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190
]
水芭蕉
投稿者:
知床倶楽部
投稿日:2012/05/15(Tue) 12:10
幌萌町体験実習館敷地周辺湿地帯で水芭蕉の群生が
見られます。
http://www.shiretokoclub.jp/tougecyayaharu.html
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189
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Re:[188] お元気ですか
投稿者:
羆
投稿日:2012/05/07(Mon) 17:48
> 羆さん、お久しぶりです。お元気ですか。
>
> こっちはボチボチとやっています。
> 今年は長期休暇が取れたんですが、行った事のない九州上陸を目指しています。
>
> 北海道は、また次に!です。
> (ご無沙汰してるのにすいません(笑))
>
ご無沙汰してます
九州は初めてですか、ひたすら北へ向いてましたからね
楽しんでください
旅の一葉アーカイブで知床分科会の羅臼集合編を
見てたのですが10数年のそれぞれの編年に
感慨深い思いをしてます
また一堂に会したいものです。
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188
]
お元気ですか
投稿者:
マサ (BASS男君改め)
投稿日:2012/05/07(Mon) 00:10
羆さん、お久しぶりです。お元気ですか。
こっちはボチボチとやっています。
今年は長期休暇が取れたんですが、行った事のない九州上陸を目指しています。
北海道は、また次に!です。
(ご無沙汰してるのにすいません(笑))
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187
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おことわり
投稿者:
知床倶楽部
投稿日:2012/05/04(Fri) 16:36
下記の記事は読売石原氏の許可のもと転載致しております
知床倶楽部 石見公夫
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186
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「北海道大学総合博物館」
投稿者:
知床倶楽部
投稿日:2012/05/04(Fri) 16:32
◎北のミュージアム紀行「北海道大学総合博物館」
「カピタン(隊長)が死んだ」。2010年末、北海道大教授の津曲敏郎さん(60)は、
ロシア極東・アムール川支流のビギン川流域・民族ウデヘの村狩猟組合代表ヤコフ・カ
ンチュガさん(64)の訃報を悲しんだ。狩猟中の事故死だった。
筆者は04年秋、知床の流氷のふるさとを知ろうと、村を訪れ、ヤコフ隊長と出会い
、狩猟生活のすばらしさを知った。名匠・黒澤明監督の映画「デルス・ウザーラ」の舞
台。ウデヘ語などツングース系の言語研究者である津曲さんは、ウデヘ民族の調査研究
と文化を守る活動に取り組んでいた。
地道な取り組みに励む津曲さんが昨年4月、「北海道大学総合博物館」の館長に就任
したと聞いて驚いた。
北海道を代表する“知の貯蔵庫”と呼ばれる博物館。所蔵する学術標本は約400万
点。創設は1999年と比較的新しく、その第6代館長に昨年4月、文系としては初め
てという館長だ。
ツングース系の言語研究者として知られる津曲さんは「青天の霹靂でした」と苦笑い
する。「でも、博物館と言語学はモノとコトの関係という点で似ている」と語る。
津曲さんによれば、言葉は素材としての音という「モノ」と、表す意味の「コト」か
ら出来ている。展示するべき「モノ」を選び出し、解説し、語り合う「コト」を生み出
していく。その実践の場が博物館という訳だ。
そのためには貴重な財産をいかに活用し、どう後世に伝えていくか。言語を守り、伝
える活動を長年続けてきた津曲さん。館長に選任されたのもうなずける。
館内に足を入れると、先達たちの偉業の数々が次々に登場する。
圧巻は化石骨格標本「デスモスティルス」だ。約1400万年前(中新世中期)に北
太平洋沿岸に生存していた全長約4メートルの大型水生ほ乳類で、1933年、長尾巧
教授がサハリン南部で発見した。ちなみに、模型の「デスモ」グッズは売店でも人気商
品だ。
約100年前のアイヌ民族の肉声を聞くこともできる。ポーランドの民族学者ピウス
ツキ(1866〜1918年)が蝋管65本に記録した音を、北大の技術で再生して流し
ている。津曲さんは助手時代、ピウスツキに関する調査研究に携わったことがある。
ノーベル化学賞を受賞した鈴木章名誉教授の研究室を再現したコーナーもある。メダ
ルのレプリカや研究内容を解説したパネルなどを展示している。
