・ごめんなさい・・

知床倶楽部のMAKIちゃんは昨日言ってたな〜・・・大きな船で行って、小さな舟に乗り換えるって・・・聞き間違いかな〜・・と思った。 いやいや、確かに言ってた。「乗ってる時間は長いけどぉ〜、大丈〜夫ですよぉ〜〜」とゆっくり、しっかり言ったよっ。 説明にあった、トイレもないじゃん。ちょっと、休める場所だって、ないじゃん。。そして、人数少ないから、余裕で座れるって言ってたけど、余裕ないし・・結構、ギリだし・・ エンジンだって、むき出しだしさ・・・ でも、ミニミニ探検隊ちゃちゃ、この時は、この小さな舟から大きな船まで、行くのかも・・・と少しまだ期待してた。

期待は、すぐに裏切られる。ホントにすぐに裏切られた。だって、大きな船ではなく、とっても大きな海に向かって走りだしたんだも〜〜んっ!ちょ、ちょっと〜〜!このまま行くの〜?!い、行っちゃうのかいっ! お題通りになってしまった・・・ねらってないのに・・・素人ミニミニ探検隊のつもりだった。それなのに・・舟までもミニ。だいたいいつもこのパターン。想定外の事が必ず起きる。晴れ女に改名したのは、イイけれど、こういう運は変わってないみたい・・・ そんな中、ガイドさんと迷彩組ふたりは、余裕顔。ミニミニ探検隊のふたり、そして完全防備夫婦、ヤングマンは、どこを持って体を固定するか、みんなそれぞれに必死。言葉もない。無言で、つかむところを探す。 景色も見たいが、体も固定したい。

そんな不安が吹っ飛ぶ。第一熊ちゃん、発見!兄弟熊!
昆布の番屋が、なくなった頃だった。なにせ、不安でいっぱいだったから、記憶は曖昧だけど、崖に2頭の熊ちゃん発見。 今まで、体の固定で一生懸命だった、夫婦もヤングマンも、いつのまに用意したのか一斉にカメラを向ける。りっぱなりっぱな上等カメラ。マサオは、IXY。コンパクト。これもミニ。ミニづくし。ずいぶんとサミシイ。 兄弟熊ちゃんが、森の方に帰るのを見送り、ミニ舟はさらに走りだした。 夫婦もヤングマンも現実に戻る。ここは、海の上。何度も言うけど、船ではなく、舟。 しつこいがお題通りのミニサイズ。

感激してたのもつかの間・・・容赦なく、大ちゃんマンは、スピードをあげていく。 「大ちゃんマ〜〜ン!もうちょっと、どうにかなんないの〜!」・・・・とは、言えない。そんな余裕もなけりゃ、声も出ない。 さっきよりも、波が出てきた。揺れる。揺れるってもんじゃない。しかも、寒い。手はかじかんで、舟の端をつかもうとしても、つかみきれない。怖さと寒さで手が震える。 波にあたるたびにお尻は痛い。そして、波しぶきが顔へ体へバッシャ、バッシャ(+o+) 景色をあきらめ、下を向き、なるべく平らになるように頭を下げる。胃も上下に大移動。 ジェットコースター嫌いの私は、もう、限界。 ・・・とその時、舟がスピードを落として 小さな港へ到着。

ふぅ〜〜・・・ダメかと思ったよ。 ホントにこのままどうなっちゃうの?と思った。  私たち探検隊ふたりとご夫婦、そして、ガイドさんは小さな港みたいな所へおろしてもらい、ちょっと体を休めることになった。
大ちゃんマンと他3人は、岬近くまで様子を見に行くとの事。
私は、もう限界。オシッコがまんも限界・・・寒くて、寒くて、波にあたるたびに、ホントに違う意味でも限界だった。 この限界は、品の良い奥さんも同じだったらしく、キレイな顔で「がまんできないっ!」とふたりで岩陰に行きました。品が良くて、美人なオバサマも人間です。ふふふ・・・
ちなみにこのご夫婦、服は完全防備で、写真もいろいろ撮ってるみたいだったけど、このような体験は初めてらしく、ゴロン、ゴロンと舟の上でもおもしろいくらいによく転んでました。

この港、男滝・女滝のあるトコです。ホントに救いの港でした。 ここで、急にお腹が空いたので・・・“本間おにぎりぃ〜〜♪” 美味しいな〜♪ 陸っていいな〜♪

スッキリして、お腹もイイ感じになったところで、大ちゃんマン達が帰ってきた。 岬の方は、波も高いみたいで、やっぱりここまでという事になり、ゆっくり戻る事になった。
舟の乗る時にガイドさんが、「このブルーシート、波しぶきよけに自由に使ってくださいね。」と・・遅いよっ!乗る前に教えてよ! と笑いながら、つっこんどいた。 そして、また、あの波しぶきに緊張しつつ、場所固定に入ると、波はさっきよりおさまっていた。夫婦も体固定にも慣れて、上等カメラを守りつつ、体も固定できるようになった。
出発してまもなく・・・第二熊ちゃん発見! しかも、食事中。メニューは、トドの刺身?鹿の刺身?そんなメニュー。 ガイドさんより、「静かにしてくださいね〜」の合図。ここでの大ちゃんマンの舟さばきは、かなりすごい。ゆっくり、ゆっくりと静かに岸に近づき、ギリギリで止める。ミニだけに小回りがきく。
熊ちゃんに大接近〜 いいぞ!さすが大ちゃんマン!
舟の上では、シャッター音だけが小さく響く。もちろん、ミニIXYマサオもがんばっている。 私ちゃちゃはというと、じっと見守るのみ。 そこで、こちらに気がついたのか、食事中の熊ちゃんは、私たちの方を見る。完全なカメラ目線で。 シャッター音がすごい。熊ちゃんはアイドルの記者会見みたい。こっち向いた途端、一斉にカシャカシャカシャカシャカシャカシャ・・・
しばらくすると、お腹いっぱいになったのか、私たちに気がついたのか、崖を上り、山の中へ帰っていった。急な崖をすごいスピードで上っていった。 舟の中のみんなは、大満足。「つくと思ってたんだぁ〜」と大ちゃんマンも大満足。つくとは、えさを熊さんが食べに来ることらしい。 そして、ミニ舟は出発。 景色も見れるくらいな波になって、国後を見ながら、ミニ舟は進む。ホントにしつこいが、あくまで舟。車でいうと軽が高速でブイブイいわせてる感じ。
メガネ岩の浜に到着。 少し休憩することになった。 ここで、またまた、登場、“本間おにぎりぃ〜♪” つくだにと書いてあるおにぎりは、食べるとタラコだった。どちらにしても美味しい〜♪

メガネ岩の浜では、大ちゃん話が炸裂。 大ちゃんマンは、漁師だと思っていたけど、猟師だったらしく、トドやクマを獲ってたそう。5歳の頃から、お父さんと一緒に岬の山にも熊撃ちについていってたらしく、「この辺は、海も山も庭みたいなもんさ」〜と話していた。 話があってるか自信ないけど、熊の胃?胆嚢だっけ?が、薬として高く売れるらしい。 トド猟についても、細かく語ってくれた。
そして、「石原都知事も乗せたんだぁ〜、そして、ケンカしたんだぁ〜」と楽しそうに話してた。 話し出すと止まらない。 ん?どこかに似ている人いたなぁ・・・そうだ!本間おかぁさんだ! 似ている。羅臼自慢に腕自慢!似ている。

羅臼側の岬では、熊の猟もやっていて、羅臼熊は人間に対して近づいてこないし、お互いにイイ意味で距離をおいてるらしい。それとは逆にウトロ側では、熊との共存を目指しているみたいで、人間をあんまり怖がらないらしく、ウトロ側には、たくさんの熊が間近で見れるらしかった。 どちらが良いのかは、難しい話だよね・・・ ただ、ここ数年すごく感じる事を思い出しちゃった。 鹿が増えてる。多すぎ。実際に増えてるのかは、わかんないけど、10年前に比べると確実に出会う鹿が多い。 知床では、車の運転の時、人より鹿に注意が必要です。本当にそう思う。 これって、どうなんだろうね? 初めて羅臼に来た時は、鹿を見るたびに感激していたのに、今では・・・ 山で食べるものがないのかな?心配だね。

浜で休憩の間、一匹のキタキツネがでてきた。今回の旅で、キタキツネは初めてだったんだけど、ぼっさぼっさの毛でしっぽも貧弱で、ちょっとかわいそうな感じだった。 でも、大ちゃんいわく、「毛が生え変わってるんだぁ〜」と・・ しっぽが貧弱な為、カメラマンのみんなは、カメラを向けず・・・これまた、かわいそう。 旬を過ぎちゃったアイドル・・・記者会見はなし。一方、熊ちゃんは、今が旬。

大休みをとって、ミニ舟は再スタート。 もう一度、熊ちゃんが食事に戻ってきてるかもしれないと、戻ってみる事に。 波も穏やかで、舟の中のみんなも穏やか・・ しかし、熊ちゃんはいなかった。 だんだん、天気もあやしくなってきたので、熊ちゃんを探しつつ、戻る事になった。 すると・・・崖の遠くに熊ちゃん発見!もちろん、発見者は“大ちゃんマン” ちっちゃくて、可愛いおめめしてて、よく見つける。さすがは、元猟師! すかさず、岸のギリギリまでミニ舟を近づける。しかも、後ろで運転していたはずの大ちゃんは、いつのまにか海の中に入り、岸の近くまでミニ舟を引っ張ってた。さすがサロペット型合羽!おそるべし、大ちゃんマン!海の深さわかるんだね。サロペットの中には、水入ってなさそう・・・違うトコに感動するちゃちゃです。 もしかしたら、降りてくるかもしれないと期待しつつしばらく待つ。 しかし、やっぱり、山に帰っていった。でも、上等カメラのみんなは、しっかり写真を撮ってた。マサオの写真は、ちっちゃくて探すのに大変なくらいだったけど・・・

それからの時間は、崖に見える黒いモノは、全て熊ちゃんに見えてしまう。 みんな「あれ、違う?熊じゃない?」と言ってたけど、全部間違いだった。 熊ウォッチングでは、熊ちゃんだけでなく、いろんな知床の生き物に逢える。 オジロワシやオオワシ、名前はわかんないけど、いろんな鳥やカモにも逢えた。 きっと、カメラマンのみんなはイイ写真撮れたんじゃないかな? もちろん、ミニミニ探検隊の私たちも貴重な体験だった・・・ なんとか無事に相泊に到着。私たちのミニミニ知床探検隊、なんとか終了。 でも、また行きたいな。今度こそ、岬の方まで行きたいな。 その時は、また、大ちゃんよろしくね(^_-)   

今度は、大きな船に乗せてね♪
09/5/18 ちゃちゃ





「エコロジカル・フットプリント」
「循環系外エネルギー」
人間は1万年前に農業を手中にしたことで人間が食べられない 植物を排除するようになり 循環系を崩し始めます。人間には都合の良いことも生態系上からは 異常なことです。10しか獲れない麦が100も獲れるようになると 人間が一気に増えて生態系を崩していくのです。2万年前と比べると 人口が1000倍だそうです。数万年前1日で自分の身体を維持するのが2500 カロリー程度だったのが今は、食糧生産・冷暖房・交通などあらゆる分野を含めて 25万カロりーを使うそうです。そしてエネルギー源のほとんどが石炭、石油など 地下に埋まっている循環系外のものなのです。 人間の増加と循環系外エネルギーの使用(人間の便利の追求)が地球の秩序を崩すし 環境問題となっているのです。