最上階の3階まで上がってみよう。中央階段の吹き抜けの白い天井はドーム型をして
いて、「アインシュタインドーム」と呼ばれる。壁面には「ぶどうと桃などの果物」(
東)、「ひまわり」(南)、「コウモリ」(西)、「ミミズク」(北)の陶製レリーフ
が飾られ、それぞれに朝、昼、夕、夜を意味するフランス語が記されている。一日中、
研究に取り組むという理想を表現している。
博物館では、膨大な資料の分類技術を学ぶ市民向け講座を設けている。お年寄りから
若者までが参加し、生涯教育と若手育成の役割を担っている。
こうした努力と、JR札幌駅から徒歩約10分という利便性があいまって、入館者数は
国内約50か所の大学博物館ではトップクラスの年間10万人を超える。昨年秋には通算70
万人を突破した。
「博物館という知のフィールドで、モノとコトの融合をはかり、学生や市民に伝えて
いきたい」。津曲さんの挑戦は続く。
読売石原
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185
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「三浦綾子記念文学館」
投稿者:
知床倶楽部
投稿日:2012/04/24(Tue) 07:56
皆さま
読売石原です
4月25日で、三浦綾子様生誕90年です。「三浦綾子記念文学館」について書かせて
いただきました。夫の光世様は88歳を迎えてとてもお元気です。
◎三浦綾子記念文学館
「わたしの名前をつけた建物など恐れ多いです。どうかそんな計画はなさらないでく
ださい」
作家三浦綾子さん(1922〜99年)は95年、自身の名前を冠した文学館設立の
動きを知ると、こう言って固持した。
「あなたの個人の家を建てるわけではありません。三浦文学は地域の宝です」。元旭
川市長の五十嵐広三さんら呼びかけ人が懇願した。
全国から集まった募金は約3億円。約1万5000人が協力を申し出た。文学館は9
8年6月、代表作「氷点」の舞台、国有林「外国樹種見本林」(約15ヘクタール)に
建設された。
六角形をしているのは、ドイツトウヒなど貴重な国内外の樹木を1本も伐採しないと
いう条件付きで設計が認められたから。この形なら、木々にぶつかることもない。雪の
結晶とも重なる。
運営は、夫の光世さん(88)が理事長を務める「三浦綾子記念文化財団」が行って
いる。
館内には、刊行された83作品を紹介する「三浦文学のすべて」、生涯を追った「作
家の人生」、代表作のテーマを深く追求した「三浦文学の世界」など5コーナーがある
。
直筆の原稿、愛用した手鏡やピアノ、夫婦で使っていた将棋盤などの遺品のほか、幼
児期から始まって教師、結婚、晩年時代の写真が多数展示されている。
晩年、パーキンソン病を煩った綾子さんの思いもあって、館内は床の段差をなくし、
展示資料の位置を低くするなどの配慮が施されている。
来館者が立ち止まるのが、展示品に添えられている綾子さんの「言葉」だ。
「私が絶望しないで生きて来ることができたのは、『それでも明日は来る』という希
望があったからだ」
綾子さんは若い頃から、肺結核、脊椎カリエス、直腸がんなど様々な病にさいなまれ
た。そんな綾子さんを信仰によって結ばれた光世さんが、口述筆記で支えたことは有名
だ。
2階には光世さんのコーナーがある。夫への感謝の言葉が本の表紙とともに貼り出さ
れ、その数は40を超える。「氷点」に添えられた言葉はこうだ。
「神の与え給もうた わが夫三浦光世様へ いいつくしがたし感謝と愛を以ってこの
本を捧ぐ」。
苦難にある人に、勇気と希望を与え続けた三浦文学。ファンの間から、東日本大震災
の被災者に本を送ろうとの声があがった。文学館では今、全国から寄せられた約1万3
000冊を発送する作業を進めている。
「綾子の本には、生きるための指針がちりばめられています。少しでもお役に立てれ
ば」。光世さんはほほ笑んだ。
(札幌報道・石原健治)
今年は綾子さん生誕90周年。これを記念して、様々な行事が予定されている。
誕生日の今月25日には、エッセー集「丘の上の??邂逅?かい?こう?」が出版される
。未発表の原稿をまとめた9年ぶりの新刊だ。
「出版を祝う会」は午後6時から、旭川市のロワジールホテルで。その前段として、
午後4時から、チームバチスタ」などで知られる作家海堂尊さんの講演会も行われる。
医療問題をテーマに、話題のミステリーを次々と発表している海堂さんの愛読書は「塩
狩峠」だという。
文学館では、三浦文学を読み直す特別講座を12月まで毎月1回催すほか、記念コン
サート(8月31日)を計画している。
また、三浦夫妻と交流が深い児童文学作家加藤多一さんの特別展「加藤多一の世界
馬と川」も6月10日まで行われている。
1階は展示室と喫茶室、2階にはギャラリー、来館者がメッセージを記す「思い出ノー
ト」コーナーも設けられている。入館料は大人500円、大学高校生300円、小中学
生100円。午前9時〜午後5時。月曜休館(6月〜9月は無休)。(電)0166・
69・2626