この文章の資料は月尾 嘉男著『地球の暮らし方』(遊行社)を参考にしています。  能康



「エコロジカル・フットプリント」
「精神の転換}
21世紀の人類の危機は人間という生物だけが異常に繁殖したからだといいます。 今年鯨が羅臼沖にたくさん見られる。鯨は大漁の魚を食べます。魚は動物プランクトンをたべ 、動物プランクトンは植物プランクトンを食べ、植物プランクトンは海中のミネラルを摂取しています。 これを食物連鎖といい、食物連鎖は下にいくほど数が多く上にいくほど少なくなります。 これを食物連鎖のピラミッドといい、人間という生物が頂点にいます。 その人間だけが異常に繁殖し、ピラミッドの均衡が崩れ今危機的な環境問題が生じているわけです。 しかし人間が滅びれば地球はまた均衡の取れた地球に戻るのです。 だから環境問題の解決は地球のためではなく人間のためなのです。 日本では年間2000万トンの食料が廃棄されておりこれは世界の食料援助の 総量の2倍だそうです。環境問題解決の最重要課題はわれわれの精神の転換なのです。 続

この文章の資料は月尾 嘉男著『地球の暮らし方』(遊行社)を参考にしています。  能康



「エコロジカル・フットプリント」
直訳すると「生態学的足跡」 人間の経済活動が生態系を踏みつけた足跡という意味。 この概念で現在の地球規模の環境問題を明示するとその深刻な状況が よくわかります。 まず、現在の地球の人口は約65億人でこの地球が養育できる人口は53億人 程度で、12億人は定員オーバー。では何故人々が生活できるかというと 12億の人々は極端な飢餓や貧困を我慢して生活しているのです。 例えば清潔な飲み水を得ることができなくて年間約300万人の人々が 死んでいます。 さらに、地球の大気温度の上昇は、世界がこのままエネルギー消費を継続すれば 21世紀末には気温が5.8度上昇し海面が88センチメートル上昇すると予測されています。 こうなると一部の犠牲で全体が生存できるということでなく 、全員が生存の危機に直面するのです。 21世紀の人類はこのような巨大な問題解決に全力投入しなければならないのです。 解決されなければ世界自然遺産知床羅臼の海岸線も近未来海に埋没することになるでしょう。続

この文章の資料は月尾 嘉男著『地球の暮らし方』(遊行社)を参考にしています。  能康



羅臼観光の幕開け3

「夢の桃源郷」
『特殊な観光素材を包蔵する羅臼村を 広く村外に宣伝し、観光客の誘致を図ると共に受け入れ態勢を確立し、 「羅臼観光」の確立を期待する』。50年前先達が子孫に夢を託し羅臼村の「観光協会」を設立した。 思いの半分は成しと遂げたが後の半分はこれからだ。 行き交う人びとの顔はニコニコと笑みがこぼれ、海浜や川原で子供が無心に遊んでいる。 夜になれば各店からは笑い声が聞こえる。着飾った娘達が海の幸でもてなし 旅人と共に男たちは海の歌をうたう。程よい酔いに浜辺にでれば、国後の上にしらじらと白夜が あける。そして思い出と共に旅人は去ってゆく。きっとまた来よう。カラスもカモメもそれまで 俺を忘れるな。「桃源郷」のような羅臼の町作りが残りの半分だ。   


読売石原です きょうの読売新聞福島版に 尾瀬の脱ダム問題の記事を書きました。 ご覧ください。 霞ヶ浦から始まり、渡良瀬遊水地、長野の脱ダム宣言、知床の治山ダム等々 15年間、行く先々のこの問題に突き当たります。 日本の環境問題の宿命なのでしょう。 以下、記事です

「どうする尾瀬沼取水」
自然保護団体「自然の流れに戻すべき」 東電「発電に必要、洪水対策にも寄与」
 阿賀川水系の水源である日光国立公園内の尾瀬沼をせき止め、群馬県側に水を流し、 水力発電用として使っている東京電力が、5月から福島県側に流す水量を倍増させるこ とになった。福島側における河川水量確保のための措置で、同社では3年間にわたり国 土交通省の指導を受けながら準備のための環境調査を行ってきた。自然保護団体は「真 の尾瀬の自然を取り戻すために電力用の取水はやめるべきだ」と求めているが、東京電 力は「水力発電には必要。尾瀬沼の水位操作は自然保護や洪水対策にも寄与している」 としている。  尾瀬沼からは沼尻川が流れ出し、尾瀬ヶ原を通って阿賀川水系である只見川へとつな がっている。後に東京電力と合併する「日本送発電」は1949年、沼南部の「三平下 」付近で取水して群馬県側の片品川に流し、水力発電に利用するため尾瀬沼の沼尻川河 口に3メートルの堰(せき)を設置。東京電力は10年前の水利権更新で、尾瀬ヶ原に 関しては放棄する一方で尾瀬沼の権利は維持した。その際、本来の河川の姿を維持する ための最低限の水量は確保すべきとする旧建設省、通産省の「発電ガイドライン」に従 い、堰に25センチ×15センチの放流口を設けて毎秒0・086立方メートルの水を 阿賀川水系に流すようになった。  尾瀬沼の水利権は10年ごとに更新することになっており、東京電力は4月1日の更 新に先立ち尾瀬沼や尾瀬ヶ原、沼尻川などにおける水環境調査を、国土交通省阿賀川河 川事務所(会津若松市)の協力を得て実施。従来の2倍の水量を福島県側に流しても、 水力発電や自然環境に影響はないとの結論を得た。これを受けて福島側の水量を毎秒0 ・156立方メートルに倍増させることになった。  東京電力群馬支社(前橋市)は4月中に堰の放流口を47センチ×15センチに広げ る工事を行い、5月21日に放流を始めることにしている。  これについて東京電力に水利権を放棄するよう求めてきた福島県自然保護協会の星一 彰会長は「今回の更新も唐突で、環境調査結果が非公開だった。尾瀬沼の自然の流れが 破壊されて50年以上を経たが、本来の姿に戻すべきではないか」と訴えている。一方 、東京電力群馬支社管財グループの吉沢広晃課長は「調査結果は精査した上で、尾瀬保 護財団に渡す。水位操作で、下流の洪水対策や湿原の現状を維持する自然保護にも貢献 している」としている。 (2006年4月16日 読売新聞)

  


羅臼観光の幕開け2
「女将会」
北海道観光はサ−ビス三流の汚名挽回に従業員の接客マナ−の 改善に惹起となってますが 経営者そのものの素材が悪いのだから大した意味は無いのです。 さて羅臼の場合、まず魁から始めよで 直接それに携わる宿泊業の女房達が奮起することです、茶の湯、お花、踊り、書、読書、絵画などの 教養を身につける修練に努め漁師の町にこんな女将がいたのかと 羅臼を再確認させることです。教養(学問ではない)、習い事を身に着けることは 立ち居振る舞いが優雅になり 接する他人を和ませます。これ以上の接客はないのです。 次におかみさんたちは、むさくるしい男どもを表舞台から裏方に下げてください。 発想は貧弱、見栄えは悪い、金は使う、勝手なことは言う、 寄り合いでは喧嘩して帰って来る。この商売は無能な男が主役で大成した 例は少ないのです。能ある男は風呂掃除しながら世界を見ているものですから おかみさんがそれだけのものになったら男は黙って下がります。 華やかな明るい場所には人が集まります。 かくのごとく羅臼の観光産業の「あげまん」になるのは あなたがたしかいないのです。 一日も早く「女将会」を完成させて本当の羅臼の観光の 幕開けにしてください。
06.4.10 能康
  


他山の石

「尾瀬国立公園」独立へ
期成同盟3県の3市村20日設立総会
 日光国立公園の尾瀬地域を擁する檜枝岐村と群馬県片品村、新潟県魚沼市が、同地域 の独立を目指す「尾瀬国立公園実現期成同盟」を結成、今月20日に東京・永田町の参 議院議員会館で設立総会を開くことになった。渡部恒三・民主党国対委員長や田中真紀 子衆院議員などもメンバーに迎え、機運を高めたいとしている。  月内に尾瀬保護財団内に検討会が発足し、具体的な議論が始まることに歩調を合わせ た取り組みで、国会議員のほか3市村の首長や観光協会幹部らが環境省などに要請活動 を行う。  尾瀬地域はピーク時は60万人を超える観光客でにぎわっていたが、ここ数年は40 万人を割り、人気にかげりが出ていた。檜枝岐村では、会津駒ヶ岳や帝釈山を新たに国 立公園に編入することを環境省が検討しており、村では、尾瀬の独立で観光振興が大き くはかれると期待している。  尾瀬に関する「期成同盟」としては、1949年に、尾瀬ヶ原を水力発電用ダムにす る計画に反対して研究者や山小屋関係者が結成した「尾瀬保存期成同盟」がある。檜枝 岐村企画観光課の平野信之課長は「3県の自治体が力を合わせて、尾瀬国立公園をぜひ とも実現させたい」と話している。 (2006年4月7日 読売新聞石原特派員)
  


羅臼観光の幕開け「その一」

羅臼は漁業の町です。観光を生業とするものの比率は10%に満たない。 観光業者はまったくの他力本願でで成り立っている。 だから羅臼の町は観光産業地とはいえないのである。 ゆえに行政も中途半端な観光振興策しか取れない。 潜在的な観光資源を有する羅臼が子々孫々未来に続く 豊かな生活の地になるためには 基幹産業の中心である漁業組合が観光産業に参入することだ。 漁組の三次産業への参入は資源を守り、外貨を稼ぎ、雇用の場を増やし、 現在の羅臼の経済を1+1=3となる効果を生むことになる。 どうしてそうなるの?の疑問の答えはまたにして 羅臼の真の意味での観光産業の幕開けは漁組の観光産業への参入なしでは ありえないのは間違いない。 能康4/1
  

「起き上がり小法師」
民主・前原代表が喜多方訪問 農業特区の現場を視察  民主党の前原代表は26日、構造改革特区の農業特区制度を導入した喜多方市を訪れ 、農業関係者や農業の現場を視察した。 喜多方プラザ文化センターに到着した前原代表は、集まった農業者などから市内で導 入された農業特区について説明を受けた。制度を活用して農業に参入した建設会社幹部 から、先行投資してもすぐに利益があがらず、苦心している現状などを聞いた。記者会 見で、前原代表は「特区制度に問題はあるが、フォローを政府与党がきちんとやってい ないとすれば、国民の目線でしっかりともの申していきたい」と語った。  会見には、同党の渡部恒三国対委員長も同席。同市の白井英男市長から贈られた「起 き上がり小法師」が前原代表の席に置かれ、見事に起きあがると、渡部国対委員長は「 大変気にしていたが、ちゃんと立ったね。これで前原民主党も大丈夫だ」と笑顔で声を あげ、握手を交わした。
(2006年3月27日 読売新聞 「福島特派員」 石原)   

[風通信]知床代官所 北辺にもあった会津士魂=福島

 3月1日付で会津若松支局の辞令を受け、前任の北海道支社から移動途中、手にした 作家中村彰彦氏の「落花は枝に還らずとも 会津藩士・秋月悌次郎」を開いて釘付けに なった。  幕末の会津藩で「日本一の学生」と呼ばれた藩士の物語。秋月が北海道の知床・斜里 郡代官所に左遷され、ヒグマと戦うシーンが登場する。会津藩は北辺警備のために幕末 、知床を領分としていたのだ。  昨年夏、世界自然遺産に登録されるまで3年近く知床を取材してきた。真冬は、流氷 が押し寄せ、猛吹雪と突風が襲い、体感温度は氷点下20度を下回る。  幕末、木造家屋で、防寒着などないはず。ニシンなど魚介類は豊富だが、米も野菜も 採れない。多くの藩士や家族が命を落とし、知床半島周辺に会津藩士の墓が残る。藩士 の足跡は、北方領土、樺太にもあると知り、身震いした。  どんな困難、逆風にも立ち向かう会津人。会津の地に赴任したいま、「会津士魂」を じっくり学びたい。(石原健治)

  




「自然と観光のはざま」



最近少し醒めてきた感のあるアウトドアブームであるが、 それでもなお根強い人気があるようで、関連雑誌の発行数は 相当なものがある。そのような中でアウトドアつまり自然資 源を観光に利用しようとしている人たちを多く見かける。  果たして自然は観光資源となりうるのか、かなり難しい問 題である。なぜなら自然は無限資産ではないからである。自 然はある部分強靱であるが、別の面では想像できないほど脆 弱である。私の好きな釣りの場合で見てきたことを少し述べ たいと思います。
 今から10年前、福井県のK川で「サクラマス」釣りブー ムが始まった。本州の川でサクラマス釣りを許可している河 川は少なく、北陸地方ではK川以外は無い状態でそのK川に サクラマスが遡上する事を知るわずかな人たちが、楽しんで いるだけだった。ところがある著名なプロフィッシャーマン が釣り雑誌に紹介したことによりその川でのサクラマス釣り がブームとなった。
 私が初めた頃はゴールデンウイークであっても川で人と会 うことはまれで、1日せいぜい2人であった。しかしブーム 後は著名なポイントには入り込めないような人が押し寄せ、 一瞬にして静かな川は喧噪へと変わっていった。また、フラ イキャスティングは後ろにスペースがないとキャスト出来な いため、河原の柳の木を切ってしまう心ない釣り人もあらわ れた。また、バックスペースを確認せずキャスティングした ため、川原で遊ぶ子供を釣ってしまう事故まで発生してしま った。このようなことは人が多く押し寄せたことの弊害で、 当初は遊魚券の売り上げが伸び喜んだ漁協であったが最近で は釣り場でのトラブルに困っているようだ。
 これは押し寄せた人の多さが原因である。多く押し寄せた その中に心ない釣り人・マナー無き釣り人がいたことである 。多くの人が来れば、その中に心ない人の含まれる数は多く なり、結果として自然が破壊されている。サクラマスにとっ ても、多くの釣り人により、つり上げられ減少した。数人の 釣り人が川の清掃・稚魚放流により自然環境を戻そうとして いるが、気まぐれな釣り人の一時的な自己弁護方法の一つと しか映らない。しかも放流しているサクラマスの稚魚は人の 手で疑似メスにしてあるため、海に下るが抱卵しないものが 多い。魚の数は増えるが毎年放流し続けないとその数は維持 できず、自然体の魚は増えないのである。
 このK川は岐阜県との県境油坂峠付近を源とし、日本海ま で流れる大河であるが、その大河ですらひとつのブームで自 然破壊の状態である。
 最近世界遺産に登録された白神台地では、入山規制を行い 自然を保護している。かの有名な尾瀬ヶ原の山小屋は完全予 約制で入山者数を制限している。尾瀬ヶ原では沼の富栄養化 で水芭蕉が強大化したことがきっかけで、自然回復力を超え た数の人間の入山を制限したのである。このように自然の回 復力を考えた保護を行わないと自然はその姿を醜いものに変 えてしまう。
 知床のような狭い範囲ではその方法を間違えると取り返し のつかないことになるのは必至である。今ある自然は子孫か らの預かり物である。今の時代に生きるものが自分たちだけ の都合で開発を行うことは自然破壊のなにものでもない。 和歌山のある町の町長は
「この川には年間多くの人たちが来てくれる。 しかし年間10万人が限度である。 10万人を超えたら。私たちは黙ろう。 そしてあえて日本のチベットになってもいいではないか。」 この言葉に感銘を受けるのは私だけであろうか。

西洋式毛鉤釣師 伊藤 圭介




「景観」
景観とは見るだけの価値を持った特色のある景色。 自然景観と文化景観がある。 昔、村であった頃の羅臼の子どもたちは厳然とたつ 羅臼岳を見ながら育った。羅臼側を厳しい父さん ウトロ側を優しい母さんに例え大きくなって遠く 羅臼を離れてもその姿を心に描いたという。 現在は大きな家が立ち、電柱が並び、看板があふれ、 人間が車に気を使いながら歩く。 いまの子供達が見る羅臼岳と昔子供達の見た羅臼岳は変わらないが 思いは決して同じではない。 それを眺める環境が変化し共通の視点で見ることが無いためだ。 景観を同じ視点から見ることで記憶・感動も共有する。 羅臼岳を語ることで昔の人は共通のふるさとを思い出す。



                2/16 能康
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「ガイド育成」
ガイド試験を受かり証明書がだされペ−パ−ガイドが生まれる。 しかしこれはあくまでも資格であって実力ではない。 私は書をやるが目標の師範の免許をとっても、通過点であり 書家としては通用しない。 しかし世間では師範ですといえばそれなりに評価はされる。 昔のように書が誰もが必須として身に備えなければならないものでなく 書の良し悪しを見抜く素地が無いからだ。同じように ガイド育成の名目の下でいくら乱造しても人材は生れない。 倫理の伴わない知識は論語読みの論語知らずになる。 その結果ガイドのためのガイド要覧、ル−ルが必要となり ガイド自身が指針とならないのだ。 ガイドを育てるということは、ガイドの経済的補償の確立、 社会的地位の向上の基盤を整えることであり 社会の害毒に左右されること無く 自然を舞台に誠の人生の道案内たる人間を育むことである。

                2/8 能康
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「共生」
自然との共生が唱えられている。 だれもが呪文のように唱和することが まず信用できない。 共に仲良く生きよと言えるのは神だけだ。 人間が自然に対し共生を唱えること自体 まやかしで傲慢そのものだ。 少なくとも登山道の脇にテッシュの花を咲かすような 輩が言うべき言葉ではない。 親父に言われたものだ山に入るときは2,3日前から 体調に気をつけ万事に備えよ、尻を出したまま熊に食われるような まねをするなと。 人間が謙虚になり自然を恐れ敬い初めて 自然に共生を願えるのである。この時勢では たぶんそんなことは金輪際ありえないだろうから 風、水、火、地、天の神が怒り出さないことを 願うだけだ。

                2/3 能康
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「白鳥」
羅臼川河口に浮かぶ九羽の白鳥が六羽になったり、二羽になったり 1日すべて留守になったりする。カメラを向けると寄ってくる。 カラスもカモメもあのオオワシ、オジロワシでさえも 飛び立つのにだ。オワシの場合かなり遠くから カメラを向けてもすかさず飛び立つ姿勢を見せる。 そのくせ歩く人間にはさほど敏感な反応はしない。 向けられたレンズに危険を感じるのだろうか。 白鳥は人間が危害を加えないことを承知してると思われる。 留守にするのはツア−客の集まる日をわかっていて 一時移動してるのでないかと勘ぐる。 太古から忌み嫌われ生き延びてきたカラスは人類が死に絶えても 生きていそうだ。それにひきかえ白鳥の行く末を心配するのだが ツア−客の動向を察っするとしたら、こちらもなかなかしたたかだ。

                2/1 能康
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「流氷」
アイドマリ沖にとどまっていた流氷があっという間に羅臼港に寄った。 流氷がきてトドの群れは羅臼を出アザラシが現れる。200カイリ船は操業の拠点を らうす沖に変えた。山から沖を睥睨していたオオワシ、オジロワシは 氷上より餌を狙う。流氷は天気を安定させ波を抑えウニ漁がしやすくなる。 波が静まれば流氷を縫って遊漁船が活躍する。 過度の流氷はコンブに悪影響ももたらすが 昔は間引きの役割をしていたらしい。流氷は 半島を冷蔵庫にして寒さも厳しくなるが 知床を豊穣にする恵みの使者である。 1/30 能康
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「一を成すこと」
諺に一を知って十を悟るというのがあるが、 一事を成すには10くらいのことを考えなければ ならないのは確かだ。例えば今回のスケソ体験ツア−では 乗る船、漁る船、ガイド、宣伝するもの、受け付けるもの、 宿泊の手配、食べるところ、海が荒れたときの代替の手配 保険の関係、関係官庁への連絡等等、頭をめぐらさなければならない。 まあこのくらいのことは誰でもわかるのだが、 それを商品化し継続するのには倍の頭とエネルギ−を使う。 船頭の教育、ガイドの教育、旅館の教育、食堂の教育、お土産やの教育 と考えるときりが無くフアイトも湧くがそこまでしなくともと いう気も起きる。もっと大変なのはそれぞれが採算があい継続させることである。 知床遺産に負けない観光地つくりは斯様に手間がかかる。 世界遺産で押し寄せる観光客で一時的に稼げば良いというものではない 。公務員は商売人のことがわからず、商売人は公務員の立場がわからない。 漁師は観光がわからず、観光業者は漁師をわからず、観光客は常識をわきまえず ではだめなのである。すべてをクリアしてはじめて人の来たくなる 観光商品ができるのである。 1/28 能康
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「蜃気楼」
羅臼では海に沈む太陽を見ることが出来ない…。
スケソの激減で昔日の勢いは無いが 中国の食糧事情のため今までは捨てるような ブナ系のサケがほどほどの値で輸出されるようになり 追い風が吹きかけている。 スケソも高値で買われており漁量次第では一息つく感がある。 ウトロの老人が話した。昔網走の空が真っ赤に染まっているのを見て当時のウトロの人は 火事だと思った。ずっと後になりそれが蜃気楼だったとわかった。その美しい思い出が 知床オ−ロラファンタジ−の発想になったという。
今、羅臼が高値に惑わされふたたび資源の乱獲を繰りかえすようになれば 羅臼の人は沈む太陽を見ることになるだろう。 落日がたとへどんなに美しくてもそれが蜃気楼であることを願うばかりだ。 1/28 能康
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2006年1月4日の高波


「井蛙」
情報の時代である。地方に居ても世の形勢はわかる。 しかしその実態まではつかむことは難しい。 かえれば、理論と実情が合わない場合がある。 偉い先生の講演は聴いているときは実によく理解できるのだが さてそれをこの地で実践するとなるとまず役に立たない。 そういことでは互いに井中の蛙なのだ。 市場主義原理の中で安売り合戦をしている。 安売りはそれだけの戦略があるものがやるから良いので ル−ル無き線上で誰もが安売りで競えば最後は一人勝ちしかなく 経済は破綻する。 市場原理を知り惻隠の情を知らぬは 頭の井中の蛙である。 1/26 能康
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つれづれに
「夏の思い出」

猫の額ほどの我が畑
乾燥に弱い人参の種は、発芽するまで気を許せない。 だからといって、うっかりシャワシャワ勢いよく水をかければ、 蒔いたはずの人参の芽が影も形も表さない。 やっと発芽しても、小さな芽のうちは蔓延するハコベに負けて消えてしまう。 世話した甲斐があって、収穫の秋。 ところが、土の中でジャンケンポンでもしてたのか、二股三股になった 凸凹拳骨ニンジンばかり。 怒っていたんだ。近頃のテレビ報道に!