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184
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「知里幸恵 銀のしずく記念館
投稿者:
知床倶楽部
投稿日:2012/04/16(Mon) 16:52
皆さま
読売石原です
知里幸恵のふるさと登別をたずねました。
◎北のミュージアム紀行A「知里幸恵 銀のしずく記念館」
セピア色の写真の少女とどこか面差しが重なる。少女の名前は知里幸恵(1903〜
22年)。アイヌ民族の口承文学ユカラを初めて文字化した「アイヌ神謡集」を遺し、19
歳と3か月で逝ってしまった天才詩人だ。
「若い頃はよく似ていると言われました」。はにかんだような表情を浮かべながら、
「知里幸恵 銀のしずく記念館」館長の横山むつみさん(64)はほほえむ。
横山さんは幸恵の弟、高央さんの次女。幸恵とは、おば・めいの関係に当たる。
記念館は幸恵の生地で、造園業を営んだ幸恵の父・高吉が作り上げた約6000平方
メートルの森の一角にある。
一部二階建て、延べ床面積は約180平方メートルと、館としては小ぶりだ。アイヌ
民族の家屋「チセ」をイメージしたという。
展示されているのは約70点。直筆の手紙や日記、写真、成績表など。点数は決して多
くはないが、今から100年近くも前の個人資料がきちんと保存されていたことに驚く
。その多くは幸恵の母、ナミの遺品だ。
「私は書かねばならぬ、知れる限りを、生の限りを、書かねばならぬ」。幸恵が亡く
なる直前に書いた本物の日記に心が引き込まれる。「アイヌ神揺集」の原稿ノートは復
刻版だが、日本語とローマ字が並び、その美しい文字にほれぼれとする。両親に宛てた
手紙は、細かな文字で面々と近況をつづり、まじめな人柄がうかがえる。
横山さんは高校卒業後に上京。赤塚不二夫を支えた漫画家の夫、孝雄さん(75)ととも
にアイヌ民族の復興運動に取り組み、1997年に余生を登別で暮らそうと夫婦で帰郷
。その年、市民団体「知里森舎」を設立した。
2000年、登別市内で初の企画展「知里幸恵の世界展」を開いた。これを契機に、
常設展示館設立の機運が高まり、作家池澤夏樹さんらが呼びかけ人となり募金運動がス
タート。全国の2503人から約3300万円の寄付金が集まった。
展示で目を引くのが、身長140センチと小柄な幸恵の等身大の木像だ。製作したの
は白老町在住の彫刻家能登康昭さん(63)。記念館誕生を知り、「優しさの中にも強さ
を秘めたまなざしを表現したい」と、製作を志願した。
顔の表情に苦労し、悩んだ末に幸恵の墓の前で手を合わせ、「彫らせてください」と
祈った。
横山さんは「幸恵が幼い頃、遊んでいたですよ」と窓から森を眺めた。 「神揺集」
序文の「天真爛漫な稚児の様に、美しい自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活してい
た」との風景がよみがえる。
記念館の南側にアイヌの祭壇が置かれている。その向こうの太平洋を望む丘にアイヌ
民族の祈りの儀式が行われたチャシや、あの世との入り口「アウンルパル」と呼ばれる
丘がある。記念館は幸恵とアイヌ民族のゆかりのマップを作成し、エコツアーも年に数
回企画している。記念館が、エコミュージアムの拠点としてネットワークが少しずつ広
がりつつある。
自然との共存を夢見た幸恵の意思を引き継ぎながら、魂が滴のようにちりばめられた
展示が、人びとを癒やし続けていくに違いない。
記念館の名前は、「アイヌ神謡集」の冒頭を飾る有名な詩句「銀の滴降る降るまわり
に」から取った。この銀の滴を再現しようと、ちょっとした仕掛けが館には施してある
。
展示室の奥まった場所に、明かり取りのような小さな窓を設け、その向かいに2枚の
ボードを配置。そこに500円硬貨大のスパンコールを約30個貼り付けた。
陽光が差し込むと、銀色のアクリルに反射した光が、目の前の壁に滴を散らせるのだ
。
設計した建築家の小倉雅美さん(36)は「銀の滴の世界を少しでも表現できればと工
夫した」と語る。ただし、見える時間はよく晴れた日の正午前後とか。
1階展示室、2階ギャラリー。入館料大人500円、高校生200円、小中学生10
0円。午前9時30分〜午後4時30分。火曜休館(祝祭日除く)。登別市登別本町2の34
の7。(?)0143・83・5666。
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183
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羅臼町郷土資料館
投稿者:
知床倶楽部
投稿日:2012/04/15(Sun) 07:47
読売石原です
新しい連載を始めました。拙文ではございますがご覧ください。
◎北のミュージアム紀行@羅臼町郷土資料館
道内には300を超えるミュージアムがある。博物館、美術館、動物園、埋蔵文化財