大根は四本収穫。それがどこかで見たような恥ずかしいような大根足、 え?私は大根足ではありません。なんと、一本四キロc, 4x4=16キロcさっそく、ビ−ル漬け。
カボチャ。伸ばし放題にしておいたツルを引っ張ったら、雑草の下から 子沢山!一本の苗から七個。
うん、ま!麦畑ならぬ雑草畑で、x x x してたのね。 どうしてだろう x x x って書くと、淫靡に見えるなぁ。 当てはまる言葉は、仲良しです。

あら、脱線しちゃった。収穫したカボチャのことだった。 我が家の朝食はト−スト。パンプキン・ス−プが大好評。 好評となれば、毎朝頑張る(名シエフの必殺技!) 結果は、手も顔も、真っ黄黄。
う?顔には、太陽さんの熱いキスマ−クが!

byやどかり
-月刊新根室06/2月号より-



「えこつ〜ってなんだ?」
ここは世界自然遺産地知床半島羅臼町。 夏、羅臼遊漁船組合の仲間うちでの会話 「客が少なくなったなあ」 「ウトロは一杯だとよ」 「釣り船のやり方をかえなきゃだめだべ」これは 知床半島先端部適正利用専門部会の ワ−キングの席で、釣果はク−ラ−1箱、サケは5本、 マス10本、営業時間は12時間内とする自主ル−ルを示し、 それを一般に公表した結果である。それまで羅臼は 漁をさせる釣りであった。 みんなでいろいろ話し合う。
「冬スケソ漁を見せ、網を引かせたらいいんでないか」 「船で食う、スケソ汁も美味いから食わしてやりたいな」 「お土産にスケソもつけてやるべ」 漁組の若き理事が仕掛け エコツ−リズム推進協議会のこれまた若き担当職員が 渡りに船と電光石火の働きで 「知床遺産・羅臼冬のエコツア・プログラム・ 流氷の海の漁業見学体験 モニタ−ツア−」という商品をつくりあげた。 ちょっと急いだので船上での鍋もスケソ網を引くのもメニュ−から 消えたが試みは来年への手がかりにはなる。
若き理事が言った。「えこつ〜ってなんだ?」 1/21 能康
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知床いぶき樽
今日は知床いぶき樽たるの新年会に出た。 知床いぶき樽のことはこのペ−ジにもリンクしてあるが 今年で創立35周年になる。最果ての辺境の地に 郷土芸能を確立させた先達は壮年を過ぎた。 国境の海に響く樽太鼓の合奏は多くの人を感動させ、 寒風の中での厳しい練習は子供達に自身と夢を育んできた。 彼らはやがて老人となり子どもたちは壮年となる 。 そのようにして何代も何代も若者のたたく樽の音は響き 知床の風、波の音、若者の息吹は やがて知床のはふりとなるだろう。 知床いぶき樽は知床の自然が生んだ郷土芸能だ。 1/21 能康
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羅臼町飲食業連合会
こうしてみると小さな町には随分とおおげさな会名だ。 羅臼の港が豊漁で沸いたころ飲食店は80数件の飲食店が あり飲食店街はさながら不夜城の賑わいでした。 景気の良い羅臼へ地方から多数の水商売関係の人が流れ込んだ. 無法状態になるのを防ぐため食堂組合と飲食組合が連合した。 そのときつけた名がこれなんです。私が会員になったのはその頃より 数年後ですがそれでも 会長はじめ先輩達の言動容姿は一癖も二癖もあり近寄りがたい 存在で声をかけられると嬉しかったものでした。 平成元年に町のあらゆる団体を招待して30周年記念式典 を行っておりそのときは会員数が66人でした。 今日は48年目の新年会です。現在の会員数30人 歴代会長の末席をけがしております。 時代の流れを感じます。 1/20 能康
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2006年1月4日の高波


驕る者…
頭のいい若者が商法の間隙を縫って 一瞬の光芒のように世の中に躍り出た。 歴史の中にはよくある出来事だ。 だいたいは泡のごとく歴史の流れに埋没してゆく 世の中そんなに甘くない、それでも 一時的には世間の目を開かせる。 ホリエモンさんには そういう意味で喝采を送っていたのだが はしゃぎ過ぎてだんだん馬脚が見えてきた。 惜しいかな彼には人生の師たるべく参謀がいない。 求めようとしなかったか、聞く耳持たぬということか。 行く末の破局はこの辺から見える。 これから正念場を迎えるのだが 得意絶頂のときの発言が本物かどうかが 実証されることになる。 本物であってほしい。 真剣勝負で想定外だったでは 命がない。1/19 能康
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安楽死
最近安楽死のことを思うことがある。 象は死期を悟ると密かに姿をくらますという。 いまは知らないが子どもの頃の記憶では飼い猫がそうだった。 動物のようには行かないが 私も自分の生死は自分で決めたい。 老いさらばえ自分の身体もままならず 生かされ続ける機械人間なんて真っ平だし 病気と同じく人生も先が見えたらぐずぐずせず早々とこの世からおさらばだ。 象や猫のように人知れず死ぬは理想だが今の世間はその環境にない。 家族や親しい友人に 世話になったお礼を言って”じゃあそろそろ”と 人生芝居の終章の幕を引きたいのだが これまた法律で安楽死が認められていない。 能康
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なんにでも本気な友人
のんべ仲間がいた。一年足らずの付き合いだったが 実に濃い付き合いだった。2人で来る日も来る日も焼酎を 飲んで人生を語っていたらいたら友は顔がむくんで青黒くなってきた。 これはいかんぞと思っていたら幸いにも彼は転勤になり 羅臼を離れていった。そして私は肝臓から10センチ大の癌を 摘出した。一方羅臼を去った 友は酒を断ちジョギング、水泳、に精を出し際どいところで 体調を取り戻した。暫くするとまた飲み始め、チャレンジ精神旺盛の性格からか 自分のションベンを飲みだし、絶対身体にいいと私にも勧めた。 ションベンなんか死んだって飲めるもんじゃない そんな彼が突然携帯で断食の会に入らないかといってきた。 本気に私の身体を思ってのことでありがたいのだが とても付き合いきれない。 能康
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高潮
海岸町にある海中写真家の関さんの小屋が先日の高潮で破壊されてしまった。 この高潮はヒカリゴケのあるマッカウス洞窟防波堤を抉り 海鮮工房まえの国道の通行を止め 海岸沿いに建つコンブ番屋の数棟をさらった。 遊漁船の金亀丸は高潮に係留綱を引きちぎられ海から岸壁をこえて 陸へあがってしまい、船腹に大きな穴があいた。 私もヒカリゴケの現場へ行ったのだが、洞窟の前は水が長靴の丈をこした。 残念だがデジタルカメラと私の腕ではでは臨場感ある写真は取れなかった。 羅臼は海岸沿いまじかに建つ家が多い、今までは大丈夫だったが 地球温暖化でこれから先が不安だ。 とりあえず関さんの現場をご覧あれ。 能康
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2006年1月4日の高波


6000と900
この数字は現時点でのウトロとらうすのおおよその一日宿泊可能数です。 世界自然遺産登録は生態系の貴重さから学術的価値で認定されたもので 経済波及効果は二次的なものです。 数字に戻りますがこの数をどうとらえるかです。 今後の知床の観光行政の明暗はそれによって決まります。 経済も自然保護も数の計算なのです。
和歌山のある町の町長は 「この川には年間多くの人たちが来てくれる。 しかし年間10万人が限度である。 10万人を超えたら。私たちは黙ろう。 そしてあえて日本のチベットになってもいいではないか。」
数字が生きてます。
.    能康



うそっぷ物語
ラウシ川にひとつがいの白鳥がひっそりと 舞い降り一冬居ついた。 次の冬は三羽になった。そして今年は六羽になって 優雅に水面を浮遊している。 ぎゃあぎゃあうるさいゴメや悪たれカラスから みるとその姿の実に気高く高貴に見えることか。 男はそんな白鳥の生活を乱さないよう遠くから朝夕うっとりと 眺めていた。そして自分の理想の囲いに白鳥を閉じ込めていった。 ある天気の日、騒々しい親子連れが来て「さあ、可愛い白鳥さんに お食事を上げましょうね」といってパンを投げ与えた。 パンを漁る白鳥の浅ましい姿をみて男の目が光った。
男は白鳥を食ってしまった。
実は男はキツネの仮の姿で人間が白鳥を飼いならすのを 待っていたんだとさ。
.    書き人知らず



言葉
東京オリンピックを契機に日本の経済は復興し 右上がりに上昇し続けました。 カラ−テレビ、冷蔵庫、ク−ラが家庭の三種の神器 といわれた頃の話です。そんな東京郊外のキャバレ−で 遊びづれした40代後半の禿げ男が30代の若い男に 「あの女は身が固いどうしても落ちない」とぼやいていた。 そのホステスは深窓の出の噂が立つほど品があり 在籍100人以上のホステスのなかでも いつもナンバ−3を下らないほどの人気者なのですから仕方がないのです。 若い方が言った 「オレが口説いてみようか…」
1年ぐらいたってから男は全てを崩壊して女と消えました。 「オレが口説いてみようか…」この一言があの男の進路を狂わしたような気がします。 どうしているのか、ずいぶん前の話です。
.    能康





つれづれに
「美味しい酒」

粕漬けの漬物を食べても、ほろ酔い気分になってしまう。かなり、情けない。
安上がりに、いい気分になれていいなぁ、と、酒にはザルの同居人がいうのだが。
ごくごくたまに、お酒にうまく酔ってハッツ-ピで自由な気分になることがある。
まいにちなれたらいいのになぁ(ん、毎日?わっはっは・・)残念なことに酒と相性よい生態質に 生まれなかった!
私の父も正月や盆に、調子で一本も飲めば真っ赤になってニコニコしていた。仕事に就いて いた頃、同僚に笑われた。「あんたって、酒飲みが好きだね」そう、 厳しかった上司がお酒を飲むと優しくなって、どこか可愛げがでてくる。 いや、可愛げ…なんて失礼な言葉は、今だからいえる。肩のかみひもを脱いでリラックスして、 若いころ女に振られた話や失敗談を聞かせてくれた。実話だから、実に面白い。
「好きな女の子に、ラブレタ−を書いたんだ〜」(美しい字を書く人だった)シャイな性格で 、酒に酔っていても、そんな話をするときはテレ顔になった。「そしたら、返事がきてよ〜」 「それで…」「その返事がよ〜、与謝野鉄幹詩で、妻を娶らば才長けて、、見目麗しく…って、 書いてあったんだ〜。なあ、どういう意味だと思う?」
は?覗き趣味でミ−ハ−の私は固まってしまった。「きゃ、はは…返事がきたということは 、つきあいましょうということじゃないでしょうか」と、とりあえず。
「そ〜かぁ、やっぱりなぁ。おれなぁ意味がわからなくて返事を書けなかったんだ…」 娘三人もいるお年になっているが、若き日の甘く切ない思い出話でした。
酒の美味は、肴もさることながら、しんみり語り合いながら戴くのが一番かも。

byやどかり
-月刊新根室06/1月号より-



素材
狐野芙美子さんはパリで評判の出張料理人で世界に通用する 日本人のひとりです。 普段は謙虚だがひとたび厨房に入ると厳しくなり 買いだしに行った時はパリの人以上に厳しい注文を つけるそうです。 ご存知のように 羅臼のケイジ、メンメ、ホッケ、コンブ、ウニなどは全国版のブランド品で パリの市場でも引けを取らない素材だと思いますが もし狐野芙美子さんがそんな食材にあれこれ注文をつけたとして、 それを謙虚に受けとめ反省する自信のない人と 羅臼の魚のことはオレが上だ 料理人のお前に何が分かる!とどやしつける自信家と どちらが多いだろうと思うのです。
.                  能康





つれづれに
「女の勘違い」

類い希な美貌も才能も華も、ないない女には、勘違いだけが人生を バラ色にしてくれるのさ。
少々はた迷惑な女と思われようと、大罪にはなるまい。うまくいけば、 そのトンチンカンさが可愛いなんていわれたりするんだから。
感じがいいと思っていた男に手を握られて舞いあがっちゃたり、 「笑顔がいいね」なんて、ほめようがない顔に、男が苦心惨憺して 言った言葉に、その気になったり。
中年オバサマが、韓国俳優のヨンさまだの氷川キヨシちゃんなどに お熱。夢もうつつも、勘違いがはじまり?
勘違いするのは、男のことばかりとはかぎらない。もしかしたら、あるかもしれない 知性、才能にまで。カルチャ−センタ−の習い事で、先生の励ましに、おまけでちょっと ほめられた事。スナックのカラオケで、酔った客に大拍手されたことなど、勘違い ありは日常茶飯。
「うちの人、生まれ変わったら、またお嫁さんになってくれっていうの」
生きている間何がおこるかわからないのに、次の世までも〜 もう、完璧。

byやどかり
-月刊新根室8月号より-




つれづれに
「だって、愛してンだもン

列車の乗換えで降り立った道央の、とある小さな駅の待合室。 夜の9時過ぎ、遅くまで勉強してたのか手元に学生カバンを置いた制服姿の高校生 5,6人が弾んで笑いあっていた。そのうち、女子高生の一人が、携帯電話で旭川ワシントン・ホテル にと泊りの予約。「お部、あいていますか。ダブルがいいんだけれど。 え?しかたないわ−。チエックイン3時にお願いします−」友達と同じ大学でも受験するので 、泊るホテルの予約中?予約をすんだ女子高生 「ツインしかないんだって−。でもツインで彼氏とベッタリくっついて 寝るのもいいんだわ−。モ−テルは汚くて嫌だわ−」
わっ、わ高校生が!ラブタイムを一流ホテルで…
ニキビ面に大志を抱いた、我らが高校時代。「男は、みんな狼」(あれ何?) あの時代、若い女の子への、鵜の目、鷹の目のご近所、ご親戚チエックは 立派だった。なあ、優しくしてくれる男は、みんな自分を好きで、大事にしてくれる と思い込んでいたノ−テン娘時代。 その娘にせめて悪い虫が付かないように(男は、虫だった?) ホテルの予約中の女子高生、高らかな声でいった。 「だって、愛してンだもン!!」
byやどかり

-月刊新根室7月号より-




つれづれに
夜更けの囁き

しんしんと更けた夜半。
青白い天空に、べっ甲飴のうすくなったような、透けた月。
森の木々は微動だにせず沈黙の闇に蹲っている。
魔どきが忍び寄るな・・・
実を結び、命の約束を果たし終え力つきた植物の花跡が、まるで獣が牙を剥いたように、 あんぐりと口をあけ、枯れた葉や枝を垂れ下げている。
なにが、う〜らめしや・・・とて?
花の散るがごとく、潔くこの世を立ち去れないのは、今生の常か。

この世は、嘘と真実(ホント)が綴れ織り
やいや、真っ赤な嘘も知らずば怖くない。 何が怖いって、真実(ホント)と本音がいの一番言ってくださいますな知らぬが仏、 嗤われようが・・・
時は下手な彫刻師。
身体は外形に、時の流れを容赦なく刻み込む。だが心の映像は、あの日あの頃のまま。 思いでは時とともに澄み切って。願望の嘘と、ホントの悲しみに彩られるままに・・・
迷宮の星と時計が、今夜も軋んでまわる・・・

byやどかり

-月刊新根室6月号より-




つれづれに
男のかたち

ある男が言う…「男の一生は忍耐と努力なのだ」と 少年の頃は腕力をつける努力をし、青年になると内心、女のもてるかどうか で一番気になる外見すらにも何気なさを装い、金にケチでないふりをする。 男同士の間では、では正義と名誉を重んじクヨクヨしない鷹揚さを押し出す。 男はこうした「高い理想をもって、日夜心を砕いているとか? (ほんまに,お疲れさんどす…)
ところが女はそういう男の密かな忍耐と努力を認めようとしない。 そればかりか、多くの女は見てくれのいい甘言をろうする男、しかも腕力も なく我慢強さも無縁のヤサ男についていくとお怒りの弁(甘言?うふん、 いい男なら嘘でもいいから、甘言とやらを耳元で囁かれてみたい)
話はどんどんエスカレ−ト。惚れた女が「優しい男がいい」というものだから 、プライドをかなぐり捨てて、女の望みとおり優しい男をやってみた。 「あたしね、ホントは野性味のある活きのいい男がすきなの」 と、鼻の先であしらわれてしまった。
さんざん女につぎ込み尽し媚、あげくにあっさり振られた。そんなへまをしてい るもんだから、男仲間からも侮られメンツまるつぶれ。
いっそのこと、頼りないヤサ男になったらもてるわよ。 「いや、ははは、金も力らもない、十分ヤサ男なんだがなぁ−」 ふふん、だいたい男は女に関して欲張り。ま、いいか。男が 頑張ると女は幸せ…
byやどかり

-月刊新根室5月号より-




つれづれに
アルバム

知人のアルバムを、何げなくペ−ジをめっくていると、「アルバムに写っているいるのは 、人生のほんのいっかくだけだから…」ふっと、つぶやくようにいわれた。 あっと、思った。その人の過ぎた日々のひとかけらを切り取ったスナップ写真。 その一枚一枚が、その人の人生の旅路風景を寡黙にくりひろ。げているのだ。 生き生きと活躍している表情、家族とかかわっている風景、幼子の輝く瞳が、 そのまま止まっている。一枚のスナップ写真には、その個人の映し出されることのなかった 数々の出来事も、心情も秘められている。その風景の中に、もどってゆけるのは 季節を共有しあったものたちのだけであり、かけがえのない過去なのだ。 「ゴミの中に、新婚さんの真新しい立派なアルバムがごっそり出てくることがある」 と言った人がある。夫婦が離婚すると、一番始末に困るのが結婚式のアルバムらしい。

写真を撮るのも遠慮したい年齢。そう、心のアルバムに優しい風景を加えて…。
byやどかり

-月刊新根室4月号より-






つれづれに
男の本音女のうそ

さて、経済的自立、精神的的自立もして、子育ても一人で産み育てられるって ス−パ−・ウ−マンに居るけれど…

新聞の調査発表によると、世の女の三人に一人は、夫にじっと我慢して生きている 熟年離婚願望があるとか(ん?)女は、言ってみたい「かわいいウソつき}が多いから 、調査発表など信じないで殿方がんばって。
男はシャイだから黙っている。ある男「いやぁ、分かれたいと思ったことはないけれど…」 フム、フム、どうやら奥さんを愛してるんだなぁと、思っていたら… 「死ねばいいと思ったことは、あるんだよなぁ」 わ!これが男のホンネかいな
(笑顔で言う男の本音)

色即是空、空即是色・・・

流行の川柳一句 
紅い糸 時の流れに 色あせる

(いやいや、結婚なんて勘違いと勢いでするもん) せっかく神が、男と女の二種類の違う人間をお創りになった。
違うから、面白い。

めっそうもない!住まいも相手も気ままに取替えひっかえのやどかりに、 人間さまを責める資格などないのであります。ナムナム、一切我今皆懺悔でございます・・・
byやどかり

-月刊新根室3月号より-






つれづれに
年賀状を二度楽しむ

清清しい元旦の朝、
殊勝な気持ちで手を合わせる。
暮れは大慌てで、あれもこれも年内にとジタバタ。だが、 一夜あけて新年、正月からジタバタすることないかぁ、とにわか 泰然人を決め込む。

元旦に来る年賀状は、すっごく楽しみなくせに、自分は12月中に 出せたことがないんですよね−。 それでも、今年の楽しみの賀状がくる前に新年のご挨拶の賀状を書く。 しかも、昨年の賀状を住所録にして、本文をもう一度読みつつ… 昨年賀状をもらったときも十分楽しんで読んだんだよね−。 几帳面に住所録なんか作成して、機械的に印刷して、賀状の妙薬を 台無しにする人の気が知れない。

ふんふん、ははん、皆さんなかなか面白い賀状を下さる。昔、振ったくせに、 元気か、なんて小さなコメントを書いてくる奴… 雪景色に慣れた目に、緑の風の景賀状にほっと和んだ気持ちになるのは不思議。 プロ級に絵のうまい人。最近はパソコン印刷でプロ化顔負けの素敵なセンス なデザインを見せてくれる人。なんたって、文面のうまい人(その一言に絆されて 、賀状だけのなが−いつきあいになる人もいる) 可愛い人とラブラブ写真の新婚さん、年々家族が増える。うん、うん、 年毎に賀状のご本尊さんが、だんだん貫禄でてきたぁ。すっごく可愛かった奥さんは 、普通の人になりつつある。来年あたりは、子供の写真だけになるなこりゃ…(な−んて、 意地悪)本文は印刷でも、一生懸命書いた宛名書きに、その人となりが 匂ってる。そう賀状は二度楽しい。
byやどかり

やどかり
-月刊新根室2月号より-




つれづれに
仮面の女?

とある理髪店のご主人。
「男は一度入った床屋を、替えないけれど、女は美容室を、転々と替えるっていうね」 「髪型を変えたくなると、美容室を替えたくなるんですよ」 「ふうん、じゃ、髪型を変えたいといえばいいしょ!」 そんなに力んで、客に言うことないだろうに。これじゃ、男の客でも店をかえたくんるんじゃ? その間に、熱すぎるタオルを顔に乗せる、歯がザラザラする切れないカミソリで、 ジョリジョリ剃る。え−、勘弁してよ。そんなに面の皮厚くないって!叫びそうになった。 素肌を一枚剥ぎ取られているようで怖くって「カミソリに弱いんですが・・・」 「カミソリ負け?負けると思うから負けるんだよ」(演歌の世界じゃない!) もう何いっても見込みない。おまけにハイ・ト−ンな声で、どこの誰がなんとやらぁ〜 ぺんぺん。(浪花節調)私には、どこの誰やらわからない世間話を次々。 (いや、楽しい話なら、大いに聞きたい、アホ女だが)極め付けの一言。 「化粧落とした女の人は、変わるから」 な?素顔ブスだって、そこまで言うかい! とうとう、ひがみがでてきちゃった。やれやれ、やっと終わった。 「また、どうぞ・・・」と、やけに嬉しげにいう。 (いや、もう、たくさん!こりごり!) それでも、ありがとうと、剥がされた仮面を再び被っていう。 やどかり
-月刊新根室1月号より-