、郷土資料館、科学館など多彩だ。バブル時代に建てられ色あせる施設がある一方で、
小さくても地元に溶け込み、住民に愛されている施設も多い。北海道の歴史と未来のた
めに、ミュージアムに情熱を注ぐ人たちの物語を描く。
時を超える幻想の世界が、大自然の知床に立てば、実感できる。それが、昨年12月
にオープンした羅臼町郷土資料館(同町峯浜)だ。
館長の涌坂周一さん(59)は3年前、廃校になった学校を、業者の手を借りずに独
力で改装、昨年12月に開館させた。かかった費用はわずか2000万円。
町内に77か所あるとされる遺跡からの出土品約約10万点を収蔵、そのうち約30
00点を展示している。
メーンの1階考古展示室には、続縄文時代(約2300年前)の国内最古の銀製品を
はじめ、縄文(約8000年から約3000年)、擦文(約12世紀)、オホーツク文
化(6世紀頃〜12世紀頃)などの土器がずらりと並ぶ。実際に手にとって触れること
ができるものもある。
特に、町を流れるトビニタイ川から命名され、大陸人と北海道人の交流の証しである
道東独自の文化「トビニタイ文化(9世紀頃〜13世紀頃」の土器は貴重だ。「出土し
た破片を修復したのは俺なんだよ」と、涌坂は笑顔を見せる。
標茶町生まれの涌坂さんは小学生時代に、釧路川上流で貴重な黒曜石の石器を発見し
て考古学に魅せられ、1976年に町の学芸員になった。
オホーツク文化遺物の中で「国重要文化財にすべきだ」と、元文化庁調査官の小林達
雄国学院名誉教授が絶賛するのが「熊頭付き注口木製槽」だ。
長さ約60センチの水容器の形を取り戻すまでには、涌坂の30年に及ぶ努力があっ
た。出土したときはバラバラの状態で、炭化した木片をつなげる修復作業を根気よく続
けた。
やがて、リアルな表情のヒグマの顔が浮かび上がり、シャチの背びれも現れた。ヒグ
マとシャチはアイヌ民族の家紋の一つ。「その写実性に驚いた」と涌坂は語る。
「オホーツク人の住居はログハウス並みの快適さ」。それを証明しようと、器用な涌
坂さんはシラカバを使った約10世紀の竪穴式住居をミニチャアで復元した。
2階動物展示室には、70種超の鯨の模型が飾られている。これも自作だ。傷だらけ
のマッコウクジラからは、今にも潮が吹き出しそうだ。
職人の技と知床への情熱が結晶した資料館は、時代を超えた知床の文化に触れること
ができるビジターセンターといえそうだ。
【知床旅情】
資料館の2階生活展示室には、知床ならではのお宝写真がある。それは半世紀にわたっ
て歌い継がれている「知床旅情」誕生の瞬間を撮った歴史的写真だ。
知床が舞台の映画「地の涯に生きるもの」の羅臼町ロケが終了、別れの日となった19
60年7月17日。森繁久彌さんが感謝を込めて、地元の人たちのために作った歌を、
居合わせた約400人で大合唱した。その時のシーンを収めたパネル写真だ。
【羅臼町郷土資料館】1階が考古、近世展示室、2階が動物、生活、産業展示室。入場
無料。午前10時〜午後5時、土日祝日休館。羅臼町峯浜町307。(電話)0153
・88・3850)へ。
「熊頭付き注口木製槽」写真
http://www.shiretokoclub.jp/ohotuku3.html
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182
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バスに遅れた
投稿者:
羆
投稿日:2012/03/05(Mon) 16:53
先の掲示板に思わぬ時間を食い
気がついたら十分あったバスの時間をパス、
おいて行かれた。役場の車が鹿の餌を置きにきたので
これを幸いと思ったら、定員オーバーで乗れないという。
17:10のバスまで時間があるので
幟ををしまいこれを書いている。
若者は2つのジャンプ台を完了させすでにいない
明日が待ちどうしい。
そろそろ水道を落とし帰る支度にかかろう
[
181
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仲間ができた
投稿者:
羆
投稿日:2012/03/05(Mon) 16:18
今日も件の雪山を高くしている。
といっても何のことかわからないと思うので
ちょっと説明が必要だ。幌萌体験実習館駐車場の除雪
で出来た雪山をもっと高くすべくママさんダンプで
周りの雪を運んでいるということです。
毎日やっているとそれなりの成果が出るもので5m
位の高さになり傾斜も30度くらいありゲレンデ用スキーで
私には結構楽しめる。
今日そこへ隣の春日町に住んでいる若者があらわれ
スノーボートに使っても良いかという、
子供のそり遊び場にでもと作っていたものなので
望むところ、ただ規模的にどうかと思ったのだが
大丈夫ということなのでどうぞどうぞということになって
早速若者は、ジャンプ台を作っている。
子供の遊び場をともに作ろうと意気投合した。
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