鳥

米町・そして南大通り

釧路で一番好きな場所がこの米町、南大通り界隈だ。釧路発祥の地でノスタルジー。最もいまのこの地域にも都市開発のおかげで、古い建物は壊され、袋小路が存在した道路、小径も消失し、どこにでもある住宅街に変わった。米町の特色は神社仏閣が多く、かつては花街であった。もちろん今では遊郭の建物はすでに全て破壊され何も残っていない。20年前、友人が住んでいたアパートは、現存していた元遊郭の旅館の裏で、そと風呂、まさにその今は旅館である元遊郭あった。遊びに入くとそこ風呂に入りに行った。風呂はユニットバスみたいなものだったが、木造建物は二階の建てで歴史を感じ、当時の嬌声や華やかであり悲喜こもごものドラマが感じられるそんな感じだった。また米町は私の釧路発祥の地でもある。残念ながら会うことはできなかったが、曾祖父さんがここで「伊勢力」という料亭をはじめたのが明治の初頭、それにうちの寺もここにあり小さな頃から年に数度来る特別な場所であった。だからこの地には格段の思いもある。そんなこともあって米町・南大通りは「不思議な空間」であり訪れたくなるのだ。  もしこのまま釧路に永住するのであればこの地域を選びたいと思うくらいだ気に入っている。下駄が似合う街で、家から下駄を履いて散歩に行き帰りは近所の居酒屋へ寄り道というのが似合うところと言えばわかってもらえるか・・ 今日病院に義父をお見舞いに行った帰り、遠回りして米町南大通りへ行った。千代浦から坂を登り切り米町に入ると港が見えた。何度見ても好きな風景だ。 Date: 2005/01/09(日) morikawa




つれづれに
待つ

「待って、待って、待ちくたびれたぁ…」悲しい病の母が、歌うように繰り返す。 誰を、何を待ってるの?と聞けば首を振るだけ。 わたしの父は几帳面な人で、時間にも規則正しかったから、 母は待つことが下手になったのか。 待つ身は30分でも長く、待たせる身の30分は短い。 「待たせる見の方がもっと辛い」なんて、男のセリフを聞いたことがあるけれど。 (いい男は、殺し文句までうまい) そんなセリフも、いい男に言われたらジ−ンとくるだろうけれど。 拘束嫌いな家人いわく。 「待ってくれなんて、いってない。ご飯も先にどうぞ、寝るのも自由に」 てなこといわれてもなぁ。家人は猫舌で冷め冷め料理好きだけど、自分ひとりで あつあつ夕食?ぜんぜん楽しくない。 それでも、端切れの待ち時間に一人で何かをしているのが好きになったのは 相手が待たせ上手だったのか。
「待つ」という祈りに似た思いを抱いて人は生きる。 春を夏を待ち、秋を楽しみ白い雪の積もるのを待つ。 大人になる日を待ち、大切な人に出会うのを待った。 可愛い子供が、一人前になるのを待った。 人はこうして、訪れを待って生きている。何がしかの夢、希望、かなわぬことが多くても 、待つものだ。「待つもの」「訪れるもの」は、少しずつ少なくなるけれど… たくさんの訪れを受けられたことに感謝して、ささやかな出会いや、優しい思いを、 季節に託して待っている。それが、いつの日か、大切な人達との別れであろうと… 待つ時間の孤独を、上手に過せることは、大人になることなのかな?
単に、あきらめ上手だったりして。
やどかり
-月刊新根室9月号より-



つれづれに

いのちの行方

最近、自殺者が多いという。しかも、働き盛りの屈強なはずの男たち 。若者は連れションならぬ連れ自殺。その数、一年間に三万人とか。 (毎年三万人の人口の町がポッコポッコと、消滅する計算になる!) もっとも、青春の自我形成のころ、純粋なままの死に憧れを抱くのは、 誰しも一度はあるものらしいが。死を選ぶ、それを心に決めるまでの 心理的なものは推しはかれないが。
高校時代、隣の席に座っていた級友が自殺した。彼は父親を病気で亡くしていた。 大手の銀行に就職して、海外支店に行ってみたいと大きな夢を語っているのに、 暗く寂しい声であった。彼は夜明け前に起きて農作業をし、通学列車に乗ったら 単語のひとつも覚えようと思っても意思が意志が弱いから眠くなってさ−とか、 ときどき、眠ったまま列車で何処までも行きたくなるなどといって、 小さく笑ったりした。彼はソロバンの級をとりたいので教えてくれという。 ソロバンなんか職についてからでも、すぐ覚えるよ、と答えたが、あまり熱心に言うので 、使い古しの珠算練習帳をあげたりした。卒業年の賀状に、夢は叶わないかもしれません 。ときどき、頭の中に白い霞が浮かぶんです。でも夢と希望があるのです。 というような意味のことが、細々とした字で書いてあった。 その後、彼は帯広畜産大学の受験の最中、会場からふらりと出て死を選らんだ。 彼の言う夢と希望、それは同じものと受け止めていた。しばらくして、彼の夢は 銀行員になることで、希望とは深い眠りにつくことだったのではと思えた。 そう、己だけに囚われる青春時代は、簡単に死さえ希望になる。 何者かになろうとする自ら立てた野望の重さ、体の変化、確かでない自己への 不審。
複雑すぎる人間の脳は、辛さや悲嘆に脆くてボロボロと崩れるかも。 だが病死とか事故死ですら、愛するものにとって納得できない深い痛手を負う。 自殺はまして、いわんやであろう。特別、親しかったわけではなかったが。 彼の自殺は強い衝撃だった。
今でも思い出す。影薄い彼のほほ笑み。彼のお母さんは、病気で夫に早死にされ 、大切な息子に自殺され、ひとり遺された後どうやって生きただろう。 byやどかり (月刊新根室8月号より)






鳥


ジャック・ダニエル

今から10年位前の話・・・
新聞を見てメを疑った。彼が来る!生きていたのか。
もうかなりの高齢なはず!演奏は大丈夫?だ。
彼の名はデュ−クジョ-ダン。モダンジャズの歴史上、
重要なビ−バップの誕生を実際に見、チャ−リ-パ−カ−とも
演奏したことのある貴重な人。彼は作曲家としても有名だ。
ジャズの衰退とともに60年代はタクシ−の運転手、デパ−トの
配送をしていたが70年代、活動をヨ−ロッパのデンマ−クに移し
音楽活動を再開し、やがてニュ−ヨークにもどり再びデビュ−を果たす。
’73年に久々のアルバム「Flight to Denmark」が発表され、
私の愛聴盤になっている。部屋の中で聴いている頻度が高いCDだ。
 コンサ−ト当日私は仕事を休んだ。
開演は6:00だけど仕事をする気になれなかった。
私が今日聴くのは生演奏であると同時にモダンジャズの歴史だ。

もう一つ、もう一つの儚い希望があった。
もしかしたらホテル内でばったり会えないだろうか?
自分で楽屋に訪ねていく勇気はないが、偶然会えば握手
くらいしてくれるかも知れない。 私がこの何年か毎日聞い
ているミュ−ジシャンに。

午後2時頃、釧路プリンスホテルに着いた。
真っ直ぐ上のラウンジに行き待つことにした。
もしかすると演奏前にここに来るかもしれない。
1時間ほど過ぎ、ガヤガヤと見慣れた顔が入ってきた。
デユ−クジヨ−ダンだ!ベ−シストとドラマ−を引き連れて3人。
偶然私の座っている隣のボックスに座った。
3人は日本でのツア−について何かを低い声で話談笑していた。
15分くらい経った頃、意を決した私は自分の席を離れ
デュ-クジョ−ダンの席の前に立った。
「失礼ですが・・」と呼びかけると彼は座ったままこちらを向き頷いた。
他2人は怪訝そうにこちらを見ている。
「デュ−クジョ−ダンさんですか?」と訪ねる。無言で彼は頷く。
「はじめまして!お会いできて大変嬉しい。
私ここ5年間ほとんど毎日あなたの音楽を聴いているんです。」
彼や仲間の顔で何かがはじける
”それは良い!”と答えてくれた。
「今日は私にとって最良の日の一つです。」と握手を求める。
彼は大げさすぎるよというジェスチャ−を!照れているように見えた。
「あの お願いがあります。私に一杯奢らせてくれませんか?」
「有難う」と彼。「では何を飲みます?」
というとニコニコ笑いながら
「ジャックダニエルをダブルで」
ジャックダニエルは私も好きなバ−ボンだったのでうれしくなった。
仲間にもおなじくおごり、はなれた席から乾杯した。
優しい人に見えた年齢は70歳を超えている。
素敵な人だなと直感した。握手の感じも良かった。

その日の演奏はホテルに備え付けのヤマハの白いピアノで、
それがちょっと不釣合いだったけれど、
年齢を感じさせない素晴らしいものだった
数々のスタンダ−ドを楽しませてくれた。
RGB 森川




鳥

羅臼の知床開きで玉ぐしの奉納という大役をおおせつかった。
神事に参加、神主の長い祝詞(のりと)を聞きながら斜め前方
にいる自衛官の立ち姿を惚れ惚れとしながら見てしまった。私
も含めて周りの人間のなんと姿勢の悪いことか・・。背筋をぴ
っと伸ばし微動にしない姿、訓練、精進、その人の意思がそこ
に表れている。私もこれからは姿勢だけでも見習い、胸をはっ
て生きて行きたいと思う。最近この手のネタが続いています。
at: 2002/06/18(Tue)





鳥

今日は息子の運動会だった。開会式のあと、
赤組白組の応援団が応援合戦をする。
その応援歌が旧日本軍の軍歌「歩兵の本領」だ。
もちろん歌詞は違うけど・・・
以下その歌詞

万朶(ばんだ)の桜か襟の色
花は吉野に嵐吹く
大和男子(やまとおのこ)と生まれなば
散兵線の花と散れ
二、
尺余の銃(つつ)は武器ならず
寸余の剣(つるぎ)何かせん
知らずやここに二千年
鍛えきたえし大和魂(やまとだま)
三、
軍旗まもる武士(もののふ)は
すべてその数二十万
八十余ヶ所にたむろして
武装は解かじ夢にだも
四、
千里東西波越えて
我に仇なす国あらば
港を出でん輸送船
暫(しば)し守れや海の人
五、
敵地に一歩我踏めば
軍の主兵はここにあり
最後の決は我が任務
騎兵砲兵共同せよ
六、
アルプス山を踏破せし
歴史は古く雪白し
奉天戦の活動は
日本歩兵の粋と知れ
七、
携帯口糧(けいたいこうりょう)あるならば
遠く離れて三日四日
曠野千里にわたるとも
散兵戦に秩序あり
八、
退(しりぞ)く戦術(ことわ)われ知らず
みよや歩兵の操典を
前進前進また前進
肉弾とどく所まで
九、
わが一軍の勝敗は
突喊(とっかん)最後の数分時
歩兵の威力はここなるぞ
花散れ勇め時は今
十、
ああ勇ましの我が兵科
会心(えしん)の友よ来たれいざ
ともに語らん百日祭
酒盃に襟の色うつし
十、(一般兵営におけるもの)
歩兵の本領ここにあり
ああ勇ましの我が兵科
会心(えしん)の友よ来たれいざ
ともに励まんわが任務
死を恐れなかった日本陸軍、合言葉「靖国で会おう」
その死を無駄にするのもしないのも残った我々の心ひ
とつではないだろうか?まもなく靖国問題が話題にな
る時期になってきた。今日息子の応援団にかつての日
本の若者をダブらせたは右翼でも国粋主義者でもない
ただ正しい歴史を知りたい一人と思っている。
at: 2002/06/16(Sun)





鳥

羅臼では北西の風は凶とされる。この方角の風は荒れるからだ。
先週の日曜、カレイ釣りの前、小雨がぱらつき曇っている間は
天気はまだよかったが、途中晴れ間が見えだしてから、
不吉な天気となった。
思い出したように吹く突風、
知床連山にウトロ側からものすごい雲がぶち当たり、
それが上へ上へと伸びている・・
そして翌日の月曜日は見事に強風が吹き荒れる。
普段はこんなエメラルド色をしていない海が、
底荒れをしているのか、風で屈折が変わったためか
不気味な色になっている。
国後までが怪しい雰囲気だ。いつも寝息も立てない海が、
轟々と音を立てはじめている。よく事情がわからない人が見ると、
温かそうに見えるが、この低気圧のおかげですっかり5月の前半に
戻ってしまい、寒い毎日。水温も6C〜8Cの間だろう。
普通サウナの後に入る水風呂は25前後。私が好きな西別側は
湧き水のため年間通して14Cくらいだ。14Cだと川の中に
10秒手を入れていると頭がキーンとなってくる。
そうするとこの海の水温はどんなものかわかっていただけると思う。
早い人で低体温症で5分後から運動機能が低下し、
昏睡に入りってしまう。
楽観は禁物だ。竜巻も起きた。
偶然写真に収める事ができたので、それは後日のお楽しみ!
at: 2002/06/14(Fri)

鳥

トルネード、竜巻 あの中心に入ったらどうなるのか?
興味の尽きないところだ。
羅臼の礼文町を車で走っているとき偶然見つけた。
 生きている!これは生き物だ。
荒野に吹く風は人を消耗させるため、
そのターゲットについてまわるという。
カヤッキングの途中でこれに出くわしたなら
あっという間にひっくり返されるのだろう。
この礼文町は風の強いところだ。
やはり北東の風が吹くときは充分注意しなくてはならない。





鳥

 羅臼で桑原商店を経営している町田さんとは年が同じで、
同じようにギターが好きということもあって、
結構いろいろな話をする。先日も立ち話をしているときに、
「つげ義春」の話となった。町田さんが中学生からの熱狂的な
「つげ」ファンと知って驚いた。私は26くらいの時に友人宅で
読み出し病み付きになっている。ほとんどの皆さんが知らないの
だろうけれど、つげ義春は漫画家だ。つげ義春の世界は日常空間に
ぽっかりと空いた非日常的な空間といえる。
つげ義春の何度も何度も読んだ漫画を読み出すと、
その物語と同時に自分の中で旅が始まる。
それはいつも同じ旅で何度も何度も経験したはずなのにまた味わい
たくなる。その舞台がまた独特なのだ。
 氏は精神を病み創作活動から遠ざかっているらしく、
新作を見ることがほとんどない。もしどこかに引きこもるなら
「つげ義春の漫画」だけあればいいかな〜とも思う。
残念ながらこの作風が良いという人はそんなにはいないような気がする。
そういう意味では町田さんは日本最東端でつげの漫画について
話し合うということで大きな意義があるように思えてならないのは、
きっと私だけだろう。
 今日北極星について勉強しました(笑) 2等星であること、その位置について再確認。
2万6千年周期北極星が交替していることなど、現在はコグマ座のポラリス。
その小熊座は英語ではLittle dipper(小さじ)といい、
そのリトルディッパーは
私がシーカヤックで愛用しているパドルの名前でとても驚いた。

   さあ寝る前に借りたつげ義春関連の本を読んで寝ます。
at: 2002/06/11(Tue)





鳥 先日羅臼の佐々木泰幹さんが太平洋とここの海峡の違いの話をしていたとき、適切な説明でそれをあらわしていた。  「波長の違ううねり」ここがピッチの短いうねりとすると、太平洋は波長が長く大きなたとえば、私が前勤務していた塘路の町ひとつがうねりの一単位となることもある。実際私が去年の今頃歯舞〜納沙布のツアーではそれを体験した。佐々木さんは落石の港に入る前に、うねりに捕まったタンデム艇が垂直に崩れ落ちるのを目の前で見たという。  今日久保田さん、松本さんとシーカヤックでカレイ釣りに午後から出かけた。雨まじまりだが、どうせ水遊びは濡れるのだからと出かける。浜からカヤックを出して沖合いにシーアンカーを打って船を安定させる。知床連山を見ると、すごい風景になっている。尾根にぶつかった風は気流をおこし、すごい量の雲をとどめ、その上をとんでもない速さで流れていく雲たち。曇っている時は穏やかだったのに、晴れてくるととたんすごい風が吹き出す。  2時間ほどでそこそこに魚も釣れ、明るいし、まだ釣りをしていてもいいなと思っていた時、久保田さんが風が気になるから止めようと言う話になった。三人でレースのように港に向かう。松本さんのペンギンが圧倒的に早い。私や久保田さんの艇は重くてスピードは不利だ。  船を陸にあげて、片付けて車のキャリアに積んでいる時に、ものすごい突風が吹く。危なくカヤックが飛ばされるところだった。3人で顔を合わた。戻るのが30分遅れたら、海上で風に煽られひっくり返っていたかも知れない。水温は10Cを切っていて、ライフジャケット着ていても30分とは生きていけないだろう。ここの海と自然は本当に厳しい。だからここの自然は素晴らしいと思う。こんな場所他にはないのだから・・。





鳥 羅臼にある唯一のバー・・
JANK SHOT BAR

メグという不思議な女性が朝5:00までやっている。
衛星でミュージッククリップが流れるレイドバックした空間。
ついついジャンクの看板を見ると足を運んでしまう。
そして何を飲んでも、何を食べても500円。パスタが旨い!
雨の週末、
どこにもいけない日の前日はジャンクショットな夜をむかえる。






ミラ− 鳥

車で走っているとき、
車のミラーの景色に魅せられるときがある。
車を路肩にとめカメラをその感動した被写体
に向けると、とたん何かが落ちていく。車の
ミラーの中は若干広角の世界で防眩防止にカ
ラーコーティングされているから実物よりビ
ヴィットな世界となるためだろう。実物より
いいなんて・・と思うのなら今度一度試して
みることを勧める。ミラーの中に広がるもう
一つの世界。きっと魅了してやまないもうひ
とつの真実の世界がある。
at: 2002/03/11(Mon)







鳥


知床倶楽部のファン倶楽部と言うべき「分科会」の
皆さんが仕事を休み万障繰り合わせ羅臼にやってきた。
前夜は恒例の晩餐会が繰り広げられた。
翌日知床倶楽部へ行くと狭い喫茶店は満杯。
よっしーさんが自慢の携帯用のコーヒーメイカーでコーヒー
を落としてくれることとなった。改造のミル、お湯は電熱器。

自作のドリッパーをサーモスのでかいカップでそれを受ける。
出来上がったコーヒーを皆で回しのみをする。
野営しているときに、寒い夜、心細い夜、
心が数々の辛酸を受け苦汁にまみれているとき、
この一口ですくわれた人も多いだろう。
そんな麻薬のような味わいのよっしーさんコーヒー、
この次ぎ飲める日が待ち遠しく感じる。
この次は贅沢いってマイカップを持参して、独占してみたい。
もちろん許可がでれば・・・






鳥


回転する円盤 レコード。
一定のスピードに振動を記憶する。
それがアンプリファイされ芸術的なスピーカーにより、
再生というよりは楽器に近い感覚で再生される。
アナログが必ずしも遅れているわけではない。
   針を落とすという行為、
ふっとため息にもにた安堵感
のあとスタートする音楽。
その空白の瞬間に流れるシャーというノイズ。
すべてが積み重ねられ音楽ができる。
その行為には何か忘れられたものがある。
at: 2002/02/27(Wed)






鳥


巡視船「てしお」の体験航海に行ってきた。
職場の川原田君と知床倶楽部の小熊ちゃんと
行くことになっていたが、珍しく小熊ちゃん寝坊。
 9時30分に出向し北に向かいやがて氷原へ。
巡視船は氷を割りながらすすんでいく。
途中おおわしや、ゴマフアザラシを見ながら
国後を大きく見て、羅臼港に戻った。豊饒の海の源、流氷。
これで水割りを飲みたいものだ。
at: 2002/02/23(Sat)








鳥


夜雪のなか熊の湯にむかう。
熊の湯は町内にある有名な無料露天風呂だ。
ここは熊の湯愛好会というボランティア団体
に管理されている。夏場の混みようはすごい
が大雪の夜遅くは貸しきり状態となる。
相変わらず熱い。風で雪が舞い、山が鳴っている。
けれど下の渓から聞こえてくるせせらぎの音。
ノイズから開放され静寂の世界。
知床の地で誰もいない露天風呂に入る。
これは最高の贅沢だ。
at: 2002/02/21(Thu)

鳥

(注)女湯に入ったのではありません!








鳥


手紙
公民館の久保田さんが写真を届けてくれた。
昼休みがおわり職場に戻り何気なく机を見るとそれがあった。
その折り方が女性の、しかも普通の四つ折とは違う〜独特のも
のだったから〜懐かしく思えてしまった(笑。その複雑な折り
方を開き手紙を読むと「お元気ですか?森川さん」で始まる、
9月に一緒にシーカヤックに乗った、久保田さんの娘さんの友達
からの手紙だった。モエルスまでシーカヤックでツーリングをし
た時の写真が2枚。その日は行きは良かったけど、
帰りはもう少しで航行不能になりそうな向かい風だった。

彼女はリバーカヤックの経験はあるもののシーカヤックは
初めて。けれどパドリングはしっかりと水を捕らえ、
モエルスまで快適にすすんだ。
モエルスでワインとビールでランチタイム、
ウニ丼を食べた。日差しはまぶしく、暖かく最高の一日だった。
しかし帰り近くになると次第に風が強まり、風で波頭が飛ぶ状
態になってきた。その中でも彼女は懸命にこぎ続けている。
しかも顔はニコニコしている。久保田さんと私は交互にサポート
につくのだが逆に彼女の笑顔に「頑張って!」と言われてるよ
うで勇気付けられた。ひさびさに一生懸命生きている人を見た
ような気がする。シーカヤックは命の掛かっている遊びで、命
を懸ける必要はないけれど、海に出た瞬間に抵当に入ってしま
うのだ。そんな過酷な状況で、笑顔でこぎ続ける彼女は良い人
生を送るのだろうな・・と思った。
手紙の結びに
「また羅臼に行ったら一緒にシーカヤックに乗りましょう」
と結んであった。もちろんOK!
なにかひさびさに気持ちが晴れ晴れとした手紙だった。
at: 2002/01/15(Tue)








鳥


2001年の愛

愛とはなんだろうか?好きとどう違うのか?
以前英会話の先生
「カジシェミシェ・コグト」先生に聞いたことがある。
師曰く「likeは好きでloveは大好き」
さて結婚してやっとわかったことがある。
女性の恋人→妻→母という変態についてだ。
諸行無常とはいうが女性は母になると強い。
何故急にそんなことを言うのかというと
知床を舞台にした森重久弥の映画
「地の果てに生きるもの」を見て子供もなくし、
妻もなくし自分も身よりのないまま死んでいく姿をみて、
改めて人生とは何か?という大命題にぶち当たってしまった。
そのなかで日本の母のステレオタイプみたいな
草笛光子さんの演技を見て、
自分の子供時代を回想してしまった。

うちの母も健在で
一人っ子であり単身赴任の私を「子供のように」気遣ってくれる。
パソコンの電磁波が危険という話をどこから聞き、
それを彼女の息子(私と)孫にまたどこからと聞いた怪しげな
砂が入った袋を作ってくれた。
妻からそれを渡され「そんなもの」と机の上に放り投げたが、
息子が「おばあちゃんに言われて腹巻きに縫いつけ肌身離さず」
持っているという。ふと肉親の特に「母のお腹を痛めた」子供達への
「無条件な愛」を感じ効果はないとわかっていながら
Yシャツのポケットに入れて仕事に出かけた。

先日石見さんでTVを見ながら酒を飲んでいたら、
TVに幸せそうなカップルが映っている。もちろんこの人達が
どんな理由でそこにいるのかはわからない。
この二人の関係はどうなんだろうか?
この女性は恋人から妻への変態を遂げている最中なのだろうか?









鳥


遠い記憶
 釧路の旧国鉄、現在のJR機関区の壁に今 でも残像のように残る文字。  とおるたびに、どうして消されず風化を待 っているのか不思議に思っていた。 当時のジェネレーションの中で安保とは一体 なんだったのだろうか?当時小学生の私はに は知る由もない。ただ言えるのは当時に比べ て日本を取り巻く環境、日本国内の治安も けた外れに悪化していることだ。 日本の遠い記憶の中で風化していく言葉。 私はその渦中になかったけど、多くの若者達 が理念に向かい団結した時代。そんな良き 時代が日本にもあったのか・・。 地の果てから遠くに起きた出来事を思い起 こした。









鳥


チャイパパ
私のあこがれている国はインド。ここは是非行ってみたいと思う。
最近はかなり物騒なようだけど、インドには一体何があるのか?
たぶん原色で強烈なものだろう。
感化されやすいので行ったら何かが変わるような気がする。
老子の教えについてこの2日間読んだり調べたりしている。
大変素晴らしいと思った。
このHPのタイトル水の心実は鈴木大拙という禅僧の本から
取ったんだけど、実は老子の言葉だったことがわかった。
 さてこのチャイパパという店、行ったことはないのです。
札幌にある研修所のすぐ近くに「夢横町」という素敵な名前
のエスニックな雑貨屋があって、行くと必ずタペストリーとか
香とか買いに行く。そこで買い物した袋のなかに入っていたのがこれだ。
羅臼に戻り発見し、行ってみたかった、後悔してももう後の祭りだった。
at: 2001/12/18(Tue)by Morikawa













鳥

アイスバ−グ

ここ2年ほどネットにつなぐとさがしているも
のに、 アイスバーグというウオッカがある。
釧路の酒屋に キャンプに行くときにウオッカ
を買いに行ったら 「世界ウオッカグランプリ
優勝のいいやつがありますよ 」とすすめられ
て買った。とろりとして強烈なアルコー ルの
彼方に深い甘みがある。テントを設営し、 た
き火をしながら湖の畔でロックで飲んだ。 溶
けてくる氷が強烈なアルコールを中和し、 そ
の味の深さを前面に出してくれる感じだ。 そ
れから2度ほど飲み酒屋に行くと「残念なが
ら日本での取扱は終わった」という。その後
ネットで 検索したり、神奈川の友人に電話し
て伝手を洗ってもらうが 。基地の米兵に頼む
か、直接カナダに行くしかないという。 氷山
をライフルや斧で崩しそれを原料の水と使うら
しい。 深層水と何か共通点のあるような気がす
る。今年は流氷で オンザロックを飲みたいと思
う。できればアイスバーグを。 at: 2001/12/16(Sun)

釧路のバーヘブンのマスターからお歳暮をもらった。
これがなかなか気が利いている。カナダのウオトカ
「アイスバーグ」だ。今から4年ほど前釧路の酒店で
偶然買い求め、その豊かな味のウォッカに惚れ込み、
だけどあまりの魔力に中毒になるのを恐れていたのだ
が、絶版になっていた。なくなると欲しいのが人間の
性、直接メーカーにメールを出したりしたが、あまり
に怪しい英語のためかなしのつぶて・・未練たっぷり
の私はヘブンのマスターに逃した魚や振られ、逃げら
れた女を過去形で語るように切々と語ったに違いない。
飲む度に・・・
釧路に戻りちょっと用事がありヘブンに寄った。顔を
見るなり「お歳暮」いままでそんなものをやったりと
ったりする習慣はなかった。入っていたのはラフロイ
グのケース。アイラモルトでも飲みなさいと言う意味
かなと思い。ありがとうと言って帰ろうとすると、
「開けてみたら?」とマスター。中はこれだった。
 こんな気の利いた渡し方をしてくれるのはヘブンの
マスターだ。
最近焼酎ばかり飲んでいる。体に気を遣ってだ。ウォ
ッカはどうも正装で飲みたい酒だ。どこか気を許せな
いところがあって。ちょっとでも崩すとあっという間
にやられてしまう。開高健がベトナム戦争で従軍記者
として現地に赴き戦場で泥まみれ汗まみれ精神はへと
へとになりサイゴンのホテルに戻ってくる。そこで何
十日かぶりにシャワーを浴び正装に着替えホテルのバ
ーで飲んだのはウォトカだったらしい。人によってい
ろいろ好みがあるので一概には言えないけれど、私も
野外でのむは圧倒的にウオッカだ。白樺の木の木炭で
蒸留されるピュアなアルコール。アイスバーグは氷山
の氷で作られる何千年前の雑味が含まれる特殊な酒な
のだ。 at: 2002/12/29(Sun)





霧多布 鳥

 霧多布付近の沼によく釣りにいった。越冬で入るアメマスを狙って。
霧多布にはバンドの仲間がいたので帰りは泊まることが多かった。
たいがい着替えて霧多布のアメリカ通りにある「しばらく」という
居酒屋に集まって楽しい時間を過ごした。
 朝起きて友人のマンションの前にある川を見に行く。
うっすらと雪化粧、ワタスゲも心なしか「きれいでしょう?」と語りかけてきているようだ。
何年も前から廃船が置いてある。陸上の漁船はちょっとくたびれている。
また水を懐かしがっているように川に顔を向けている。
この川すぐ先は何年か前まで活躍していた海なのだ。
いずれは朽ちていく船、夏の日の漁がにぎわいが一瞬聞こえたような感じがした。
at: 2001/12/16(Sun)





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ピアノの音が聞こえる 鳥

 昔こんな話を聞いたことがあった。 昭和初期に東京の哲学者と音楽教授の夫婦がデンマーク式農業を 実践するために釧路湿原の奥で自給自足の生活をはじめた。筏に 建築材料など積み込み釧路川をさかのぼったという。その荷物の 中にはピアノがあった。ほとんど手作りの家から、ピアノの音色 が響いてたという。 その話を聞いて興味を持ち続けていた私は偶然その場所を見つけ、 何度か訪れたことがある。家は朽ちてはいるが、洋館と和式とも いえない不思議な作りとなっている。隣には馬小屋がある。この 家に人が住んでいたときのことを想う。東京から学生達が学びな がら働いていたとも聞いた。湿原の真ん中で生活し、その場に流 るピアノの音色。いったいどんな生活だったのだろう。 at: 2001/11/27(Tue)by Morikawa  






鳥

 12月、師走 年の瀬、年末気持ちも体も忙しい。 また年齢を重ねて度、加速度的に私の周りを時間が過ぎていく。 忙しさの中にふと時間が止まるときがある。雑踏を歩いていて ふと立ち止まる感覚。急に「あれどこにいるのだろう?」 そう思える瞬間。先日以前からの案件があって、 話し合いに向かった。少し気の重い仕事だった。 朝から天気が悪かったが午後から天気が回復してきた。 羅臼側はすっぽりと雲の下、国後側は晴天、風が強く、 小雪が舞い、うちの職場の淋代君がきっと「羅臼ですから」 という天気だった。あたりは夜の帳がおりはじめ一日終わりを 締めくくるの光と陰が見せるショーが始まった。 子供の頃は黄昏の時間が怖かったが今は一番お気に入りの時間。 カモメが舞い、せり出した突先が夕刻の空を背景に織りなす シルエットに感動しながら案件先に向かう。 現場につき話は思ったより遙かに簡単におわり職場までの帰路につく。 コンビニエンスストアの明かりを見るとほっとするのは何故なのだろうか? at: 2001/12/06(Thu)












鳥


無題
羅臼日記と言いながらまた釧路の話題・・
釧路の港裏を釣りに行けない時期にカメラを持って散策した。
釧路の知人(しりと と読むのだよ、梶川君)や米町付近は
古の建物が数多く点在し当時の生活が偲ばれ、
古い時代へタイムスリップするような感じがあって大好きだった。
ときおり廃品の山に面白いものを見つけたりする。
船のパーツはステンレスが多く、ピカピカのナットやボルトは
この歳になっても見過ごせず、
持ち帰って捨てられない物リスト行きになってしまう。
米町散策、海と重油の匂い、行ってみたいな〜 久々に。







ピアノの音が聞こえる 鳥

 昔こんな話を聞いたことがあった。 昭和初期に東京の哲学者と音楽教授の夫婦がデンマーク式農業を 実践するために釧路湿原の奥で自給自足の生活をはじめた。筏に 建築材料など積み込み釧路川をさかのぼったという。その荷物の 中にはピアノがあった。ほとんど手作りの家から、ピアノの音色 が響いてたという。 その話を聞いて興味を持ち続けていた私は偶然その場所を見つけ、 何度か訪れたことがある。家は朽ちてはいるが、洋館と和式とも いえない不思議な作りとなっている。隣には馬小屋がある。この 家に人が住んでいたときのことを想う。東京から学生達が学びな がら働いていたとも聞いた。湿原の真ん中で生活し、その場に流 るピアノの音色。いったいどんな生活だったのだろう。 at: 2001/11/27(Tue)by Morikawa  





鳥
妖精の生まれるとき

西洋毛針釣りと訳されるフライフィッシングは
なかなか悪魔的魅力のある釣りだ。
餌釣り等と違い疑似餌、
それも天然素材を多用したマテリアル(材料)を
料理のレシピのように書いてあるパターンブックから
毛針を巻き上げる。
季節に合わせて、その目的とする川にあわせて
毛針をタイイングしていく。
いちばんはまっていた頃は起きている時間は
ほとんど釣りのことばかり考えていた。
週末は家族を置いて徹夜で川や湖に連泊し釣り歩いた。
朝の川は最高だ。希望の朝という言葉がぴったりとくる。
初夏の渓流に朝靄がかかり、
いちばん気に入っているフライをつけ、
川にそーっとウェイディング(立ち込み)
鱒のたぶんテーブルと思われるところに
フライをプレゼンテーションする。
もしそこにいたら、天然素材で作られた毛針、
体丸出しで飛びつくこととなる。
魚が大きければ大きいほど手強く、
20分くらい魚とのやりとりを楽しむ、
この言葉はちょっと語弊があるかもしれない、
言い換えれば
「天国と地獄」を行ったりきたりする羽目にあう。
このフライを始めて大きく変わったこと、
水生昆虫が大好きになったこと。
信じられないかもしれないけど
川魚たちの主食はほとんどこの水生昆虫だ。
特にこの「カゲロウ」はメイフライと呼ばれる。
幼虫のうちは「ニンフ」(妖精)と呼ばれ主に水の中で暮らす。
羽化して「ダン」(亜成虫)となり、
さらにもう一度脱皮しスピナーとなり産卵し息絶えていく。
たぶんフライフィッシャーマンであれば、
この虫のことを初恋の女性を語るように話すはずだ。
もちろん例外もあるのだろうけれど。
by.M orikawa







釣り 鳥

12月に入りさすが冬らしい天気が続く。
岬町まで用事があって出かけた。
風は
下(知床半島を下・シモ 
標津方面を上・カミと呼ぶ)
が一段と厳しく、雪も量が多い。
道路はツルツルで制限速度以下で
走らなくてはならない。
 比較的大きな河の河口で
無心にキャスティング
(ルアーやフライを投げる動作)
を繰り返す殉教的な釣り人がいた。
平日にかかわらず、雪をかぶり、
風に叩かれながら一投に一投に
願いを込め祈りにも似た
彼の釣りは続く
by Mrikawa






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